皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「BAAファイナル1947 フィラデルフィア・ウォリアーズ VS シカゴ・スタッグス」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
目次
BAAファイナル1947に出場したチームの背景を知ろう!
1947年BAAファイナルはイースタン・ディビジョンチャンピオンの「フィラデルフィア・ウォリアーズ」とウエスタン・ディビジョンチャンピオンの「シカゴ・スタッグス」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
フィラデルフィア・ウォリアーズ
1946-47シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 35勝25敗(ディビジョン2位) |
プレーオフ1回戦 | - |
プレーオフ・準々決勝 | 2勝1敗(VS セントルイス・ボンバーズ) |
プレーオフ・準決勝 | 2勝0敗(VS ニューヨーク・ニックス) |
「フィラデルフィア・ウォリアーズ」はペンシルベニア州フィラデルフィアに拠点を置くチームです。
エースは「ジョー・ファルクス」。
レギュラーシーズンを35勝25敗のディビジョン2位で終えると、プレーオフでは準々決勝でジョー・ローガンらの「セントルイス・ボンバーズ」を、準決勝で通称”ニッカーボーカーズ”の「ニューヨーク・ニックス」を倒し、BAAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたフィラデルフィア・ウォリアーズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
シカゴ・スタッグス
1946-47シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 39勝22敗(ディビジョン1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
プレーオフ・準々決勝 | シード権 |
プレーオフ・準決勝 | 4勝2敗(VS ワシントン・キャピトルズ) |
「シカゴ・スタッグス」はイリノイ州シカゴに拠点を置くチームです。
エースは「マックス・ザスロフスキー」。
レギュラーシーズンを39勝22敗のディビジョン1位で終えると、プレーオフでは準決勝でボーンズ・マッキニー要する「 ワシントン・キャピトルズ」を倒し、BAAファイナルに進みました。
BAAファイナル1947の出場選手・ロスター
次にBAAファイナル1947で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
フィラデルフィア・ウォリアーズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
G | 5 | アンジェロ・ミュージ(Angelo Musi) | 175 | 66 | 1918年7月25日 |
C | 18 | アート・ヒルハウス(Art Hillhouse) | 201 | 100 | 1916年6月12日 |
F | 4 | フレッド・シェフィールド(Fred Sheffield) | 188 | 75 | 1923年11月5日 |
PG | 8 | ジョージ・セネスキー(George Senesky) | 188 | 79 | 1922年4月4日 |
F | 12 | ハウイー・ダルマー(Howie Dallmar) | 193 | 91 | 1922年5月24日 |
SG | 6 | ジェリー・フレーイシュマン(Jerry Fleishman) | 188 | 81 | 1922年2月14日 |
G | 7 | ジェリー・ルロ(Jerry Rullo) | 178 | 75 | 1923年6月23日 |
PF | 10 | ジョー・ファルクス(Joe Fulks) | 195 | 86 | 1921年10月26日 |
F | 9 | ジョン・マーフィー(John Murphy) | 188 | 79 | 1924年9月13日 |
F | 14 | マット・グオカス(Matt Guokas) | 191 | 88 | 1915年11月11日 |
G | 15 | ペティ・ローゼンバーグ(Petey Rosenberg) | 178 | 75 | 1918年4月7日 |
G-F | 9 | ラルフ・カプロヴィッツ(Ralph Kaplowitz) | 188 | 77 | 1919年5月18日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
シカゴ・スタッグスの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
F | 3 | ビル・デイヴィス(Bill Davis) | 191 | 98 | 1920年10月3日 |
F | 13 | ボブ・ダフィー(Bob Duffy) | 193 | 79 | 1922年7月5日 |
F | ボブ・レンスベルガー(Bob Rensberger) | 188 | 77 | 1921年3月7日 | |
G | 4 | バック・シドナー(Buck Sydnor) | 178 | 79 | 1921年9月19日 |
F-C | 16 | チェット・カーライル(Chet Carlisle) | 196 | 88 | 1916年11月2日 |
C | 22 | チック・ハルバート(Chick Halbert) | 206 | 102 | 1919年2月27日 |
F-C | 7, 17 | チャック・ギルマー(Chuck Gilmur) | 193 | 102 | 1922年8月13日 |
G-F | 15 | ドン・カールソン(Don Carlson) | 183 | 77 | 1919年3月22日 |
F-G | 8 | ドイル・パラック(Doyle Parrack) | 183 | 74 | 1921年12月6日 |
G-F | 9 | ガーランド・オシールズ(Garland O'Shields) | 185 | 88 | 1921年5月23日 |
G-F | 5 | ジム・セミノフ(Jim Seminoff) | 188 | 86 | 1922年9月1日 |
SG | 10 | マックス・ザスロフスキー(Max Zaslofsky) | 188 | 77 | 1925年12月7日 |
G | 6 | ミッキー・ロットナー(Mickey Rottner) | 178 | 82 | 1919年3月23日 |
G | 16 | ノーム・ベイカー(Norm Baker) | 198 | 82 | 1923年2月17日 |
F-G | 26 | トニー・ヤロス(Tony Jaros) | 191 | 84 | 1920年2月22日 |
G-F | 12 | ウィルバート・カルツ(Wilbert Kautz) | 183 | 82 | 1915年9月7日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
BAAファイナル1947のシリーズ概要
それではいよいよBAAファイナル1947の試合の結果を見ていきましょう!
1946-47シーズンのBAAチャンピオンは「フィラデルフィア・ウォリアーズ」。
BAA史上最初のチャンピオンとなりました。
対戦成績は4勝1敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 4月16日 | シカゴ・スタッグズ | 71-84 | フィラデルフィア・ウォリアーズ |
2 | 4月17日 | シカゴ・スタッグズ | 74-85 | フィラデルフィア・ウォリアーズ |
3 | 4月19日 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | 75-72 | シカゴ・スタッグズ |
4 | 4月20日 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | 73-74 | シカゴ・スタッグズ |
5 | 4月22日 | シカゴ・スタッグズ | 80-83 | フィラデルフィア・ウォリアーズ |
BAAファイナル1947の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
フィラデルフィア・ウォリアーズが初代BAAチャンピオンに輝いたシーズンのBAAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(71-84 フィラデルフィア・ウォリアーズ Win)
BAAファイナルの1回戦はウォリアーズのホーム「フィラデルフィア・アリーナ」で始まりました。
レギュラーシーズンで最も高い勝率を残したワシントンキャピトルズを準決勝で下したシカゴ・スタッグズとイースト2位から勝ち上がってきたフィラデルフィア・ウォリアーズとの一戦。
レギュラーシーズンの勝率が高いのはスタッグズでしたが、初戦から圧倒的な強さを見せたのはウォリアーズでした。
特にウォリアーズのエース、ジョー・ファルクスは次々とペイントにアタックし、止められてもファールを奪いフリースローと手の付けようがなく、この試合37得点を記録。
ほぼ独力でスタッグズを粉砕し、ウォリアーズに1勝をもたらしました。
この勝利を皮切りにウォリアーズは流れに乗り、シリーズを通してスタッグズを圧倒していきます。
第2戦(74-85 フィラデルフィア・ウォリアーズ Win)
ウォリアーズリードで迎えた第2戦。
第1戦大敗したスタッグズは第1戦に大量得点をしたファルクスを重点的に守るディフェンスを決行。
これが功を奏し、この試合はファルクスを13得点に抑えることに成功します。
しかしウォリアーズはこれにより手薄になった他のポジションの選手達がファルクスの穴を埋める得点を披露し、計5選手が2桁得点を記録。
結局第1戦同様に2桁の点差をつけてウォリアーズが勝利しました。
第3戦(75-72 フィラデルフィア・ウォリアーズ Win)
ウォリアーズ2連勝で迎えた第3戦。
舞台はスタッグズのホーム「シカゴ・アリーナ」に移ります。
負ければ後がなくなるスタッグズは、ホームの声援を受けて流れを掴みかけます。
前半終えて31-31と同点で迎えた後半は、どちらが勝つかわからない接戦となりました。
ホームのスタッグズに勝機は十分にありましたが、この日も接戦を制したのはウォリアーズ。
ファルクスがまたもゲームハイの26得点を記録し、終盤の勝負所でのスターの必要性を見せつけ勝利を掴みました。
第4戦(73-74 シカゴ・スタッグズ Win)
ウォリアーズが3連勝で迎えた第4戦。
いよいよ崖っぷちとなったスタッグズでしたが、ここで意地を見せます。
序盤から積極的にゴールへアタックすると、前半で34-42と8点のリードを奪うことに成功。
第3Qにはさらにリードを広げ、13点のリードを持って第4Qに臨みました。
しかし第4Qに入るとスタッグズはわずか9得点の大失速。
これを見たウォリアーズが一気に攻勢を強め、13点あった点差はわずか1点まで縮まりました。
しかし最後はなんとか踏ん張ったスタッグズが1点差を制し勝利。
ホームで貴重な1勝を得てシリーズを終わらせませんでした。
第5戦(80-83 フィラデルフィア・ウォリアーズ Win)
運命の第5戦。
舞台はウォリアーズのホーム「フィラデルフィア・アリーナ」。
第4戦を勝利したスタッグズはこのままシリーズ巻き返しを図りたいところでしたが、ウォリアーズはそれを許しませんでした。
またもエースのジョー・ファルクスが34得点と躍動しチームを牽引すると、エースに鼓舞されたチームは得点を重ねます。
第2、第3Qにはスタッグズが猛攻を仕掛け優勝を阻もうとしますが、第4Qに再度流れを掴んだウォリアーズが再逆転し勝利。
この勝利で4勝1敗としたウォリアーズがBAAの初代チャンピオンに輝きました。
まとめ
今回は「BAAファイナル1947 フィラデルフィア・ウォリアーズ VS シカゴ・スタッグス」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
NBA初代チャンピオンの時代は僕はもちろんNBAを知りませんでしたし、日本に住んでいた方のほとんどがNBAを知らなかったと思います。
今でこそ日本でも人気の高いゴールデンステイト・ウォリアーズですが、まさか初代チャンピオンだったとは知らなかったので、また1つNBAに詳しくなれたことを嬉しく思っています。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!