1990年代に活躍したレジェンド「ペニー・ハーダウェイ」。
オーランド・マジックでシャキール・オニールと共にリーグ屈指のデュオとして活躍した一方で、怪我によってその全盛期のほとんどを棒に振ってしまった選手としても知られています。
一時は確かにNBAトップクラスの実力をもつガードだったのですが、活躍の期間が短いこともあってあまりよく知らない方も多いのではないでしょうか?
この記事では、そんなペニー・ハーダウェイがどんな選手だったのかを解説していきます。
プレースタイルやNBAキャリアをもとにペニーの魅力を語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
ペニー・ハーダウェイ:
“ジョーダンの後継者”と言われた天才プレイヤー
1993年NBAドラフトにて全体3位でオーランド・マジックへ入団し、リーグを代表する選手となった“ガラスの天才”「ペニー・ハーダウェイ」。
あの“バスケの神様”マイケル・ジョーダンによって「自分に代わる選手」として認められるほどのに実力を持っていた201cmの大型ポイントガードです。
その圧倒的な実力を持って1年先にマジックに入団していたリーグ屈指のセンターであるシャキール・オニールと共にすぐさま強豪チームを作り上げたものの、肉体的な全盛期を迎える前に怪我で実力を落としてしまった悔しいキャリアを歩んだことで有名なペニー。
だた、健康時の実力はNBAの歴史を見てもトップクラスのものであり、現在でも熱狂的なファンがいる少し変わった立場のレジェンドと言えるでしょう。
【ペニー・ハーダウェイの主な功績】
オールスター:4回(1995〜1998)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:2回(1995, 1996)
・サードチーム:1回(1997)
【プレースタイル】
パワーとスキルを兼ね備えた大型ポイントガード
身長201cmというポイントガードにしてはかなり大きい身長に加え、高い身体能力と多彩なスキルを持ち合わせていたペニー・ハーダウェイ。
高いドリブルスキルと広い視野、創造性のあるパスセンスに加え、高精度なミッドレンジシュートやポストプレーといったあらゆるオフェンススキルをハイレベルでこなすオールラウンダーであり、司令塔としてもスコアラーとしても活躍することができる選手でした。
また、長い手足とバスケットIQによって足手のパスをスティールする能力に長けており、1996年にはオールディフェンシブセカンドチームにも選出。
攻守の両方でチームを引っ張れる存在であり、オーランド・マジック時代にはその華のあるプレーで絶大な人気を誇っていました。
わずか5年でリーグの顔からどん底を経験したペニー・ハーダウェイの壮絶なキャリアを簡単に解説
圧倒的なスター性を持っていたペニーは、同時に「怪我さえなければ・・・」と言われ続けた選手でもあります。
ここからはそんなペニー・ハーダウェイの魅力をより深く知ってもらうために、彼の波瀾万丈なキャリアの一部を抜粋して簡単にご紹介していこうと思います。
オーランド・マジック史上初のNBAファイナルに進出
マイケル・ジョーダンが1度目の引退を発表した1993年、ジョーダンと入れ替わるように登場したペニー・ハーダウェイは、ジョーダンの空いた穴を埋める次世代のスーパースターとして絶大な人気を誇る選手でした。
この時オーランド・マジックはまだ創設4年目の弱小チームでしたが、1992年に全体1位でドラフトした怪物センター「シャキール・オニール」とペニーの2人はすぐさまリーグ最強デュオへと成長。
デュオ結成からわずか2年目の1995年にはNBAに復帰したてのマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズを倒し、オーランド・マジックを球団史上初となるNBAファイナルへと導いたのです。
NBAファイナルではアキーム・オラジュワンらのヒューストン・ロケッツによって屈辱のスウィープ(4連敗)をくらうものの、NBAで未来が最も明るいチームとしてみられていました。
人気すぎるが故の相棒「シャキール・オニール」との訣別
しかし、人気絶頂だったシャックとペニーのデュオにも思わぬ形で亀裂が生じることとなります。
自分中心のチームづくりを希望していたシャキール・オニールに対し、寡黙で淡々とプレーするペニー・ハーダウェイの存在はこれ以上ない相棒だったはずなのですが、地元メディアの持ち上げによってペニーの人気が急上昇。
ペニーがナイキ、シャックがリーボックと契約スポンサーがライバル関係にあったこともメディアにとっては対決を煽る絶好の餌だったようですね。
「オーランド・マジックはペニーのチーム」という声すら聞こえるようになってしまった状況に不満を感じていたシャックでしたが、その状況に拍車をかけるようにマジックの運営がシャックの給与を出し渋ってしまい、1995-96シーズンを最後にシャックはオーランド・マジックから出ていくことを決意してしまいました。
こうして一時はNBAファイナルにまで行ったリーグ最強のデュオは、わずか3年足らずで解散してしまうことになったのでした。
怪我の影響による短すぎた全盛期
シャックと訣別したことで名実ともにオーランド・マジックのリーダーとなったペニーでしたが、皮肉にもシャックと別れた翌年が怪我に悩まされるキャリアのスタートとなってしまいます。
1996-97シーズンには59試合、1997-98シーズンにはわずか19試合しか出場することができず、かつて絶大な人気を誇っていたスーパースターはわずか2年で自分チームの観客にブーイングされるというどん底を味わうことになったのでした。
翌年は短縮されたシーズンながら全試合に出場することができたものの、プレイオフで早々に敗退。
この頃にはペニーとヘッドコーチのチャック・デイリーとの間に確執ができており、ペニーは自分からオーランド・マジックを出ていってしまいました。
そこからはフェニックス・サンズ、ニューヨーク・ニックス、マイアミ・ヒートを転々とするもかつての実力を取り戻すことはできず、2007年をもって現役を引退。
“ジョーダンの後継者”と言われ、一度はそのジョーダンを下した実績を持つペニーですが、怪我のせいでその全盛期はあまりにも短く、不完全燃焼なものになってしまったのです。
根強い人気を誇るシグネチャーモデル「AIR PENNY (エア ペニー)シリーズ」
彼のキャリアについて語るとどうしても少し暗い話になってしまいますが、全盛期の人気は絶大であり、今でも根強いファンが多くいる選手です。
そんなペニーがNBAファイナルに進出した1995年にナイキとタッグを組んでリリースしたのがシグネチャーモデル「AIR MAX PENNY (エア マックス ペニー)1」でした。
その後も毎年「AIR PENNY (エア ペニー)シリーズ」として新作がリリースされ続け、シリーズ全6作が誕生。
ソーシャル・ステータス(Social Status)やステューシー(Stussy)などのブランドとのコラボレーションモデルも展開されており、モデルによっては復刻版も登場している人気シリーズとなりました。
現在は製造が終わってしまっているので新品を着用することができませんが、主にコレクション用としてオークションサイトなどで取引されているようです。
まとめ
“ジョーダンの後継者”と言われた1990年代を代表するポイントガードの1人「ペニー・ハーダウェイ」。
若くしてNBA制覇まであと一歩のところに到達しながらも、シャキール・オニールとの訣別や膝の怪我によって大きく変わってしまったキャリアが印象的な選手でした。
まさに“ガラスの天才”という言葉がよく似合う選手だと言えるでしょう。
もしシャックとペニーが同じチームで続けていれば・・・というのは、NBAの間で一生語られる議題なんだと思います。
ペニーのプレーは非常に華やかで見応えがあるので、まだ見たことがないという方はぜひYouTubeにあるハイライト動画を視聴してみてくださいね!