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【NBAファイナル1969】ボストン・セルティックス VS ロサンゼルス・レイカーズ 全7試合の結果や流れを詳しく解説!

皆さんこんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。

これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。

一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。

その確率は脅威の0.0001%。

例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。

 

そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。

本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。

 

そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。

特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。

その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。

 

今回はその中から「NBAファイナル1969 ボストン・セルティックス VS ロサンゼルス・レイカーズ」の対決をご紹介しましょう!

NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!

それではティップオフ!!

 

NBAファイナル1969に出場したチームの背景を知ろう!

1969年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ボストン・セルティックス」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ロサンゼルス・レイカーズ」の戦いでした。

まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!

 

ボストン・セルティックス

1968-69シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 48勝34敗(カンファレンス4位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル 4勝1敗(VS フィラデルフィア・76ers)
カンファレンス・ファイナル 4勝2敗(VS ニューヨーク・ニックス)

 

「ボストン・セルティックス」はマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くチームです。

エースは「ビル・ラッセル」。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは準決勝でビリー・カニンガム率いる「フィラデルフィア・76ers」を、決勝戦でウォルト・フレイジャー要する「ニューヨーク・ニックス」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

この年優勝を果たしたボストン・セルティックスがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!

 

ロサンゼルス・レイカーズ

1968-69シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 55勝27敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル 4勝2敗(VS サンフランシスコ・ウォリアーズ)
カンファレンス・ファイナル 4勝1敗(VS アトランタ・ホークス)

 

「ロサンゼルス・レイカーズ」はカリフォルニア州ロサンゼルスに拠点を置くチームです。

エースは「エルジン・ベイラー」。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは準決勝でネイト・サーモンドらの「サンフランシスコ・ウォリアーズ」を、決勝戦でビル・ブリッジスらの「アトランタ・ホークス」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

NBAファイナル1969の出場選手・ロスター

次にNBAファイナル1969で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!

 

ボストン・セルティックスの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
PF 18 ベイリー・ハウエル(Bailey Howell) 201 95 1937年1月20日
C 6 ビル・ラッセル(Bill Russell) 208 98 1934年2月12日
PF 29 バド・オルセン(Bud Olsen) 203 100 1940年7月25日
SG 12 ドン・チェイニー(Don Chaney) 196 95 1946年3月22日
SF 19 ドン・ネルソン(Don Nelson) 198 95 1940年5月15日
PG 7 エム・ブライアント(Em Bryant) 185 79 1938年11月4日
C 28 ジム・バーンズ(Jim Barnes) 203 95 1941年4月13日
SG 17 ジョン・ハブリチェック(John Havlicek) 196 92 1940年4月8日
PG 20 ラリー・ジークフリード(Larry Siegfried) 191 86 1939年5月22日
PG 11 マル・グラハム(Mal Graham) 185 84 1945年2月23日
C 26 リッチ・ジョンソン’(Rich Johnson) 201 95 1946年12月18日
SG 24 サム・ジョーンズ(Sam Jones) 193 90 1933年6月24日
SF 16 トム・サンダース(Tom Sanders) 198 95 1938年11月8日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

ロサンゼルス・レイカーズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
PF 30 ビル・ヒューイット(Bill Hewitt) 201 95 1944年8月8日
SG 40 クリフ・アンダーソン(Cliff Anderson) 188 91 1944年9月7日
SF 22 エルジン・ベイラー(Elgin Baylor) 196 102 1934年9月16日
SG 12 フレディ・クロフォード(Freddie Crawford) 193 86 1941年12月23日
PF 52 ジェイ・カーティー(Jay Carty) 203 100 1941年7月4日
SG 44 ジェリー・ウエスト(Jerry West) 191 79 1938年5月28日
PG 21 ジョニー・イーガン(Johnny Egan) 180 81 1939年1月31日
SG 24 キース・エリクソン(Keith Erickson) 196 88 1944年4月19日
PF 31 メル・カウンツ(Mel Counts) 213 104 1941年10月16日
SF 33 トム・ホーキンス(Tom Hawkins) 196 95 1936年12月22日
C 13 ウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain) 216 124 1936年8月21日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

NBAファイナル1969のシリーズ概要

それではいよいよNBAファイナル1969の試合の結果を見ていきましょう!

1968-69シーズンのNBAチャンピオンは「ボストン・セルティクス」。

チームとしては2年連続11回目の優勝となりました。

対戦成績は4勝3敗。

詳細な試合結果は以下のとおりです。

試合 日付 アウェイ 結果 ホーム
1 4月23日 ボストン・セルティクス 118-120 ロサンゼルス・レイカーズ
2 4月25日 ボストン・セルティクス 112-118 ロサンゼルス・レイカーズ
3 4月27日 ロサンゼルス・レイカーズ 105-111 ボストン・セルティクス
4 4月29日 ロサンゼルス・レイカーズ 88-89 ボストン・セルティクス
5 5月1日 ボストン・セルティクス 104-117 ロサンゼルス・レイカーズ
6 5月3日 ロサンゼルス・レイカーズ 90-99 ボストン・セルティクス
5月5日 ボストン・セルティクス 108-106 ロサンゼルス・レイカーズ

 

ファイナルMVPはレイカーズの「ジェリー・ウエスト」。

今年から始まった表彰であるファイナルMVPは優勝したセルティクスからではなく、レイカーズから選出されました。

優勝しなかったチームからファイナルMVPが選出されたのはジェリー・ウエストが最初で最後となります。

 

NBAファイナル1969の試合の概要

ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。

東西のライバル同士の争いとなったシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!

 

第1戦(118-120 ロサンゼルス・レイカーズ Win)

NBAファイナルの1回戦はロサンゼルス・レイカーズのホーム「ザ・フォーラム」で始まりました。

昨年王者ながらカンファレンス4位まで落ち込み、そこからアップセットの連続で這い上がってきたセルティクス。

ジェリー・ウエスト、エルジン・ベイラーにウィルト・チェンバレンを加え、BIG3を形成して打倒セルティクスに燃えるレイカーズ。

2年連続7回目となった両者の激突は第1戦から非常に白熱した試合となりました。

ビル・ラッセルに変わってセルティクスのエースとなったこの日37得点のジョン・ハブリチェックの活躍もあり、前半は58-56のセルティクスリードで折り返します。

しかしこの日ホームの声援を浴びて試合を支配したのはレイカーズのエース、ジェリー・ウエストでした。

53得点10リバウンドというモンスターパフォーマンスを記録したウエストは、接戦となった終盤でも勢いそのままにセルティクスを粉砕。

2点差の戦いを制し、レイカーズが初戦をものにしました。

 

第2戦(112-118 ロサンゼルス・レイカーズ Win)

レイカーズリードで迎えた第2戦。

第1戦のリベンジに燃えるセルティクスはハブリチェックが第1戦を上回る活躍で43得点13リバウンドを記録。

前半を55-53となんとかリードで折り返します。

しかし後半、再度レイカーズの猛攻が展開され、ジェリー・ウエストが41得点、エルジン・ベイラーが32得点を記録する活躍で試合をひっくり返しました。

チェンバレンは自身は4得点に終わったものの、ビルラッセルをわずか9得点に抑えるという偉業を成し遂げチームに貢献しました。

 

第3戦(105-111 ボストン・セルティクス Win)

レイカーズ2連勝で迎えた第3戦。

舞台はボストン・セルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」に移ります。

アウェイ2連敗を喫しこの試合も負ければ後がなくなるセルティクスは、ホームで流れを変えるべく序盤から積極的にレイカーズのゴールにアタックします。

この日崖っぷちだったレイカーズを救ったのはエースのジョン・ハブリチェック。

3戦連続となる30点越えのパフォーマンスを発揮しチームを牽引すると、前半だけで17点差をつけることに成功します。

しかし第3Qなんと前半の17点差を一気に0にするレイカーズの大爆発があり、勝負は第4Qへ。

追いつかれはしたものの、ホームで地の利を得ているセルティクスは第4Qを落ち着いて対処し、最後に点差を広げて勝利しました。

 

第4戦(88-89 ボストン・セルティクス Win)

依然レイカーズリードで迎えた第4戦。

両チームともに100点を超えていた第3戦までとは違い、第4戦はシリーズきってのロースコアな試合となりました。

第2Qに点差を広げたのはセルティクスでしたが、第3Qにこの日40得点となるウエストを中心にレイカーズが反撃し、そのまま逆転します。

そこからは接戦となり、試合は残り15秒で88-87とレイカーズが1点リードの場面。

この時点でレイカーズボールとほぼレイカーズの勝利は決まっているかのように思われましたが、ここでイーム・ブライアントが値千金のスティールでボールを奪取。

ダイムアウト後にセルティクスがボールを託したのはエースのハブリチェックではなく、シューターのサム・ジョーンズ。

ジョーンズは落ち着いてシュートを打ち、逆転のブザージーターを奪ってセルティクスが劇的勝利を掴みました。

 

第5戦(104-117 ロサンゼルス・レイカーズ Win)

対戦成績2-2のタイで迎えた第5戦。

勝った方が優勝に王手となるこの一戦でホームコートアドバンテージを持つレイカーズは、シリーズの立て直しを図ります。

序盤こそ接戦の戦いとなったものの、次第にチャンバレンがゴール下を支配し始めるとオフェンスも流れに乗り始め、レイカーズが流れを掴みます。

この日39得点のウエストを中心に加速したレイカーズは第2Q以降点差を広げ続けてそのまま勝利しました。

この日インサイドで暴れ回ったチェンバレンは13得点31リバウンドを記録します。

セルティクスはハブリチェックが18得点に終わり、他選手が踏ん張るものの得点を伸ばすことができませんでした。

しかしこの日、レイカーズに不運が訪れます。

ジェリー・ウエストの怪我。

打倒セルティクスにあと1勝と迫りながらも不安を残したままホームへと戻りました。

 

第6戦(90-99 ボストン・セルティクス Win)

勝負の第6戦。

レイカーズが優勝に王手をかけた状態でレイカーズのホームアリーナに戻ります。

ホームで優勝を決めてしまいたいレイカーズはウエストが怪我を押して出場を決行。

それでも当然ウエストは本調子ではなく、他選手、特にチェンバレンやベイラーのそれを補う活躍が期待されていました。

しかしながら試合が始まるとチェンバレンは超極的なプレイが目立ち、わずか5本のシュートしか打たずに8得点と低調なパフォーマンスに終わります。

ベイラーと手負いのウエストは26得点と検討しますが、それだけで倒せるほどセルティクスは甘くなく、シュート精度に欠きながらも積極的にゴールに迫ったセルティクスが勝利しました。

これにより対戦成績は2-2のタイとなり、勝負は第7戦へと向かいます。

 

第7戦(108-106 ボストン・セルティクス Win)

運命の第7戦。

決戦の舞台はレイカーズのホーム「ザ・フォーラム」。

ホームコートアドバンテージを持つのはレイカーズでしたが、エースのウエストは第6戦の無理が祟ってか、膝に包帯を巻いた状態でコートに姿を表しアリーナに不安が渦巻きます。

試合は序盤から両者互角の展開となりますが、第3Qにファウルトラブルでチェンバレンがベンチに下がると流れが大きく変わります。

インサイドでかなりのアドバンテージを得たセルティクスは容赦無く攻め込み、第3Qだけで12点差を広げ勝利をグッと手繰り寄せました。

優勝はもはや決まったかのように思われましたが、ここから手負いのウエストが意地の猛攻撃を見せます。

第4Qの序盤から躍動したウエストは次々に得点を重ね、第4Qの始めには15点あった点差を試合時間残り3分には3点差まで縮めてしまいました。

レイカーズの起死回生の猛攻撃に会場は大いに湧き、レイカーズの優勝セレモニーの準備さえ始められていましたが、残念ながらレイカーズの追撃もそこまで。

最後の最後にドン・ネルソンがレイカーズに引導を渡すジャンプショット決め切り、セルティクスがビル・ラッセルと共に11回目の優勝を決めました。

 

まとめ

今回は「NBAファイナル1969 ボストン・セルティックス VS ロサンゼルス・レイカーズ」の対決をご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

今となっては優勝チームではないレイカーズからファイナルMVPが選ばれたことに懐疑的な意見も多くありますが、もし最後の試合に勝利していれば間違いなくウエストが受賞していたと言えるほどの活躍は残していたように思います。

このシーズンでビル・ラッセルは引退し、セルティクスは次第に再建に向かいますが、まだしばらくこの2チームのファイナルでの争いは続くこととなります。

やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!

他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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