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【NBAファイナル1976】ボストン・セルティックス VS フェニックス・サンズ 全6試合の結果や流れを詳しく解説!

皆さんこんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。

これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。

一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。

その確率は脅威の0.0001%。

例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。

 

そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。

本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。

 

そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。

特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。

その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。

 

今回はその中から「NBAファイナル1976 ボストン・セルティックス VS フェニックス・サンズ」の対決をご紹介しましょう!

NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!

それではティップオフ!!

 

NBAファイナル1976に出場したチームの背景を知ろう!

1976年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ボストン・セルティックス」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「フェニックス・サンズ」の戦いでした。

まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!

 

ボストン・セルティックス

1975-76シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 54勝28敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 シード権
カンファレンス・セミファイナル 4勝2敗(VS バッファロー・ブレーブス)
カンファレンス・ファイナル 4勝2敗(VS クリーブランド・キャバリアーズ)

 

「ボストン・セルティックス」はマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くチームです。

エースは「ジョン・ハブリチェック」。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは準決勝でボブ・マカドゥー要する「バッファロー・ブレーブス」を、決勝戦でビル・フィッチHC率いる「クリーブランド・キャバリアーズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

この年優勝を果たしたボストン・セルティックスがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!

 

フェニックス・サンズ

1975-76シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 42勝40敗(カンファレンス3位)
プレーオフ1回戦 シード権
カンファレンス・セミファイナル 4勝2敗(VS シアトル・スーパーソニックス)
カンファレンス・ファイナル 4勝3敗(VS ゴールデンステイト・ウォーリアーズ)

 

「フェニックス・サンズ」はアリゾナ州フェニックスに拠点を置くチームです。

この年のサンズはポール・ウエストファルやアルバン・アダムスらを中心に構成されていました。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは準決勝でビル・ラッセルHC率いる「シアトル・スーパーソニックス」を、決勝戦でリック・バリー要する「ゴールデンステイト・ウォーリアーズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

NBAファイナル1976の出場選手・ロスター

次にNBAファイナル1976で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!

 

ボストン・セルティックスの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
SG 11 チャーリー・スコット(Charlie Scott) 196 79 1948年12月15日
C 18 デイブ・コーウェンス(Dave Cowens) 206 104 1948年10月25日
SF 19 ドン・ネルソン(Don Nelson) 198 95 1940年5月15日
SF 32 エド・サーシー(Ed Searcy) 198 95 1952年4月17日
SF 30 グレン・マクドナルド(Glenn McDonald) 198 86 1952年3月18日
SG 42 ジェローム・アンダーソン(Jerome Anderson) 196 88 1953年10月9日
C 34 ジム・アード(Jim Ard) 203 98 1948年9月19日
PG 10 ジョ・ジョ・ホワイト(Jo Jo White) 191 86 1946年11月16日
SF 17 ジョン・ハブリチェック(John Havlicek) 196 92 1940年4月8日
SG 27 ケヴィン・スタコム(Kevin Stacom) 191 84 1946年11月16日
PF 35 ポール・サイラス(Paul Silas) 201 100 1943年7月12日
C 33 スティーブ・クベルスキー(Steve Kuberski) 203 98 1947年11月6日
PF 31 トム・ボズウェル(Tom Boswell) 206 100 1953年10月2日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

フェニックス・サンズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
C 33 アルヴィン・アダムス(Alvan Adams) 206 95 1954年7月19日
PF 18 カーティス・ペリー(Curtis Perry) 201 100 1948年9月13日
C 21 デニス・オートリー(Dennis Awtrey) 208 107 1948年2月22日
SG 5 ディック・バン・アースデール(Dick Van Arsdale) 196 95 1943年2月22日
SF 30 フレッド・サンダース(Fred Saunders) 201 95 1951年6月13日
PF 24 ガー・ハード(Gar Heard) 198 99 1948年5月3日
PF 34 ジョン・シューメイト(John Shumate) 206 107 1952年4月6日
SG 25 ジョン・ヴェッツェル(John Wetzel) 196 86 1944年10月22日
SF 14 キース・エリクソン(Keith Erickson) 196 88 1944年4月19日
SF 40 マイク・バントン(Mike Bantom) 206 91 1951年12月3日
SG 32 ネイト・ホーソーン(Nate Hawthorne) 193 86 1950年1月15日
SG 12 パット・ライリー(Pat Riley) 193 93 1945年3月20日
PG 44 ポール・ウェストファル(Paul Westphal) 193 88 1950年11月30日
PG 10 フィル・ランプキン(Phil Lumpkin) 182 74 1951年12月20日
SG 4, 40 リッキー・ソバーズ(Ricky Sobers) 191 90 1953年1月15日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

NBAファイナル1976のシリーズ概要

それではいよいよNBAファイナル1976の試合の結果を見ていきましょう!

1975-76シーズンのNBAチャンピオンは「ボストン・セルティクス」。

チームとしては2年ぶり13回目の優勝となりました。

対戦成績は4勝2敗。

詳細な試合結果は以下のとおりです。

試合 日付 アウェイ 結果 ホーム
1 5月23日 フェニックス・サンズ 87-98 ボストン・セルティクス
2 5月27日 フェニックス・サンズ 90-105 ボストン・セルティクス
3 5月30日 ボストン・セルティクス 98-105 フェニックス・サンズ
4 6月2日 ボストン・セルティクス 107-109 フェニックス・サンズ
5 6月4日 フェニックス・サンズ 126-128 ボストン・セルティクス
6 6月6日 ボストン・セルティクス 87-80 フェニックス・サンズ

 

ファイナルMVPは「ジョ・ジョ・ホワイト」。

シリーズ平均21.7得点、第5戦で33得点の活躍をしチームの優勝に大きく貢献したホワイトは自身初のファイナルMVPに輝きました。

 

NBAファイナル1976の試合の概要

ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。

時代を支配したイーストの強豪が再びNBAの頂点に君臨したシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!

 

第1戦(87-98 ボストン・セルティクス Win)

NBAファイナルの1回戦はボストン・セルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」で始まりました。

レギュラーシーズンを54勝の1位で終えたセルティクスと勝率5割をかろうじて超えたサンズとのファイナルということで、メディアやファンはセルティクスが圧倒的有利と見ていました。

そんな中始まった第1戦は下馬評通りセルティクスが終始優位に試合を進めることとなります。

第3Qにサンズが反撃を見せたものの、全てのクォーターで互角以上の展開を続けたセルティクスが試合を通じて危なげない勝利を掴みました。

この試合セルティクスはデイブ・コーウェンスが25得点21リバウンドとインサイドを支配。

さらにホワイトが22得点、ハブリチェックが16得点、チャーリー・スコットが15得点と続き、コーウェンスを援護しました。

サンズはアルヴァン・アダムスが26得点、他4選手も2桁得点を記録しましたが、勝利には届きませんでした。

 

第2戦(90-105 ボストン・セルティクス Win)

セルティクスリードで迎えた第2戦。

第1戦を落としたサンズは敵地でなんとか1勝を得るために序盤から積極的に攻撃を仕掛け、セルティクススタメンのシュートの不調もあってかリードを奪います。

しかし次第にセルティクスが調子を取り戻し始めると、後半はセルティクスが完全に流れを掴み第3Qだけで18点さをつける猛攻でサンズを圧倒。

第4Qにはサンズは反撃に移りますが追いつくには至らず、点差を守り切る形でセルティクスが勝利しました。

この試合セルティクスはハブリチェックがベンチからチームハイの23得点でチームを救いました。

一方サンズはポール・ウエストファルが28得点、アダムスが19得点とスタメンが躍動しますが、ベンチからの援護はわずか10点にとどまり大差をつけられる結果となりました。

 

第3戦(98-105 フェニックス・サンズ Win)

セルティクス2連勝で迎えた第3戦。

舞台はフェニックス・サンズのホームアリーナ「アリゾナ・ベテランズ・メモリアル・コロシアム」に移ります。

ここまでセルティクス相手に完敗だったサンズでしたが、ホームコートの声援を得て完全に流れに乗ります。

この日33得点14リバウンドを記録するアダムスがインサイドを支配しセルティクスのコーウェンスを13得点に抑え込むと、前半からリードを広げ39-52のサンズ13点リードで前半を折り返します。

後半に入るとセルティクスが猛反撃を開始しますが、乱闘騒ぎなどでセルティクスのスタメンが2人退場したことにより爆発力に欠け、序盤の点差を守り切ったサンズがホームでシリーズ初勝利をあげました。

 

第4戦(107-109 フェニックス・サンズ Win)

依然セルティクスリードで迎えた第4戦。

第3戦で起きた乱闘騒ぎの後から両チームの険悪な雰囲気が続いたまま試合は始まります。

序盤からややラフプレイが目立つ試合となり、開始10分で21個のファウルが飛び交いました。

前半はハイスコアの殴り合いとなりましたが、殴り合いはなんとサンズが優位を奪いセルティクスがその後を追いかける展開に。

後半に入るとまたも序盤サンズがリードを広げセルティクスが必死に後追いますが、107-109の2点差まで詰めたところで試合終了。

サンズが2連敗の後に2連勝をあげ、ボストンが優位と考えられていたシリーズは予想に反して接戦となり第5戦へと向かいます。

 

第5戦(126-128 ボストン・セルティクス Win)

勝負の第5戦。

舞台をボストンに戻して行われたこの一戦は幾多のNBA史に残る試合の中でもしばしば史上最高の試合の1つに挙げられる名勝負となります。

序盤は名勝負どころかセルティクスの圧勝を予感させる形で試合が始まります。

最初の9分間に12-32のランでサンズを圧倒したセルティクスは第1Qだけで36得点をあげ大差で試合を優位に進めるかと思われました。

しかし第2Qに入るとサンズが復調してじわじわと追い上げを始め、前半は45-61とセルティクス16点リードで折り返しました。

そして迎えた後半、サンズのディフェンスが機能しセルティクスを第3Q16点、第4Q18点に抑えることに成功。

その間にオフェンスでもセルティクスのゴールを攻め立て、試合終盤についに95-95の同点に追いつき試合をオーバータイムに持ち込みます。

しかしオーバータイムは両者わずか4得点と得点が入らない時間が続き、決着がつかないままダブルオーバータイムに突入。

ダブルオーバータイムは打て変わって点の取り合いとなり、残り20秒の時点で108-109とセルティクスが1点リードしていました。

ここからの20秒間でこの試合最大の名シーンが訪れます。

ボールを持つサンズはディク・ヴァン・アースデールが逆転のシュートを放ちますが、リムに弾かれリバウンド争いに。

ボールは誰の手にも収まらずコートを出るかと思われましたが、ウエストファルが飛びつきアースデールに繋ぎ、さらにカーチス・ベリーに渡って再度シュートを放ちました。

無念にもこのシュートも外れましたが、リバウンドに飛んだセルティクスのハブリチェックが掴めずに弾いたボールがなんとベリーの元へこぼれ、再三のチャンスを得たベリーは今度こそ確実にシュートをきめサンズが逆転しました。

試合時間は残り6秒、サンズが圧倒的優位に立ったと思われたその直後、セルティクスで8度の優勝を経験している男が最後の反撃に移ります。

ジョン・ハブリチェックはものすごいスピードでコートを渡るとそのまま独力でゴールまで辿り着きシュート。

勝負強さを見せつけるかのようなプレイで再度セルティクスに優位をもたらし試合終了のブザーがなりました。

コートに傾れ込むセルティクスのファン。

ロッカールームに戻っていく選手たち。

試合はセルティクスが勝利したと誰もが思いました。

しかしここで観戦していたウォリアーズのリック・バリーが審判団に意を唱えます。

審判団の検討の末なんとハブリチェックのシュートの後試合時間が1秒残っていたことが判明。

なんとここから時計を1秒に戻して試合を再開する事態になったのです。

怒り狂ったファンが解説席の机をひっくり返すなど荒れた雰囲気のまま選手たちはコートに呼び戻され試合が始まるかと思われましたが、混乱していたサンズのウエストファルはすでに使い切っていたタイムアウトを誤って請求してしまいテクニカルファウルでセルティクスがフリースローを1本得ることになります。

しかしこの誤ったテイムアウトが試合を劇的展開へと持ち込みました。

ジョ・ジョ・ホワイトがこのフリースローを決め2点差。

サンズは万事休すかと誰もが思いました。

しかし、先ほどテクニカルファールを取られたおかげでサンズのオフェンスはセルティクスのゴール下からではなくハーフラインから行うことができるようになったのです。

タイムアウトの後、カーチス・ベリーから投げ入れられたボールを受け取ったのはガーフィールド・ハード。

彼が残り1秒で振り向きざまに放ったシュートは美しい弧を描きセルティクスのゴールに吸い込まれました。

これにより同点になった試合はファイナル史上初のトリプルオーバータイムに突入したのでした。

ここまでの激闘で両チーム多くの主力がファールアウトになりトリプルオーバータイムはベンチメンバー同士の戦いとなりましたが、こうなると層の厚いセルティクスが優位。

最後はセルティクスがリードしてそのまま激戦は終わりを迎えました。

ホームで意地の勝利を手にしたセルティクスが3勝2敗とシリーズに王手をかけました。

 

第6戦(87-80 ボストン・セルティクス Win)

運命の第6戦。

舞台はサンズのホームアリーナ「アリゾナ・ベテランズ・メモリアル・コロシアム」に移ります。

激戦から2日後とあってやはり流れが激戦を制したセルティクスにありました。

疲労からか非常にロースコアな試合となりましたが、その分こぼれたボールを拾い続けたセルティクスがリバウンド数で53-39と圧倒的な優位に立ち、そのまま試合を制する形で勝利を収めました。

これによりセルティクスがまた1つ優勝リングの数を伸ばしたのでした。

 

まとめ

今回は「NBAファイナル1976 ボストン・セルティックス VS フェニックス・サンズ」の対決をご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

第5戦はトリプルオーバータイム、さらにそこへ持ち込む劇的ブザービーターがファンの印象に残っているのだと思います。

これだけの激戦を繰り広げたのがカンファレンス1位同士ではなく、下剋上を成し遂げてきたサンズだったというのも面白いポイントですね。

やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!

他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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