こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1966-67シーズンを制したフィラデルフィア・76ers(PHI)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
フィラデルフィア・76ersは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
フィラでフィア・76ersは1966年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1966-67 フィラデルフィア・76ersのレギュラーシーズン
まずは1966-67レギュラーシーズンがフィラデルフィア・76ersにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1965年にウィルト・チェンバレンをトレードで獲得してから常に強豪チームであったにもかかわらず、ボストン・セルティクスに優勝を阻まれ続けていたシクサーズ。
フランチャイズ2度目の優勝を手にするため、フロントはアレックス・ハナムをヘッドコーチに任命します。
ハナムはそれまでずば抜けた得点力でリーグを支配していたチェンバレンに得点を減らすようコーチングを行い、他の選手たちがオフェンスに絡むようにチームを作り替えてレギュラーシーズンに挑みました。
【レギュラーシーズンの結果】
ウィルト・チェンバレンがチームプレイに徹したことで結果的にチーム全体に攻撃の意識が芽生え、シクサーズのオフェンス力はさらに向上。
他チームを圧倒し、最終的に68勝13敗という当時のリーグ最高勝率でプレイオフに進出しました。
フィラデルフィア・76ersはイースタン・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1966-67レギュラーシーズン イースタン・ディビジョンの結果】
イースタン・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
フィラデルフィア・76ers | 68 | 13 | 0.840 | – | 28–2 | 26–8 | 28–8 | 82 |
ボストン・セルティクス | 60 | 21 | 0.741 | 8 | 27–4 | 25–11 | 30–6 | 82 |
シンシナティ・ロイヤルズ | 39 | 42 | 0.481 | 29 | 20–11 | 12–24 | 14–22 | 82 |
ニューヨーク・ニックス | 36 | 45 | 0.444 | 32 | 20–15 | 9–24 | 11–25 | 82 |
ボルティモア・ブレッツ | 20 | 61 | 0.247 | 48 | 12–20 | 3–30 | 7–29 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1966-67 フィラデルフィア・76ersのプレイオフ
次にフィラデルフィア・76ersが1966-67プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1966-67プレイオフの背景】
1966-1967シーズンのプレイオフは1967年3月21日に開始し、4月24日に終了しました。
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対シンシナティ・ロイヤルズ:3勝1敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではオスカー・ロバートソン擁するシンシナティ・ロイヤルズと対戦し、3勝1敗で危なげなく勝利してカンファレンス・ファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1967年3月21日 | シンシナティ・ロイヤルズ | 120-116 | フィラデルフィア・76ers | コンベンション・ホール | |
第2戦 | 1967年3月22日 | フィラデルフィア・76ers | 123-102 | シンシナティ・ロイヤルズ | シンシナティ・ガーデンズ | |
第3戦 | 1967年3月24日 | シンシナティ・ロイヤルズ | 106-121 | フィラデルフィア・76ers | コンベンション・ホール | |
第4戦 | 1967年3月25日 | フィラデルフィア・76ers | 112-94 | シンシナティ・ロイヤルズ | シンシナティ・ガーデンズ |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対ボストン・セルティクス:4勝1敗
カンファレンス・ファイナルではジョン・ハブリチェックやサム・ジョーンズ擁するボストン・セルティクスとの対戦となり、これを4勝1敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1967年3月31日 | ボストン・セルティクス | 113-127 | フィラデルフィア・76ers | ザ・パレストラ | |
第2戦 | 1967年4月2日 | フィラデルフィア・76ers | 107-102 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第3戦 | 1967年4月5日 | ボストン・セルティクス | 104-115 | フィラデルフィア・76ers | ザ・パレストラ | |
第4戦 | 1967年4月9日 | フィラデルフィア・76ers | 117-121 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第5戦 | 1967年4月11日 | ボストン・セルティクス | 116-140 | フィラデルフィア・76ers | ザ・パレストラ |
こうして迎えた1967年のNBAファイナルでは、フィラデルフィア・76ersがリック・バリー擁するサンフランシスコ・ウォリアーズを4勝2敗で打ち破りNBA制覇を成し遂げました。
1967年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:シクサーズが2度目のNBA制覇
今回は「1967年のNBAファイナルで優勝を果たした”フィラデルフィア・76ers”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝はフィラデルフィア・76ersにとって12年ぶり2回目のNBA制覇となりました。
フィラデルフィア・76ersのエースウィルト・チェンバレンはもともとゴールデンステイト・ウォリアーズでドラフトされその後の5年間を過ごしており、見事古巣を打ち破っての優勝となりました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!