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【NBAファイナル1952】ミネアポリス・レイカーズ VS ニューヨーク・ニックス 全7試合の結果や流れを詳しく解説!

皆さんこんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。

これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。

一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。

その確率は脅威の0.0001%。

例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。

 

そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。

本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。

 

そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。

特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。

その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。

 

今回はその中から「NBAファイナル1952 ミネアポリス・レイカーズ VS ニューヨーク・ニックス」の対決をご紹介しましょう!

NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!

それではティップオフ!!

 

NBAファイナル1952に出場したチームの背景を知ろう!

1952年NBAファイナルはウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ミネアポリス・レイカーズ」とイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ニューヨーク・ニックス」の戦いでした。

まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!

 

ミネアポリス・レイカーズ

1951-52シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 40勝敗26(カンファレンス2位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル 2勝0敗(VS インディアナポリス・オリンピアンズ)
カンファレンス・ファイナル 3勝1敗(VS ロチェスター・ロイヤルズ)

 

「ミネアポリス・レイカーズ」はミネソタ州ミネアポリスに拠点を置くチームです。

現在は「ロサンゼルス・レイカーズ」に名称を変更しています。

エースは「ジョージ・マイカン」。

レギュラーシーズンを40勝26敗のカンファレンス2位で終えると、プレーオフでは準決勝で解散目前の「インディアナポリス・オリンピアンズ」を、決勝戦でボブ・デイヴィス要する「ロチェスター・ロイヤルズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

この年優勝を果たしたミネアポリス・レイカーズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!

 

ニューヨーク・ニックス

1951-52シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 37勝29敗(カンファレンス3位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル 2勝1敗(VS ボストン・セルティクス)
カンファレンス・ファイナル 3勝1敗(VS シラキュース・ナショナルズ)

 

「ニューヨーク・ニックス」はニューヨーク州ニューヨークに拠点を置くチームです。

この年のニックスはコニー・シモンズやマックス・ザスロフスキーらを中心に構成されていました。

レギュラーシーズンを37勝29敗のカンファレンス3位で終えると、プレーオフでは準決勝でボブ・クージーの「ボストン・セルティクス」を、決勝戦でポール・アリジン要する「シラキュース・ナショナルズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

NBAファイナル1952の出場選手・ロスター

次にNBAファイナル1952で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!

 

ミネアポリス・レイカーズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
SG 16 ボブ・ハリソン(Bob Harrison) 185 86 1927年8月12日
C 99 ジョージ・マイカン(George Mikan) 208 111 1924年6月18日
PF 12 ハウィー・シュルツ(Howie Schultz) 198 91 1922年7月3日
SF 17 ジム・ポラード(Jim Pollard) 193 84 1922年7月9日
SG 4, 15 ジョー・ハットン(Joe Hutton) 185 77 1928年10月6日
F 18 ジョン・ピルチ(John Pilch) 191 84 1925年7月11日
PF 11 ルー・ヒッチ(Lew Hitch) 203 91 1929年7月16日
SG 18 ペップ・ソウル(Pep Saul) 188 84 1924年2月16日
PG 22 スレーター・マーティン(Slater Martin) 178 77 1925年10月22日
PF 19 ヴァーン・ミッケルセン(Vern Mikkelsen) 201 104 1928年10月21日
SG 20 ホワイティ・スクーグ(Whitey Skoog) 180 82 1926年11月2日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

ニューヨーク・ニックスの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
PG 3, 16 アルフレッド・マグワイア(Alfred McGuire) 193 82 1928年9月7日
C 18 コーニー・シモンズ(Connie Simmons) 203 101 1925年3月15日
PG 15 ディック・マグワイア(Dick McGuire) 208 82 1926年1月25日
SF 9 アーニー・バンダウェイ(Ernie Vandeweghe) 191 88 1928年9月12日
SF 6, 17 ジョージ・カフタン(George Kaftan) 191 86 1928年2月22日
PF 11 ハリー・ギャラティン(Harry Gallatin) 198 95 1927年4月26日
C 19, 22 ハーブ・シーラー(Herb Scherer) 206 96 1928年12月21日
SG 10 マックス・ザスロフスキー(Max Zaslofsky) 193 77 1925年12月7日
PF 8 ナット・クリフトン(Nat Clifton) 198 100 1922年10月13日
SG 7 レイ・ルンプ(Ray Lumpp) 193 81 1923年7月11日
SF 12 ヴィンス・ボレイラ(Vince Boryla) 196 95 1927年3月11日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

NBAファイナル1952のシリーズ概要

それではいよいよNBAファイナル1952の試合の結果を見ていきましょう!

1951-52シーズンのNBAチャンピオンは「ミネアポリス・レイカーズ」。

チームとしては2年ぶり3回目の優勝となりました。

対戦成績は4勝3敗。

詳細な試合結果は以下のとおりです。

試合 日付 アウェイ 結果 ホーム
1 4月12日 ニューヨーク・ニックス 79-83 ミネアポリス・レイカーズ
2 4月13日 ニューヨーク・ニックス 80-72 ミネアポリス・レイカーズ
3 4月16日 ミネアポリス・レイカーズ 82-77 ニューヨーク・ニックス
4 4月18日 ミネアポリス・レイカーズ 89-90 ニューヨーク・ニックス
5 4月20日 ニューヨーク・ニックス 89-102 ミネアポリス・レイカーズ
6 4月23日 ミネアポリス・レイカーズ 68-76 ニューヨーク・ニックス
4月25日 ニューヨーク・ニックス 65-82 ミネアポリス・レイカーズ

 

NBAファイナル1952の試合の概要

ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。

王朝レイカーズが再びNBAの頂点に返り咲いたシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!

 

第1戦(79-83 ミネアポリス・レイカーズ Win)

NBAファイナルの1回戦はミネアポリス・レイカーズのホーム「セントポール大聖堂」で始まりました。

カンファレンスファイナルでロチェスター・ロイヤルズに去年の雪辱を果たし再度NBA制覇に燃えるレイカーズと、昨年ロイヤルズに敗れ今年こそは優勝を狙うニックスの一戦です。

初戦はレイカーズの思わぬ選手が試合を支配します。

この年平均得点15.5得点のジム・ポラードはこの試合34得点と躍動し、彼のおかげもあり前半はレイカーズが32-40とリードして折り返します。

しかし後半に入るとニックスが反撃を開始。

第3Qにはその差をなきものとすると、第4Qにはいるとすぐに追いつきます。

結局第4Qでは決着がつかず試合はオーバータイムにもつれましたが、オーバータイムはホームのレイカーズが制し初戦を勝利しました。

 

第2戦(80-72 ニューヨーク・ニックス Win)

レイカーズリードで迎えた第2戦。

第1戦を落としたニックスはディフェンスを修正。

レイカーズのフィールドゴール%をわずか29%に抑え得点を停滞させると、オフェンスでは全員が得点を決める多彩さをみせ勝利しました。

レイカーズはジョージ・マイカンが18得点21リバウンドと奮闘しますが、援護が乏しくホーム2連勝は果たせませんでした。

 

第3戦(82-77 ミネアポリス・レイカーズ Win)

対戦成績1-1として迎えた第3戦。

舞台はニューヨーク・ニックスのホーム「69th・レジメント・アーモリー」に移ります。

第2戦を見事勝利で飾りホームに戻ったニックスがそのまま勝利を掴むかと思われましたが、そこにレイカーズのジョージ・マイカンが立ちはだかります。

前半ニックスにリードされて折り返すと、マイカンは後半ギアを上げ猛反撃を開始。

この日は結局26得点17リバウンドの活躍でほぼ独力でレイカーズを勝利に導きました。

 

第4戦(89-90 ニューヨーク・ニックス Win)

レイカーズが再びリードを奪って迎えた第4戦。

この日は両チームが全力でぶつかり合った激戦となり、第1戦以来のオーバータイムに突入。

レイカーズはエースのジョージ・マイカンが11点に抑えられる中、スレイター・マーティンがそれを補う32得点を叩き出しチームを牽引します。

一方ニックスはコニス・シモンズが30得点と躍動し、チームを鼓舞し続けました。

試合は両チームの登録選手全員が得点を決める総力戦となり、最後にホームのニックスが意地の勝利をもぎ取りました。

 

第5戦(90-102 ミネアポリス・レイカーズ Win)

またも互角の状態で迎えた第5戦。

舞台はレイカーズのホーム「セントポール大聖堂」に戻ります。

ここまでの4戦は交互に勝利を掴んできましたが、この試合も例に漏れず手番のレイカーズが勝利を掴むことになります。

この日の勝利の立役者は32得点17リバウンドのセンター、ジョージ・マイカンと、同じく32得点12リバウンドを記録したパワーフォワードのヴァーン・ミッケルセンでした。

2人の活躍で完全にインサイドを制圧したレイカーズはニックスよりも20本近く多くのシュートを打ち、第3Qには試合を決めてしまいました。

 

第6戦(68-76 ニューヨーク・ニックス Win)

レイカーズが優勝に王手をかけて迎えた第6戦。

舞台はニックスのホーム「69th・レジメント・アーモリー」。

第5戦は大勝したレイカーズでしたが、この日は帳尻を合わせるかのようにシュートタッチが悪く、思うように得点を伸ばすことができません。

インサイドもこの日はニックスの方がうまく戦うことができており、リバウンドもニックスが12本多くキャッチしていました。

試合の最初と最後に点差をつけられたレイカーズは、ジョージ・マイカンの孤軍奮闘も虚しく敗北。

崖っぷちのニックスがホームで1勝を返し、シリーズは第7戦にもつれ込みました。

 

第7戦(65-82 ミネアポリス・レイカーズ Win)

運命の第7戦。

舞台はホーム「セントポール大聖堂」。

ここまで大接戦を演じてきた両者でしたが、最後の勝負は思いの外あっけなく終わりを告げました。

この日は非常にスローペースな試合となり、インサイドで強さを取り戻したレイカーズが試合を優位に進めます。

さらにここにきてニックスはシュートが絶不調に陥り、第3Qが終わった時点で37-49とレイカーズが12点リード。

迎えた最後の12分はニックスが突然ハイペースな展開に切り替えますが、むしろレイカーズが点差を広げる形で勝利。

これによりレイカーズが1年ぶりに王座を奪還しました。

 

まとめ

今回は「NBAファイナル1952 ミネアポリス・レイカーズ VS ニューヨーク・ニックス」の対決をご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

NBAができて間もない時代ですので毎年何かしらルールの変更がされていますが、このシーズンの最も大きな変化はペイントエリアが広がったことでした。

これによりレイカーズのエース、ジョージ・マイカンは平均得点を落とし、ファンやメディアに時代は終わったと言われ続けることとなります。

そんな中で、それら全てを黙らせるレイカーズの優勝。

やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!

他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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