皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1955 シラキューズ・ナショナルズ VS フォートウェイン・ピストンズ」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
NBAファイナル1955に出場したチームの背景を知ろう!
1955年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「シラキューズ・ナショナルズ」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「フォートウェイン・ピストンズ」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
シラキューズ・ナショナルズ
1954-55シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 43勝29敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 3勝1敗(VS ボストン・セルティクス) |
「シラキューズ・ナショナルズ」はニューヨーク州シラキュースに拠点を置くチームです。
現在はフィラデルフィア・76ersに名称を変更しています。
エースは「ドルフ・ジェイズ」。
レギュラーシーズンを43勝29敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でボブ・クージー要する「ボストン・セルティクス」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたシラキューズ・ナショナルズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
フォートウェイン・ピストンズ
1954-55シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 43勝29敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 3勝1敗(VS ミネアポリス・レイカーズ) |
「フォートウェイン・ピストンズ」はインディアナ州・フォートウェインに拠点を置くチームです。
現在はデトロイト・ピストンズに名称を変更しています。
エースは「ラリー・ファウスト」。
レギュラーシーズンを43勝29敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でジョージ・マイカン引退直後の「ミネアポリス・レイカーズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1955の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1955で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
シラキューズ・ナショナルズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
SG | 7 | ビル・ガボア(Bill Gabor) | 180 | 77 | 1922年5月13日 |
SG | 15 | ビリー・ケンヴィル(Billy Kenville) | 188 | 85 | 1930年12月1日 |
C | 6 | コニー・シモンズ(Connie Simmons) | 203 | 101 | 1925年3月15日 |
SG | 12, 14 | ディック・ファーリー(Dick Farley) | 193 | 86 | 1932年4月13日 |
PF | 4 | ドルフ・シェイズ(Dolph Schayes) | 203 | 100 | 1928年5月19日 |
SF | 11 | アール・ロイド(Earl Lloyd) | 196 | 91 | 1928年4月3日 |
PG | 3 | ジョージ・キング(George King) | 193 | 79 | 1928年8月16日 |
SF | ジャッキー・ムーア(Jackie Moore) | 196 | 82 | 1932年9月24日 | |
PF | 14 | ジム・タッカー(Jim Tucker) | 201 | 84 | 1932年12月11日 |
SG | 5 | ポール・シーモア(Paul Seymour) | 185 | 82 | 1932年12月11日 |
C | 10 | レッド・カー(Red Kerr) | 206 | 104 | 1932年7月17日 |
C | 16 | レッド・ロッチャ(Red Rocha) | 206 | 84 | 1923年9月18日 |
SF | 8 | ウォーリー・オスターコルン(Wally Osterkorn) | 196 | 98 | 1928年7月6日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
フォートウェイン・ピストンズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
SG | 18 | アル・ローゲス(Al Roges) | 193 | 88 | 1930年10月25日 |
PG | 14 | アンディ・フィリップ(Andy Phillip) | 188 | 88 | 1922年3月7日 |
C | 8 | ボブ・ホーブレッグス(Bob Houbregs) | 203 | 102 | 1932年3月12日 |
SF | 15 | ディック・ローゼンタール(Dick Rosenthal) | 196 | 93 | 1930年1月20日 |
SG | 7 | フランク・ブライアン(Frankie Brian) | 185 | 82 | 1923年5月1日 |
SF | 12 | ジョージ・ヤードリー(George Yardley) | 196 | 86 | 1928年11月3日 |
PF | 8 | ジム・フリッチェ(Jim Fritsche) | 203 | 95 | 1931年12月10日 |
C | 16 | ラリー・ファウスト(Larry Foust) | 206 | 98 | 1928年6月24日 |
SG | 10 | マックス・ザスロフスキー(Max Zaslofsky) | 188 | 77 | 1925年12月7日 |
PF | 9 | メル・ハッチンス(Mel Hutchins) | 198 | 91 | 1928年11月22日 |
PF | 17 | ドン・マイネケ(Monk Meineke) | 201 | 94 | 1930年10月30日 |
SG | 5 | ポール・ヴァルター(Paul Walther) | 188 | 73 | 1927年3月23日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1955のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1955の試合の結果を見ていきましょう!
1954-55シーズンのNBAチャンピオンは「シラキュース・ナショナルズ」。
チームとしては史上初の優勝となりました。
対戦成績は4勝3敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 3月31日 | フォートウェイン・ピストンズ | 82-86 | シラキュース・ナショナルズ |
2 | 4月2日 | フォートウェイン・ピストンズ | 84-87 | シラキュース・ナショナルズ |
3 | 4月3日 | シラキュース・ナショナルズ | 89-96 | フォートウェイン・ピストンズ |
4 | 4月5日 | シラキュース・ナショナルズ | 102-109 | フォートウェイン・ピストンズ |
5 | 4月7日 | シラキュース・ナショナルズ | 71-74 | フォートウェイン・ピストンズ |
6 | 4月9日 | フォートウェイン・ピストンズ | 104-109 | シラキュース・ナショナルズ |
7 | 4月10日 | フォートウェイン・ピストンズ | 91-92 | シラキュース・ナショナルズ |
NBAファイナル1955の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
ピストンズが悲願の初優勝を果たしたシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(82-86 シラキュース・ナショナルズ Win)
NBAファイナルの1回戦はシラキュース・ナショナルズのホーム「オノンダガ・ウォー・マテリアル」で始まりました。
昨年ファイナルで辛酸を舐めたナショナルズと昨年王者のレイカーズを倒すというジャイアントキリングで上がってきたピストンズとの一戦です。
試合は第1戦から接戦の様相を呈し、流れの奪い合いとなりました。
試合は結局第1Qに奪った7点のリードをなんとか守り切ったナショナルズが勝利。
この日ナショナルズはレッド・ロシャがチームハイの19得点を記録。
敗れたピストンズはラリー・ファウストの26得点がチーム最高となりました。
第2戦(84-87 シラキュース・ナショナルズ Win)
ナショナルズリードで迎えた第2戦。
この日も第1戦に引き続き最後まで勝負のわからない接戦となりました。
第3Qまでは僅差でピストンズがリードしていたものの、第4Qにナショナルズが巻き返し、土壇場で逆転して勝利。
ナショナルズは第1戦は10得点と不調だったエース、ドルフ・ジェイズが24得点15リバウンドと復調し、チームを勝利に導きました。
第3戦(89-96 フォートウェイン・ピストンズ Win)
ナショナルズ2連勝で迎えた第3戦。
決戦の舞台はフォートウェイン・ピストンズのホーム「インディアナステート・フェア・コロシアム」に移ります。
この試合を落とすと後がなくなるピストンズはホームで流れを変えたいところでしたが、ナショナルズの激しいディフェンスがヤードリーを襲い、エースがわずか8得点に抑え込まれます。
このエースのピンチに立ち上がったのがメル・ハッチンス。
ヤードリーの代わりに23得点を記録しチームを牽引すると、第3Qにピストンズが流れを掴みそのまま勝利。
ホームでピストンズが1勝を返してシリーズを2-1としました。
第4戦(102-109 フォートウェイン・ピストンズ Win)
依然ナショナルズリードで迎えた第4戦。
劣勢には立っているものの直近の1勝を勝利しているピストンズはホームで流れに乗ります。
多くの選手が積極的にゴールにアタックすると順調に得点を重ね、試合を終始リードし続けました。
終わってみればピストンズは計7選手が2桁得点を記録しており、攻撃のオプションの多さを見せつける試合となりました。
ナショナルズもこの日28得点のシェイズが終盤の反撃を行いますが届かず。
ピストンズが2連勝で対戦成績を2-2のタイにもどし、シリーズは進みます。
第5戦(71-74 フォートウェイン・ピストンズ Win)
両者互角で迎えた第5戦。
この日は両チームともにシュート精度に苦しみ、シリーズ屈指のロースコアゲームとなります。
2連勝の後、なおもホームでの試合となったピストンズは低調ながらも徐々にリードを奪い、前半で7点差をつけて折り返します。
第3Qもさらに点差を広げたピストンズは、ファンが白熱のあまりナショナルズのジョージ・キングに椅子を投げつけ警察が出動するといったトラブルがあるも、調子を乱すことなく勝利を掴みました。
2連敗の後の3連勝でピストンズが先に優勝へ王手をかけました。
第6戦(104-109 シラキュース・ナショナルズ Win)
ピストンズが王手で迎えた第6戦。
舞台はついにナショナルズのホーム「オノンダガ・ウォー・マテリアル」に戻ります。
ここまで全ての試合で1桁差と実力伯仲の両者は、この第6戦も例に漏れず接戦を演じることとなります。
3連勝で勢いに乗るピストンズは完全にこの試合で優勝を決める気でおり、第1Qから8点差をつけるも猛攻を展開。
しかし負ければ終わりのナショナルズも第2Qに反撃をみせ55-53のピストンズ2点リードで前半を折り返します。
ナショナルズの反撃はハーフタイムを挟んでも続いおり、第3Qにはついに逆転。
第4Qもピストンズにリードを縮めさせることなく、ナショナルズが大事な試合で勝利を掴みました。
第7戦(91-92 シラキュース・ナショナルズ Win)
運命の第7戦。
舞台はナショナルズのホーム「オノンダガ・ウォー・マテリアル」。
互角の両者による最終戦は、試合展開だけををみれば最後まで勝負のわからない接戦でしたが、試合後に判明する疑惑により台無しになってしまいました。
第7戦は残り12秒でジョージ・キングがフリースローを決めて逆転し、さらにピストンズの攻撃をキングがスティールすることでナショナルズの優勝を決定づけるという劇的展開で幕を閉じました。
しかし、この逆転のきっかけとなったキングのフリースローを奪う直前のポゼッションでピストンズが18秒バイオレーションを犯しており、これが賭博の絡んだ故意のプレイであったということが後々判明。
ジョージ・ヤードリーも引退後の会見で当時の不正を認める趣旨の発言をしており、神聖なNBAファイナルを侮辱した最低な試合の1つとして記憶されることとなりました。
まとめ
今回は「NBAファイナル1955 シラキューズ・ナショナルズ VS フォートウェイン・ピストンズ」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
最後は不正にり台無しになってしまいましたが、第6戦まではどちらが勝つかわからない激戦が繰り広げられたファイナルでした。
当時のNBAはまだ規模が小さく、不正をしても大きく報道されることがなかった時代であるため、今となってはこれも1つの歴史という見られ方をしています。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!