皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1957 ボストン・セルティックス VS セントルイス・ホークス」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
NBAファイナル1957に出場したチームの背景を知ろう!
1957年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ボストン・セルティックス」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「セントルイス・ホークス」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
ボストン・セルティックス
1956-57シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 44勝28敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 3勝0敗(VS シラキュース・ナショナルズ) |
「ボストン・セルティックス」はマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くチームです。
エースは「ビル・シャーマン」。
レギュラーシーズンを44勝28敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でドルフ・シェイズ要する「シラキュース・ナショナルズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたボストン・セルティックスがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
セントルイス・ホークス
1956-57シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 34勝38敗(カンファレンス同率1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 3勝0敗(VS ミネアポリス・レイカーズ) |
「セントルイス・ホークス」はミズーリ州セントルイスに拠点を置くチームです。
エースは「ボブ・ペティット」。
レギュラーシーズンを34勝38敗のカンファレンス同率1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でジョージ・マイカン引退直後の「ミネアポリス・レイカーズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1957の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1957で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
ボストン・セルティックスの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PG | 17 | アンディ・フィリップ(Andy Phillip) | 188 | 88 | 1922年3月7日 |
C | 19 | アーニー・ライゼン(Arnie Risen) | 206 | 91 | 1924年10月9日 |
C | 6 | ビル・ラッセル(Bill Russell) | 208 | 98 | 1934年2月12日 |
SG | 21 | ビル・シャーマン(Bill Sharman) | 185 | 79 | 1926年5月25日 |
PG | 14 | ボブ・クージー(Bob Cousy) | 185 | 79 | 1928年8月9日 |
PF | 20 | ディック・ヘムリック(Dick Hemric) | 198 | 100 | 1933年8月29日 |
SG | 23 | フランク・ラムゼィ(Frank Ramsey) | 191 | 86 | 1931年7月13日 |
PF | 16 | ジャック・ニコルズ(Jack Nichols) | 201 | 101 | 1926年4月9日 |
SF | 18 | ジム・ロスカトフ(Jim Loscutoff) | 196 | 100 | 1930年2月4日 |
SF | 29 | ルー・ツィオロプロス(Lou Tsioropoulos) | 196 | 86 | 1930年8月31日 |
SF | 12 | トーゴー・パラッツィ(Togo Palazzi) | 193 | 93 | 1932年8月8日 |
PF | 15 | トム・ヘインソーン(Tom Heinsohn) | 201 | 99 | 1934年8月26日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
セントルイス・ホークスの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PF | 33 | アレックス・ハナム(Alex Hannum) | 201 | 95 | 1923年7月19日 |
G | - | ボブ・ハリソン(Bob Harrison) | 185 | 86 | 1927年8月12日 |
C | 9 | ボブ・ペティット(Bob Pettit) | 206 | 93 | 1932年12月12日 |
C | 70 | チャック・シェアー(Chuck Share) | 211 | 107 | 1927年3月14日 |
SF | 6, 17 | クリフ・ヘイガン(Cliff Hagan) | 193 | 95 | 1931年12月9日 |
PF | 20, 50 | エド・マコーレー(Ed Macauley) | 203 | 84 | 1928年3月22日 |
SF | 26 | アーヴ・ベモラス(Irv Bemoras) | 191 | 84 | 1930年11月18日 |
PF | 12 | ジャック・コールマン(Jack Coleman) | 201 | 88 | 1924年5月23日 |
SG | 21 | ジャック・マクマホン(Jack McMahon) | 185 | 84 | 1928年12月3日 |
F | 25 | ジョン・バーバー(John Barber) | 198 | 95 | 1927年6月27日 |
SG | 32 | メッド・パーク(Med Park) | 188 | 93 | 1933年4月11日 |
F | 22 | ノーム・スチュワート(Norm Stewart) | 196 | 93 | 1935年1月20日 |
SF | 15 | オディ・スピアーズ(Odie Spears) | 196 | 93 | 1924年6月17日 |
PG | 22 | スレーター・マーティン(Slater Martin) | 178 | 77 | 1925年10月22日 |
F-C | 33 | ウィリー・ナオルス(Willie Naulls) | 198 | 102 | 1934年10月7日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1957のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1957の試合の結果を見ていきましょう!
1956-57シーズンのNBAチャンピオンは「ボストン・セルティクス」。
チームとしては史上初の優勝となりました。
対戦成績は4勝3敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 3月30日 | セントルイス・ホークス | 125-123 | ボストン・セルティクス |
2 | 3月31日 | セントルイス・ホークス | 99-119 | ボストン・セルティクス |
3 | 4月6日 | ボストン・セルティクス | 98-100 | セントルイス・ホークス |
4 | 4月7日 | ボストン・セルティクス | 123-118 | セントルイス・ホークス |
5 | 4月9日 | セントルイス・ホークス | 109-124 | ボストン・セルティクス |
6 | 4月11日 | ボストン・セルティクス | 94-96 | セントルイス・ホークス |
7 | 4月13日 | セントルイス・ホークス | 123-125 | ボストン・セルティクス |
NBAファイナル1957の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
セルティクス王朝の幕開けとも言えるシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(125-123 セントルイス・ホークス Win)
NBAファイナルの1回戦はボストン・セルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」で始まりました。
ボストン・セルティクス史上初のNBAファイナルの相手は奇しくもドラフトでビル・ラッセルを獲得し、直後のトレードでセルティクスに放出した、セントルイスホークスでした。
このトレードは今の私たちが見れば11度の優勝のキーマンをみすみす逃した最悪なトレードに見えますが、ホークスもこのトレードで手薄だったインサイドを充実させることに成功しており、当時はそれほど悪くは見られていなかったようです。
そんな不思議な因縁の中で迎えた第1戦は、いきなりダブルオーバータイムにもつれ込む大接戦となります。
互いに主力もベンチメンバーも全員が10分以上出場する総力戦となりましたが、ダブルオーバータイム終了の残り数秒でジャック・コールマンが土壇場のロングショットを決め、これが決勝点となってホークスが勝利しました。
ホークスはボブ・ペティットがチームハイの37得点14リバウンド。
セルティクスもビル・シャーマンが36得点を記録しました。
NBAファイナルデビュー戦となったビル・ラッセルは7得点18リバウンドの活躍でしたが、勝利で飾ることができませんでした。
第2戦(99-119 ボストン・セルティクス Win)
セルティクスリードで迎えた第2戦。
第1戦に勝利したホークスは勢いに乗リタイところでしたが、この日は主力選手のシュートタッチが軒並み悪く、自ら勢いを潰してしまいました。
さらにファイナル初勝利に燃えるラッセルが11得点25リバウンドとインサイドで暴れ始めると手のつけようがなく、点差はみるみる開いてセルティクスが大差で勝利を収めました。
ホークスは20得点以上を記録した選手が1人もおらず、チームハイがベンチから出てきたエド・マーコレーの19得点に終わりました。
第3戦(98-100 セントルイス・ホークス Win)
対戦成績1-1のタイで迎えた第3戦。
舞台はセントルイス・ホークスのホーム「キール・オーディトリアム」に移ります。
この日は第2戦と対象的にセルティクスの選手たちがシュートスランプに。
セルティクスはチーム全体でのフィールドゴール%が30%を下回りましたが、それでも持ち前のディフェンス力でホークスのオフェンスを最大限に抑え込み。前半は44-40とセルティクスが4点リードで折り返します。
しかし後半、ホームのホークスが得点を取れるようになると流れは一気にホークスへ傾き、すぐさま逆転に成功。
終盤セルティクスはクリフ・ヘイガンが孤軍奮闘しましたが及ばず、ホークスが逆転勝利でシリーズをリードしました。
第4戦(123-118 ボストン・セルティクス Win)
再びホークスリードで迎えた第4戦。
この日は両チーム主力同士がぶつかり合い、ハイスコアな殴り合いの試合が展開されました。
セルティクスはボブ・クージーが31得点8アシスト、ビル・シャーマンが24得点9リバウンド、ビル・ラッセル17得点20リバウンドを記録。
一方ホークスもボブ・ペティットが33得点16リバウンド、クリフ・ヘイガンが25得点9リバウンド、エド・マーコレーが22得点を記録しました。
激戦となりましたが、第2Qにセルティクスが大きなリードを作ることに成功し、後半ホークスが追い上げを見せるもリードを守り切ったセルティクスが勝利。
対戦成績は2-2となって舞台はボストンに移ります。
第5戦(109-124 ボストン・セルティクス Win)
両者互角で迎えた第5戦。
舞台はセルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」。
勝てば優勝に王手となる大事な一戦でしたが、セルティクスがホームで実力を遺憾無く発揮し、2桁以上の差で勝利を掴みました。
ホークスはペティットが33得点15リバウンドと孤軍奮闘。
セルティクスはシャーマンがチームはいの32得点、さらにトム・ヘインソーンが23得点、クージーが21得点と続きました。
第6戦(94-96 セントルイス・ホークス Win)
セルティクス王手で迎えた第6戦。
舞台はホークスのホーム「キール・オーディトリアム」です。
崖っぷちとなったホークスは何がなんでもホームで勝利を奪うため、ディフェンスとリバウンドに奔走。
ペティットが23リバウンド、ヘイガンが20リバウンド、ジャック・コールマンが17リバウンドを記録し、インサイドが強みのセルティクスのお株を奪って試合を有利に進めました。
試合は両者得点が入らずロースコアな接戦となりますが、最後はホームのホークスが執念の勝利で優勝への望みをつなぎました。
第7戦(123-125 ボストン・セルティクス Win)
運命の第7戦。
舞台はセルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」。
第1戦からダブルオーバータイムで始まったこのシリーズは最終戦もダブルオーバータイムにもつれ込む大接戦となります。
ホームで試合を優位に進めたいセルティクスでしたが、なんとセルティクスの誇るバックコートコンビであるクージーとシャーマンが揃ってフィールドゴール10%台と絶不調に陥ります。
そんなチームのピンチを救ったのはラッセルとヘインソーンの”新人”コンビでした。
この日ラッセルは19得点32リバウンド、ヘインソーンは37得点23リバウンドを記録。
大型新人2人のおかげて試合は接戦のまま終盤へ向かいました。
試合時間残り1分を切って101-100とホークスがリード。
なおもホークスのオフェンスでしたが、ここをラッセルが値千金のブロックでシャットアウトし、速攻が決まってセルティクスが逆転に成功します。
その後クージーがフリースローを1本決め2点諭しますが、直後にホークスのエース、ボブ・ペティットも執念のプレイでフリースローを奪い同点として試合はオーバータイムに突入。
1度のオーバータイムでは決着がつかずにダブルオーバータイムにもつれ込んだ試合は、最後にジム・ロスカトフのフリースローが決勝点となって試合終了。
セルティクスが悲願の初優勝を決めました。
まとめ
今回は「NBAファイナル1957 ボストン・セルティックス VS セントルイス・ホークス」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
この年はボブ・クージーとビル・シャーマンのバックコートデュオにビル・ラッセルを加えたセルティクスの王朝トリオが完成したシーズンであり、セルティクスの伝説はこの年から始まりました。
また、ラッセルの影に隠れがちですが、同じ年にセルティクスに入団したトム・ヘインソーンも相当の大型新人であり、後のセルティクスの11度の優勝に大きく貢献します。
彼ら2人を獲得したこの年のドラフトは、セルティクスに突って運命の日だったと言っても過言ではないでしょう。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!