こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1998-99シーズンを制したサンアントニオ・スパーズ(LAL)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
サンアントニオ・スパーズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
サンアントニオ・スパーズは1998年のNBAドラフトにて2名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
1 | 24 | フェリペ・ロペス | シューティングガード | ドミニカ共和国 | セント・ジョンズ大学 | - |
2 | 52 | デリック・ダイアル | シューティングガード | アメリカ合衆国 | イースタンミシガン大学 | - |
1998年ドラフトでサンアントニオ・スパーズが持っていた自前の指名権は2枚。
まずサンアントニオ・スパーズは1巡目24位でフェリペ・ロペスを指名しました。
しかし、フェリペ・ロペスはアントニオ・ダニエルズとのトレードですぐにバンクーバー・グリズリーズに移籍しました。
もう一枚、サンアントニオ・スパーズは2巡目52位でデリック・ダイアルを指名しています。
デリック・ダイアルは1年間をギリシャ・バスケットボールリーグのペリステリ・アテネでプレイしたのち、1999-2000シーズンよりサンアントニオ・スパーズでプレイ。
その後、2001-02シーズンを前にニュージャージー・ネッツに移籍しました。
1998年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
NBAファイナルまでの道のり:1998-99 サンアントニオ・スパーズのレギュラーシーズン
まずは1998-99レギュラーシーズンがサンアントニオ・スパーズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
デビッド・ロビンソンと昨シーズン新人王を受賞したティム・ダンカンとの”ツインタワー”で優勝を狙えると考えたサンアントニオ・スパーズのフロントは、彼らの周りにマリオ・エリーとジェローム・カーシーを補強しレギュラーシーズンに臨もうとしていました。
しかし、この年のNBAはオーナー側と選手側で契約金に関する条約を締結することができず、ロックアウト(リーグの中断)が起こる事態となります。
これによりオールスターは中止、レギュラーシーズンの50試合への短縮など大きな変化が起こりました。
【レギュラーシーズンの結果】
ロックアウトで50試合に短縮されたシーズンである上、マイケル・ジョーダンの引退と共に昨年まで3連覇(スリーピート)を成し遂げたシカゴ・ブルズが解体をしたことでレギュラーシーズンは混戦模様となります。
そんな中でもサンアントニオ・スパーズはデビッド・ロビンソンとティム・ダンカンを中心に安定した勝利を重ね、37勝13敗のウエスタンカンファレンス首位タイの成績でプレイオフに進出しました。
サンアントニオ・スパーズはミッドウエスト・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1998-99レギュラーシーズン ミッドウエスト・ディビジョンの結果】
ミッドウエスト・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
サンアントニオ・スパーズ | 37 | 13 | 0.740 | – | 21–4 | 16–9 | 17–4 | 50 |
ユタ・ジャズ | 37 | 13 | 0.740 | – | 22–3 | 15–10 | 15–3 | 50 |
ヒューストン・ロケッツ | 31 | 19 | 0.620 | 6 | 19–6 | 12–13 | 12–9 | 50 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 25 | 25 | 0.500 | 12 | 18–7 | 7–18 | 11–9 | 50 |
ダラス・マーベリックス | 19 | 31 | 0.380 | 18 | 15–10 | 4–21 | 8–12 | 50 |
デンバー・ナゲッツ | 14 | 36 | 0.280 | 23 | 12–13 | 2–23 | 5–16 | 50 |
バンクーバー・グリズリーズ | 8 | 42 | 0.160 | 29 | 7–18 | 1–24 | 3–18 | 50 |
サンアントニオ・スパーズはウエスタン・カンファレンスで 位を受賞し、プレイオフに進出しました。
【1998-99レギュラーシーズン ウエスタン・カンファレンスの結果】
ウエスタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | サンアントニオ・スパーズ | 37 | 13 | 0.740 | – | 50 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | 35 | 15 | 0.700 | 2 | 50 |
3 | ユタ・ジャズ | 37 | 13 | 0.740 | – | 50 |
4 | ロサンゼルス・レイカーズ | 31 | 19 | 0.620 | 6 | 50 |
5 | ヒューストン・ロケッツ | 31 | 19 | 0.620 | 6 | 50 |
6 | サクラメント・キングス | 27 | 23 | 0.540 | 10 | 50 |
7 | フェニックス・サンズ | 27 | 23 | 0.540 | 10 | 50 |
8 | ミネソタ・ティンバーウルブズ | 25 | 25 | 0.500 | 12 | 50 |
9 | シアトル・スーパーソニックス | 25 | 25 | 0.500 | 12 | 50 |
10 | ゴールデンステイト・ウォリアーズ | 21 | 29 | 0.420 | 16 | 50 |
11 | ダラス・マーベリックス | 19 | 31 | 0.380 | 18 | 50 |
12 | デンバー・ナゲッツ | 14 | 36 | 0.280 | 23 | 50 |
13 | ロサンゼルス・クリッパーズ | 9 | 41 | 0.180 | 28 | 50 |
14 | バンクーバー・グリズリーズ | 8 | 42 | 0.160 | 29 | 50 |
NBAファイナルまでの道のり:1998-99 サンアントニオ・スパーズのプレイオフ
次にサンアントニオ・スパーズが1998-99プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1998-99プレイオフの背景】
1998-1999シーズンのプレイオフは1999年5月8日に開始し、6月25日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対ミネソタ・ティンバーウルブズ:3勝1敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はケビン・ガーネット擁するミネソタ・ティンバーウルブズと対戦し、3勝1敗で破ってカンファレンス・セミファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1999年5月9日 | ミネソタ・ティンバーウルブズ | 86-99 | サンアントニオ・スパーズ | アラモドーム | |
第2戦 | 1999年5月11日 | ミネソタ・ティンバーウルブズ | 80-71 | サンアントニオ・スパーズ | アラモドーム | |
第3戦 | 1999年5月13日 | サンアントニオ・スパーズ | 85-71 | ミネソタ・ティンバーウルブズ | ターゲット・センター | |
第4戦 | 1999年5月15日 | サンアントニオ・スパーズ | 92-85 | ミネソタ・ティンバーウルブズ | ターゲット・センター |
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対ロサンゼルス・レイカーズ:4勝0敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではシャキール・オニールとコービー・ブライアントを擁するロサンゼルス・レイカーズと対戦し、4勝0敗(スイープ)で危なげなく破りカンファレンス・ファイナルに駒を進めました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1999年5月17日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 81-87 | サンアントニオ・スパーズ | アラモドーム | |
第2戦 | 1999年5月19日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 76-79 | サンアントニオ・スパーズ | アラモドーム | |
第3戦 | 1999年5月22日 | サンアントニオ・スパーズ | 103-91 | ロサンゼルス・レイカーズ | グレートウエスタン・フォーラム | |
第4戦 | 1999年5月23日 | サンアントニオ・スパーズ | 118-107 | ロサンゼルス・レイカーズ | グレートウエスタン・フォーラム |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対ポートランド・トレイルブレイザーズ:4勝0敗
カンファレンス・ファイナルではラシード・ウォレスやデイモン・スタウダマイアーらのポートランド・トレイルブレイザーズを4勝0敗(スイープ)で破り、余裕を持ってNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1999年5月29日 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | 76-80 | サンアントニオ・スパーズ | アラモドーム | |
第2戦 | 1999年5月31日 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | 85-86 | サンアントニオ・スパーズ | アラモドーム | |
第3戦 | 1999年6月4日 | サンアントニオ・スパーズ | 85-63 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | ローズガーデン・アリーナ | |
第4戦 | 1999年6月6日 | サンアントニオ・スパーズ | 94-80 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | ローズガーデン・アリーナ |
こうして迎えた1999年のNBAファイナルでは、サンアントニオ・スパーズがパトリック・ユーイング擁するニューヨーク・ニックスを4勝1敗で破り、フランチャイズ史上初めてとなるNBA優勝を果たしました。
1999年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:サンアントニオ・スパーズが初のNBA制覇
今回は「1999年のNBAファイナルで優勝を果たした”サンアントニオ・スパーズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝によりサンアントニオ・スパーズがフランチャイズ史上初、また元ABA所属チームとしても初めてとなるNBA優勝を果たしました。
また、”ティム・ダンカン”がNBA2年目にしてファイナル平均27.4得点14リバウンド2.2ブロックという驚異的なパフォーマンスを発揮し、自身初のファイナルMVPを獲得しました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!