NBA史上屈指のオールラウンダーである「ケビン・ガーネット」。
2008年にはポール・ピアース、レイ・アレンと共に“BIG3”を結成し、ボストン・セルティックスをNBA制覇に導いたレジェンドです。
この記事では、そんなケビン・ガーネットがどんな選手だったのかについてご紹介していきます。
功績やエピソードをもとにガーネットの魅力を語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
「Mr. Everything」と呼ばれたNBA史上屈指のオールラウンダー
1990年代〜2010年代に活躍したNBA史上屈指のパワーフォワードである「ケビン・ガーネット」。
211cmという恵まれた体格をもちながら、得点やリバウンドはもちろん、ゲームメイクやパスなどのガードの本来ガードの選手がやる仕事も高いレベルでこなすことができ、「Mr. Everything」というニックネームがつくほどのオールラウンダーです。
キャリアを通してNBAの一線で活躍し続けた選手であり、1度のシーズンMVP受賞、15回のオールスター選出、1度の最優秀守備選手賞受賞など個人の功績はさすがの一言。
ドラフト指名を受けてから13シーズンを過ごしたミネソタ・ティンバーウルブズとNBA制覇を果たしたボストン・セルティックスにおいて着用した背板砲「21」と「5」がそれぞれ永久欠番となっている、正真正銘のレジェンドです。
【ケビン・ガーネットの主な功績】
NBAチャンピオン:1回(2008)
シーズンMVP:1回(2004)
NBAオールスター:15回(1997, 1998, 2000〜2011, 2013)
NBAオールスターゲームMVP:1回(2003)
オールNBAチーム
ファーストチーム:4回(2000, 2003, 2004, 2008)
セカンドチーム:2回(2001, 2002)
サードチーム:2回(1999, 2007)
NBA最優秀守備選手賞:1回(2008)
オールディフェンシブチーム
ファーストチーム:9回(2000〜2005, 2008, 2009, 2011)
セカンドチーム:3回(2006, 2007, 2012)
NBAリバウンド王:4回(2004〜2007)
NBA史に残る名言「Anything is possible!」
ケビン・ガーネットを語る上で「Anything is possible!(不可能なんてないんだ!)」という名言は外せないでしょう。
この言葉はケビン・ガーネットが2008年にボストン・セルティックスで自身初のNBA優勝を成し遂げた後に、優勝インタビューにて発したセリフです。
高校卒業後すぐにNBAという過酷な世界に挑戦し、ドラフトされたミネソタ・ティンバーウルブズにてガーネット自身はNBAトップクラスの活躍を残しながらもチームが弱く、優勝に手が届かないまま過ごした13年間。
その後、優勝をめざして移籍を決意し、キャリア14年目にしてようやく掴んだNBAトロフィー。
喜びが溢れ出た叫びだったというわけですね。
この言葉と共にガーネットの生き様は多くの選手やファンを勇気づけ、NBA史に残る名言として今なお後世に語り継がれています。
高卒選手の扉を開くきっかけに
ケビン・ガーネットといえば高校卒業後すぐにNBA入りをした、いわゆる「高卒選手」の先駆けになった選手としても知られています。
ガーネットが現れるまでのNBAは、高卒選手は大学経験のある選手に比べてスキルが乏しくギャンブル性が高いという理由から、20年以上もの間ドラフトされていませんでした。
しかし、ガーネットという"成功例”が現れたことで各球団が一気に高卒選手の獲得に対して積極的になり、コービー・ブライアントやレブロン・ジェームズ、ドワイト・ハワードといったレジェンドたちのドラフト指名に繋がったと言われているんですよ!
ただ、やはり高卒選手は精神的に未熟なケースが多く、ガーネットやコービーのように自分に厳しく練習を続けることができる選手はごく稀だったため、大学バスケからの反発を受けたりその他の軽率な行動などが問題視されたりした結果、現在では高卒選手のドラフトは禁止となっています。
ロックダウンの原因に?NBAに衝撃が走ったケビン・ガーネットの巨額契約
もう一つ、ガーネットを象徴するエピソードとして知っておいて欲しいのが、1998年のオフにガーネットがミネソタ・ティンバーウルブズと締結した6年1億2,600万ドル(当時のレートで約183億円)という巨額契約。
当時はNBAのみならずアメリカのすべてのスポーツ選手の中でも最高額となる数字だったその契約は、回り回ってNBAの「ロックダウン(ストライキによるシーズン延期)」に繋がってしまったのです。
当時ミネソタ・ティンバーウルブズに所属していたガーネットでしたが、高卒入団していることもあり、年齢はわずか19歳。
すでにリーグ屈指の実力があったとはいえ、自分よりもはるかに年下の選手が超高額契約を結んだことによって他の選手たちも同様の巨額契約をチームに打診する事態に発展してしまいます。
これをきっかけに選手側とオーナー側が対立し、結果的にNBAの開幕は延期。
最終的にはCBA(Collective Bargaining Agreement)と呼ばれるNBAの運営ルールの改訂により解決しましたが、この出来事はNBA史に残る大事件として記録されています。
いいことなのかどうかはさておき、現代NBAでは当たり前となった巨額契約はガーネットがいなければ存在しなかったかもしれないというわけです。
NBA史上2人目のバッシュの「生涯契約」
NBAでは使用するバッシュについて何かしらの企業とスポンサー契約を締結するのが当たり前です。
ケビン・ガーネットも例外ではなく、その契約相手はadidas(アディダス)でした。
2003年の8月、ガーネットはadidas(アディダス)と「生涯契約」を締結したのですが、これはトレイシー・マグレディに続くNBA史上2人目の生涯契約という偉業だったのです。
当然adidas(アディダス)からはシグネチャーモデルもリリースされていて、その名も「adi GARNETT(アディ ガーネット)」。
ガーネットが自身唯一のシーズンMVPを受賞した際に着用したモデルであり、着用していた背番号「21」やガーネットの名前などが印字されたオリジナルモデルとなっています。
残念ながら続編の発表はなく、現在は生産も終了してしまっているため出回っているのは中古品のみとなっていますが、興味のある方はオークションサイトなどで探して見てはいかがでしょうか?
まとめ
今回はNBA史上屈指のオールラウンダーである「ケビン・ガーネット」についてご紹介しました。
いかがでしたか?
ビッグマンながらガードのポジションも務めることができるオールラウンドなプレースタイルや高卒選手がスターになるというNBAキャリアなど、あらゆる点で時代の先頭を走っていたガーネット。
批判や疑問の声を跳ね除け、最後には自分の手でNBA優勝を掴み取った姿に多くのファンを感動させました。
時にトラッシュトークで熱くなりすぎるなどの危うい一面は持っていたものの、チームを引っ張るリーダーシップと確かな実力を持っていたケビン・ガーネットは後世に語り継がれるに相応しいレジェンドの1人であることは間違いありません。
まだケビン・ガーネットのプレイを見たことがないという方は、YouTubeなどでハイライトなどを視聴して見てくださいね!