こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1959-60シーズンを制したボストン・セルティックス(BOS)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ボストン・セルティックスは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ボストン・セルティックスは1959年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1959-60 ボストン・セルティクスのレギュラーシーズン
まずは1959-60レギュラーシーズンがボストン・セルティクスにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1956年にトム・ヘインソーンとビル・ラッセルが入団してからというもの強豪であり続けているボストン・セルティクスは一度昨シーズン王者に返り咲きました。
今シーズンはフランチャイズ史上初の連覇を目指し、シーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
例年通りイーストの強豪として順調に勝ち星を重ね続け、最終的には59勝16敗のリーグ1位の勝率でプレイオフに進出しました。
ボストン・セルティクスはイースタン・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1959-60レギュラーシーズン イースタン・ディビジョンの結果】
イースタン・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
ボストン・セルティクス | 59 | 16 | 0.787 | – | 25–2 | 24–9 | 28–11 | 75 |
フィラデルフィア・76ers | 49 | 26 | 0.653 | 10 | 22–6 | 12–19 | 22–17 | 75 |
シラキュース・ナショナルズ | 45 | 30 | 0.600 | 14 | 25–4 | 12–19 | 21–18 | 75 |
ニューヨーク・ニックス | 27 | 48 | 0.360 | 32 | 13–18 | 9–19 | 7–32 | 75 |
NBAファイナルまでの道のり:1959-60 ボストン・セルティクスのプレイオフ
次にボストン・セルティクスが1959-60プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1959-60プレイオフの背景】
1959-1960シーズンのプレイオフは1960年3月11日に開始し、4月9日に終了しました。
イースタン・ディビジョンを1位で終えたボストン・セルティクスはシード権を獲得しており、カンファレンス・セミファイナルは免除となりました。
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対フィラデルフィア・ウォリアーズ:4勝2敗
カンファレンス・ファイナルではウィルト・チェンバレン擁するフィラデルフィア・76ersとの対戦となり、これを4勝2敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1960年3月16日 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | 105-111 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第2戦 | 1960年3月18日 | ボストン・セルティクス | 110-115 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | コンベンション・ホール | |
第3戦 | 1960年3月19日 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | 90-120 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第4戦 | 1960年3月20日 | ボストン・セルティクス | 112-104 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | コンベンション・ホール | |
第5戦 | 1960年3月22日 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | 128-107 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第6戦 | 1960年3月24日 | ボストン・セルティクス | 119-117 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | コンベンション・ホール |
こうして迎えた1960年のNBAファイナルでは、ボストン・セルティクスがボブ・ペティット率いるセントルイス・ホークスを倒し、NBA優勝を果たしました。
1960年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:セルティクスが初の連覇
今回は「1960年のNBAファイナルで優勝を果たした”ボストン・セルティクス”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝はボストン・セルティクスにとって2年連続3回目のNBA制覇を果たしました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!