皆さんは「ジョージ・マイカン」という選手をご存知でしょうか?
NBAにハマってくるとNBAの歴史に興味を持つ方も多いと思いますが、ジョージ・マイカンなくしてNBAの歴史を語ることはできないと言えるほど、NBAに大きな影響を与えたレジェンドです。
この記事では、そんなジョージ・マイカンがいったいどのような選手だったのかを、その凄すぎる逸話と共に詳しく解説していこうと思います。
NBA、ひいてはバスケットボール界のルールにも影響を与えた選手ですので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
ジョージ・マイカンってどんな選手?
主に1950年代のNBAで活躍したレジェンドである「ジョージ・マイカン」ですが、当然その当時のプレイを見たことがある方はほとんどいないでしょう。
ここでは、ジョージ・マイカンがどのような選手だったのかをご紹介します。
NBA史上初の「スーパースター」
1949年、BAAとNBLという2つのリーグが統合し、NBAが誕生したと同時にリーグ入りを果たしたジョージ・マイカン。
当時はバスケットボールという競技自体がまだ発展途上であり、プロバスケットボール選手という職業の給与がそれほど高くなかったことによって、リーグのレベルもそれほど高いものではありませんでした。
そんな中、208cmという身長を持ち、長い手足でオフェンス、ディフェンス双方において支配的な活躍をしたジョージ・マイカンは、NBA史上初の「スーパースター」と呼べる選手だったのです。
キャリアはわずか7年で終わってしまったものの、マイカンは所属していたミネアポリス・レイカーズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)を5度の優勝に導くとともに、4度のオールスター選出、3度の得点王、1回のリバウンド王など個人賞を総ナメ。
NBA創成期を支えたレジェンドとして“Mr. バスケットボール”の異名を得たマイカンは、NBAの歴史を語る上でなくてはならない存在になったのです。
208cmの身長と巧みなフットワークで他を圧倒
1試合での平均スコアが70点程度だった1950年代のNBAにおいて、1試合平均23.1得点という支配的な活躍をしていたジョージ・マイカン。
そんなマイカンの他を圧倒する得点能力を支えていたのが「208cmの身長」と「巧みなフットワーク」です。
リーグの平均身長が190cm強程度だった当時のNBAにおいて、マイカンの208cmという身長は存在するだけで大きな武器となっていたことは容易に想像できますね。
ただ、その身長やパワーだけに頼らなかったのがマイカンのすごいところで、素早いフットワークから繰り出される繊細なシュートで得点を量産していました。
マイカンのフットワークはデポール大学時代のコーチ、レイ・マイヤーの指導の影響が大きかったそうで、ボクシングやダンスなど他のスポーツのフットワークを取り入れた練習行っていたそうです。
特に、マイカンが行っていたゴール下からのシュートを左右交互に連続して行う基礎的な練習法は、「マイカンドリル」として現代のNBA選手も使用するほどに超有名なフットワーク&シュート練習の定番メニューとなっています。
強すぎるが故にNBAのルールすら変えてしまった男
圧倒的な存在は時にリーグのバランスを崩してしまいます。
ジョージ・マイカン率いるミネアポリス・レイカーズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)が短期間で5度のNBA優勝を果たしたことにリーグバランスの崩壊を危惧したNBA、もといバスケットボール界は、ジョージ・マイカンの活躍を制限するべくルール変更を行いました。
当然「マイカンを封じるため」という明確な根拠はありませんが、行われたルール変更によってジョージ・マイカンの成績がかなり低下してしまったことは事実です。
この時起きたルール変更については後で詳しくご紹介しますが、バスケットボール界がマイカン封じに動いたという噂話は、ジョージ・マイカンという選手がどれだけ手がつけられなかったかが分かるエピソードだと思います。
ジョージ・マイカンによって誕生したルール3選
その存在自体がバスケットボールのルールを変えるほどの影響力を持っていたジョージ・マイカン。
続いてはそんなマイカンによって変更することになったルールを3つ、逸話とともにご紹介していこうと思います。
ルールその①:ゴールテンディング
現代バスケには当たり前に存在する「ゴールテンディング」。
ボールが落下中、あるいはリングの上にある時に触れてはならないというルールですが、これはジョージ・マイカンが大学3年生の時に作られたルールです。
マイカン要するデポール大学は、ディフェンスの際の戦術の1つとしてマイカンをゴール下に立たせ、ゴールに飛んできたボールをゴールに入る前に叩き落とすというバスケットボールという競技そのものを破壊するような戦術を展開。
当時はルール違反ではなかったため認められていましたが、これはそもそも設定時点で3メートル上空にあるゴールより上のボールに触れられる人間が存在しないという前提で作られていたルール側に原因があると言えるでしょう。
2メートル越えの身長を持つ選手がゴロゴロいる現代のバスケットボール界ではゴールテンディングなしに試合は進められませんので、このルール改定は当然のことですね。
ルールその②:ペイントエリア(制限区域)の拡大
バスケットボールのコートにおいて、ゴールの下にある四角いエリアを「ペイントエリア(制限区域)」と呼びます。
その名の通りそのエリアに止まる時間が“制限”されるエリアであり、入った選手は3秒以内にペイントエリアから出なければファウルになってしまうというバスケの基本ルールです。
ジョージ・マイカンがプレイし始めたときからこのペイントエリアは存在していましたが、当時はサイズが6フィート(約1.83メートル)と小さく、マイカンのようにフックシュートやレイアップを得意とする選手にとってはほとんど弊害にすらなっていませんでした。
しかし、ジョージ・マイカンがあまりに活躍しすぎていたことから、なんとか対策を講じたいNBAはペイントエリアのサイズを倍の12フィート(約3.66メートル)へ変更。
この変更によって事実上ゴール下に待機してボールを受け取ることが不可能になり、ゴール下からの得点がメインウェポンであったマイカンの得点はガクッと下がることになってしまいました。
ルールその③:ショットクロック(24秒バイオレーション)
ボールを持ったチームは24秒以内にオフェンスを終えなければならないというバスケの基本ルール「ショットクロック(24秒バイオレーション)」。
試合展開をよりスピーディーにするためのルールであり、現代においてもバスケットボールが熱狂的な競技である大きな要因の1つとなっています。
そんなショットクロック(24秒バイオレーション)ですが、元はといえば相手チームの異常なまでの「マイカン対策」が原因となったのでした。
リーグで3度の得点王に輝き、あまりにも支配的な活躍をしていたマイカンを止めるため、相手チームは“攻撃の回数そのものを少なくする”という妙案を思いつきます。
その結果、1950-51シーズンのデトロイト・ピストンズ対ミネアポリス・レイカーズ戦で起こった最終スコア18対19のような超ロースコアな試合が多発。
試合中はできるだけ相手にボールが渡らないように延々とチーム内でパスを回し続けることとなり、あまりに退屈な試合展開にNBAの人気は一時的に大きく低迷してしまうことになったのです。
この緊急事態に対応するべくNBAが作り出したのが、攻撃に制限時間を設ける「ショットクロック(24秒バイオレーション)というルールだったわけですね。
マイカンが圧倒的すぎるが故に生まれた、伝説的なエピソードです。
まとめ
今回は、NBAのルールを変えた伝説の怪物センター「ジョージ・マイカン」についてご紹介しましたがいかがでしたでしょうか?
現在のNBAを見ている皆さんからすればもはやおとぎ話のような選手ですが、NBA創成期を支え、バスケのルールに大きく影響を与えた、まさにレジェンドと呼ぶに相応しい存在だったと言えるでしょう。
ジョージ・マイカンについてはYouTubeなどで動画を見ることができるものの、画質があらく白黒で、正直あんまりワクワクはしないと思います。笑
「そんな選手がいたんだな」と知識として知っておくと、NBAオタクっぽくていいのではないでしょうか??