皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1962 ボストン・セルティックス VS ロサンゼルス・レイカーズ」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
NBAファイナル1962に出場したチームの背景を知ろう!
1962年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ボストン・セルティックス」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ロサンゼルス・レイカーズ」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
ボストン・セルティックス
1961-62シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 60勝20敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 4勝3敗(VS フィラデルフィア・ウォリアーズ) |
「ボストン・セルティックス」はマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くチームです。
エースは「ビル・ラッセル」。
レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でウィルト・チェンバレン要する「フィラデルフィア・ウォリアーズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたボストン・セルティックスがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
ロサンゼルス・レイカーズ
1961-62シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 54勝26敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 4勝2敗(VS デトロイト・ピストンズ) |
「ロサンゼルス・レイカーズ」はカリフォルニア州ロサンゼルスに拠点を置くチームです。
エースは「ジェリー・ウエスト」。
レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でオスカー・ロバートソンのロイヤルズを打ち倒し上がってきた「デトロイト・ピストンズ」を難なく倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1962の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1962で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
ボストン・セルティックスの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PG | 22 | アル・バトラー(Al Butler) | 188 | 79 | 1938年7月9日 |
C | 6 | ビル・ラッセル(Bill Russell) | 208 | 98 | 1934年2月12日 |
PG | 14 | ボブ・クージー(Bob Cousy) | 185 | 79 | 1928年8月9日 |
PG | 4 | カール・ブラウン(Carl Braun) | 196 | 81 | 1927年9月25日 |
SG | 23 | フランク・ラムゼィ(Frank Ramsey) | 191 | 86 | 1931年7月13日 |
PG | 21 | ゲイリー・フィリップス(Gary Phillips) | 191 | 86 | 1939年12月7日 |
SF | 20 | ジーン・グアリリア(Gene Guarilia) | 196 | 100 | 1937年9月13日 |
SF | 18 | ジム・ロスカトフ(Jim Loscutoff) | 196 | 100 | 1930年2月4日 |
PG | 25 | K・C・ジョーンズ(K.C. Jones) | 185 | 91 | 1932年5月25日 |
SG | 24 | サム・ジョーンズ(Sam Jones) | 193 | 90 | 1933年6月24日 |
PF | 15 | トム・ヘインソーン(Tom Heinsohn) | 201 | 99 | 1934年8月26日 |
SF | 16 | トム・サンダース(Tom Sanders) | 198 | 95 | 1938年11月8日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
ロサンゼルス・レイカーズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PG | 52 | ボブ・マクニール(Bob McNeill) | 185 | 77 | 1938年10月22日 |
SG | 24 | ボブ・シムズ(Bob Sims) | 196 | 100 | 1938年10月9日 |
G | 21 | ボビー・スミス(Bobby Smith) | 193 | 86 | 1937年8月20日 |
SF | 22 | エルジン・ベイラー(Elgin Baylor) | 196 | 102 | 1934年9月16日 |
SG | 11 | フランク・セルヴィ(Frank Selvy) | 191 | 82 | 1934年9月16日 |
PG | 33 | ホット・ロッド・ハンドリー(Hot Rod Hundley) | 193 | 84 | 1934年10月26日 |
PF | 54 | ハウィー・ヨリフ(Howie Jolliff) | 201 | 99 | 1938年7月20日 |
PG | 44 | ジェリー・ウエスト(Jerry West) | 191 | 79 | 1938年5月28日 |
C | 32 | ジム・クレープス(Jim Krebs) | 203 | 104 | 1935年9月8日 |
C | 14 | レイ・フェリックス(Ray Felix) | 211 | 100 | 1930年12月10日 |
PF | 35 | ルディ・ラルッソ(Rudy LaRusso) | 201 | 100 | 1937年11月11日 |
SF | 20 | トム・ホーキンス(Tom Hawkins) | 196 | 95 | 1936年12月22日 |
C | 55 | ウェイン・イエーツ(Wayne Yates) | 203 | 107 | 1937年11月7日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1962のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1962の試合の結果を見ていきましょう!
1961-62シーズンのNBAチャンピオンは「ボストン・セルティクス」。
チームとしては4年連続5回目の優勝となりました。
対戦成績は4勝3敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 4月7日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 108-122 | ボストン・セルティクス |
2 | 4月8日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 129-122 | ボストン・セルティクス |
3 | 4月10日 | ボストン・セルティクス | 115-117 | ロサンゼルス・レイカーズ |
4 | 4月11日 | ボストン・セルティクス | 115-103 | ロサンゼルス・レイカーズ |
5 | 4月14日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 126-121 | ボストン・セルティクス |
6 | 4月16日 | ボストン・セルティクス | 119-105 | ロサンゼルス・レイカーズ |
7 | 4月18日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 107-110 | ボストン・セルティクス |
NBAファイナル1962の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
レイカーズが3年ぶりに絶対王者に挑んだシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(108-122 ボストン・セルティクス Win)
NBAファイナルの1回戦はボストン・セルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」で始まりました。
ジョージ・マイカンの引退以降一時はリーグ最下位まで成り下がったレイカーズでしたが、ジェリー・ウエストとエルジン・ベイラーという強力なデュオを獲得し再びファイナルの舞台へ帰ってきました。
昨年史上2チーム目となるNBA3連覇を達成し、この年優勝すればレイカーズの持つ最多優勝記録に並ぶ5回目の優勝となるセルティクスは、昨年同様磐石の体制でファイナルに臨みました。
第1戦は序盤若さのレイカーズがセルティクスを勢いで押して試合を有利に進めますが、第2Qに徐々にエンジンを上げたセルティクスが反撃を開始。
第2、第3Qで合計24得点セルティスクが上回り、レイカーズに王者の実力を見せつけました。
試合はそのままセルティクスが勝利し、セルティクスがリードで試合は進んでいきます。
第2戦(129-122 ロサンゼルス・レイカーズ Win)
セルティクスリードで迎えた第2戦。
この日はレイカーズの新星バックコートが火を吹きます。
ジェリー・ウエストが40得点、エルジン・ベイラーが36得点12リバウンドとチームを牽引し、試合を通して安定して得点を重ね続けました。
セルティクスもトム・ヘインソーンが27得点と躍動しなんとか食らいつきますが、最後はレイカーズの勢いが勝り点差を広げられる形で試合終了。
シリーズを1-1のタイに戻し、舞台はロサンゼルスに向かいます。
第3戦(115-117 ロサンゼルス・レイカーズ Win)
対戦成績1-1で迎えた第3戦。
舞台はロサンゼルス・レイカーズのホーム「ロサンゼルス・メモリアル・スポーツアリーナ」。
第2戦を勝利で終えたレイカーズはホームでさらに流れに乗ります。
特にこの日のエルジン・ベイラーの活躍は凄まじく、たとえシュートが外れてもファールを獲得し続けて得点を伸ばし、試合が終わる頃には39得点23リバウンドを記録。
ウエストも負けじと36得点を記録し、この2人のほぼ独壇場という展開でレイカーズがセルティクスを追い詰めていきました。
しかし、第4Qにはセルティクスが反撃を開始します。
第4Qの初めに9点あった点差はみるみる減っていき、ついには同点まで追いつきますが、撃ち合いとなった末にレイカーズが攻撃力で上回り勝利を掴みました。
第4戦(115-103 ボストン・セルティクス Win)
レイカーズ2連勝で迎えた第3戦。
連勝の後さらにホームでもう一戦とかなり流れはレイカーズに傾きつつありましたが、この試合はあっけなくセルティクスが勝利します。
第1Qでレイカーズのミスもあり12点のリードを奪ったセルティクスは、その後もコンスタントに得点。
試合は互いに得点を試合展開になり、結果的には第1Qの12点を保ったまま試合は終了。
これでシリーズは2-2のタイで決戦の舞台はボストンに戻っていきます。
第5戦(126-121 ロサンゼルス・レイカーズ Win)
2-2のタイで迎えた第5戦。
勝った方が先に優勝に王手をかけるという大事な一戦です。
セルティクスホームということもありセルティクスが有利に試合を進めていくと予想されましたが、試合はレイカーズのある選手によって接戦の様相を呈することとなります。
この日の主役は48分間のフル出場を果たしたエルジン・ベイラー。
セルティクスが全員バスケで得点を伸ばしていくのに対して、レイカーズはひたすらベイラーが1人で得点を重ね続けました。
それでも試合は第3Q終了時点で93-99とセルティクスがリードで第4Qへ。
しかしそこからさらにベイラーが加速し、レイカーズが流れを掴みます。
みるみる点差を縮め第4Q中盤にレイカーズが逆転、そこからさらに得点を重ねてセルティクスを置き去りにしました。
最後はセルティクスが反撃するもレイカーズの勢いに届かず、レイカーズが点差を保って勝利。
終わってみればベイラーは当時プレーオフ記録である61得点を記録。
敵地で貴重な1勝をあげたレイカーズが先にシリーズ王手をかけたのでした。
セルティクスはトム・ヘインソーンがチームハイの30得点を記録しました。
第6戦(119-105 ボストン・セルティクス Win)
レイカーズ王手で迎えた第6戦。
舞台はレイカーズのホーム「ロサンゼルス・メモリアル・スポーツアリーナ」。
ベイラーの歴史的な活躍により第5戦に勝利したレイカーズはホームで優勝を決めるべく、前半か猛攻撃を仕掛けました。
追い詰められたセルティクスも当然応戦しますが、前半は57-65とホームのレイカーズが8点リードして折り返します。
しかし後半、セルティクスのリーグ有数のディフェンスがレイカーズを苦しめます。
レイカーズを第3Qわずか16得点に抑え込むと、流れがセルティクスに傾き一気に逆転。
そのまま第4Qもレイカーズに反撃の隙を与えず、セルティクスが勝利しました。
この勝利によりシリーズは3-3のタイとなり、勝負は第7戦にもつれ込みました。
この日セルティクスはジョーンズがチームハイの35得点を記録。
レイカーズはウエストとベイラーがそれぞれ34得点を記録しました。
第7戦(107-110 ボストン・セルティクス Win)
運命の第7戦。
舞台はセルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」。
ここまで2週間にわたる死闘を繰り広げてきた両者でしたが、この日は最終戦に相応しく両チーム死力を尽くした大接戦となります。
前半ボストンがリードをしたかと思えば後半にレイカーズが取り返し、同点のまま75-75の同点のまま勝負は第4Qに突入。
第4Qも全く点差の開かない殴り合いとなり、残り5秒の時点で100-100と同点で進みます。
この瞬間に最後の攻撃権を持っていたのはレイカーズ。
セルティクスは当然この日41得点のベイラーと35得点のウエストにディフェンスを集中させました。
しかしそれを読んでいたレイカーズはボールをフランク・セルヴィに託します。
セルヴィは完全フリーの状態でシュート。
この瞬間は、レイカーズが1960年代で最も優勝に近づいた瞬間となります。
しかし無情にもボールはリングに嫌われ、レイカーズの優勝は手からこぼれ落ちていきました。
試合はこの後オーバータイムに突入し、セルティクスが強さを見せたことで激戦を制し勝利。
セルティクスが史上初となるNBA4連覇を達成し、チームの優勝回数でもレイカーズと並びました。
この大一番でビル・ラッセルはNBA記録となる1試合40リバウンドを記録。
シリーズ通算での189リバウンドもNBA記録となりました。
まとめ
今回は「NBAファイナル1962 ボストン・セルティックス VS ロサンゼルス・レイカーズ」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
セルティクスとレイカーズのライバル関係は実質この年から始まったと言っても過言ではありません。
この年を皮切りにレイカーズはセルティクスに何度も挑み続けますが、ついにビル・ラッセル率いるセルティクスを打ち倒すことは叶わず彼の引退を迎えることとなります。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!