こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1988-89シーズンを制したデトロイト・ピストンズ(DET)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
デトロイト。ピストンズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
デトロイト・ピストンズは1988年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1988-89 デトロイト・ピストンズのレギュラーシーズン
まずは1988-89レギュラーシーズンがデトロイト・ピストンズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1981年にドラフトでアイザイア・トーマスを獲得し、翌年にビル・レインビアとヴィニー・ジョンソンをトレードで獲得するとチーム力は大幅に向上し、一気に強豪チームに成り上がったデトロイト・ピストンズ。
1983年にチャック・デイリーがヘッドコーチに就任したのち、ジョー・デュマーズとリック・マホーン、最後にデニス・ロッドマンがチームに加入し、優勝候補の一角となりました。
昨シーズンにはカンファレンス・ファイナルでマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズを破りカンファレンス・ファイナルに到達したものの、マジック・ジョンソン擁するロサンゼルス・レイカーズの前に敗れており、今年こそは初のNBA制覇を目標にレギュラーシーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
強力なディフェンスとファールを厭わない荒いプレイスタイルから”バットボーイズ”と呼ばれていたデトロイト・ピストンズでしたが、その実力は確かであり多くの熱狂的なファンを抱えるチームでした。
このシーズンより本拠地をザ・パレス・オブ・オーバンヒルズに移して挑んだピストンズは他のチームを圧倒する強さで勝利を重ね、最終的には63勝19敗というリーグ最高の勝率でプレイオフに進出しました。
デトロイト・ピストンズはセントラル・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1988-89レギュラーシーズン セントラル・ディビジョンの結果】
セントラル・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
デトロイト・ピストンズ | 63 | 19 | 0.768 | – | 37–4 | 26–15 | 20–10 | 82 |
クリーブランド・キャバリアーズ | 57 | 25 | 0.695 | 6 | 37–4 | 20–21 | 19–11 | 82 |
アトランタ・ホークス | 52 | 30 | 0.634 | 11 | 33–8 | 19–22 | 20–10 | 82 |
ミルウォーキー・バックス | 49 | 33 | 0.598 | 14 | 31–10 | 18–23 | 11–19 | 82 |
シカゴ・ブルズ | 47 | 35 | 0.573 | 16 | 30–11 | 17–24 | 12–18 | 82 |
インディアナ・ペイサーズ | 28 | 54 | 0.341 | 35 | 20–21 | 8–33 | 8–22 | 82 |
デトロイト・ピストンズはイースタン・カンファレンスで1位を受賞し、プレイオフに進出しました。
【1988-89レギュラーシーズン イースタン・カンファレンスの結果】
イースタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | デトロイト・ピストンズ | 63 | 19 | 0.768 | – | 82 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | ニューヨーク・ニックス | 52 | 30 | 0.634 | 11 | 82 |
3 | クリーブランド・キャバリアーズ | 57 | 25 | 0.695 | 6 | 82 |
4 | アトランタ・ホークス | 52 | 30 | 0.634 | 11 | 82 |
5 | ミルウォーキー・バックス | 49 | 33 | 0.598 | 14 | 82 |
6 | シカゴ・ブルズ | 47 | 35 | 0.573 | 16 | 82 |
7 | フィラデルフィア・76ers | 46 | 36 | 0.561 | 17 | 82 |
8 | ボストン・セルティクス | 42 | 40 | 0.512 | 21 | 82 |
9 | ワシントン・ブレッツ | 40 | 42 | 0.488 | 23 | 82 |
10 | インディアナ・ペイサーズ | 28 | 54 | 0.341 | 35 | 82 |
11 | ニュージャージー・ネッツ | 26 | 56 | 0.317 | 37 | 82 |
12 | シャーロット・ホーネッツ | 20 | 62 | 0.244 | 43 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1988-89 デトロイト・ピストンズのプレイオフ
次にデトロイト・ピストンズが1988-89プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1988-89プレイオフの背景】
1988-1989シーズンのプレイオフは1989年4月27日に開始し、6月13日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対ボストン・セルティクス:3勝0敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はジョー・デュマーズらのボストン・セルティクスと対戦し、3勝0敗で危なげなく勝利してカンファレンス・セミファイナルに進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1989年4月28日 | ボストン・セルティクス | 91-101 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第2戦 | 1989年4月30日 | ボストン・セルティクス | 95-102 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第3戦 | 1989年5月2日 | デトロイト・ピストンズ | 100-85 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン |
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対ミルウォーキー・バックス:4勝0敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではリッキー・ピアースやフレッド・ロバーツらのミルウォーキー・バックスと対戦し、4勝0敗(スイープ)で危なげなく勝利しカンファレンス・ファイナルへ進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1989年5月10日 | ミルウォーキー・バックス | 80-85 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第2戦 | 1989年5月12日 | ミルウォーキー・バックス | 92-112 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第3戦 | 1989年5月14日 | デトロイト・ピストンズ | 110-90 | ミルウォーキー・バックス | ブラッドリー・センター | |
第4戦 | 1989年5月15日 | デトロイト・ピストンズ | 96-94 | ミルウォーキー・バックス | ブラッドリー・センター |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対シカゴ・ブルズ:4勝2敗
カンファレンス・ファイナルではマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズとの対戦となり、これを4勝2敗でなんとか制して史上初NBA優勝のかかったNBAファイナルへの切符をつかみました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1989年5月21日 | シカゴ・ブルズ | 94-88 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第2戦 | 1989年5月23日 | シカゴ・ブルズ | 91-100 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第3戦 | 1989年5月27日 | デトロイト・ピストンズ | 97-99 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第4戦 | 1989年5月29日 | デトロイト・ピストンズ | 86-80 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第5戦 | 1989年5月31日 | シカゴ・ブルズ | 85-94 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第6戦 | 1989年6月2日 | デトロイト・ピストンズ | 103-94 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム |
こうして迎えた1989年のNBAファイナルでは、デトロイト・ピストンズがマジック・ジョンソンらのロサンゼルス・レイカーズを4勝0敗(スイープ)し、フランチャイズ史上初となるNBA制覇を果たしました。
1989年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:デトロイト・ピストンズが史上初の優勝
今回は「1989年のNBAファイナルで優勝を果たした”デトロイト・ピストンズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝によりデトロイト・ピストンズはフランチャイズ史上初となるNBA優勝を果たしました。
また、ジョー・デュマーズはシリーズ平均27.3得点をあげ、自身初のファイナルMVPとなりました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!