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【NBAファイナル1990】デトロイト・ピストンズ VS ポートランド・トレイルブレイザーズ 全5試合の結果や流れを詳しく解説!

皆さんこんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。

これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。

一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。

その確率は脅威の0.0001%。

例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。

 

そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。

本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。

 

そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。

特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。

その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。

 

今回はその中から「NBAファイナル1990 デトロイト・ピストンズ VS ポートランド・トレイルブレイザーズ」の対決をご紹介しましょう!

皆さんがNBAの歴史を知り、もっともっとNBAを好きになるきっかけになることができれば光栄です。

それではティップオフ!!

 

NBAファイナル1990に出場したチームの背景を知ろう!

1990年NBAファイナルは ・カンファレンスチャンピオンの「デトロイト・ピストンズ」と ・カンファレンスチャンピオンの「ポートランド・トレイルブレイザーズ」の戦いでした。

まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!

 

デトロイト・ピストンズ

1989-90シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 59勝23敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 3勝0敗(VS インディアナ・ペイサーズ)
カンファレンス・セミファイナル 4勝1敗(VS ニューヨーク・ニックス)
カンファレンス・ファイナル 4勝3敗(VS シカゴ・ブルズ)

 

「デトロイト・ピストンズ」はミシガン州デトロイトに拠点を置くチームです。

エースは”バットボーイズ”筆頭の「アイザイア・トーマス」。

この頃のピストンズは”バットボーイズ・ピストンズ”と呼ばれ、昨年NBAを制覇しているため今年は2連覇を目指して戦ったシーズンでした。

レギュラーシーズンを59勝23敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフでは1回戦にレジー・ミラー率いる「インディアナ・ペイサーズ」を、準決勝ではパトリック・ユーイングの「ニューヨーク・ニックス」を、決勝戦でマイケル・ジョーダンを要する「シカゴ・ブルズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

この年優勝を果たしたデトロイト・ピストンズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!

 

ポートランド・トレイルブレイザーズ

1989-90シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 59勝23敗(カンファレンス4位)
プレーオフ1回戦 3勝0敗(VS ダラス・マーベリックス)
カンファレンス・セミファイナル 4勝3敗(VS サンアントニオ・スパーズ)
カンファレンス・ファイナル 4勝2敗(VS フェニックス・サンズ)

 

「ポートランド・トレイルブレイザーズ」はオレゴン州ポートランドに拠点を置くチームです。

エースは”Clyde the Glide”「クライド・ドレクスラー」

レギュラーシーズンを59勝23敗のカンファレンス4位で終えると、プレーオフでは1回戦にローランド・ブラックマンやマーク・アグワイアの「ダラス・マーベリックス」を、準決勝ではデビッド・ロビンソンの「サンアントニオ・スパーズ」を、決勝戦でケビン・ジョンソンやトム・チェンバーズを要する「フェニックス・サンズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

NBAファイナル1990の出場選手・ロスター

次にNBAファイナル1990で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!

 

デトロイト・ピストンズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
C 40 ビル・レインビア(Bill Laimbeer) 211 111 1957年5月19日
PF 33 デイブ・グリーンウッド(Dave Greenwood) 206 101 1957年5月27日
SF 10 デニス・ロッドマン(Dennis Rodman) 201 95 1961年5月13日
PG 12 ジェラルド・ヘンダーソン(Gerald Henderson) 188 79 1956年1月16日
PG 11 アイザイア・トーマス(Isiah Thomas) 185 81 1961年4月30日
C 53 ジェームズ・エドワーズ(James Edwards) 213 102 1955年11月22日
SG 4 ジョー・ドュマーズ(Joe Dumars) 191 86 1963年5月24日
PF 22 ジョン・サリー(John Salley) 211 104 1964年5月16日
SF 23 マーク・アグワイア(Mark Aguirre) 198 105 1959年12月10日
SG 35 ラルフ・ルイス(Ralph Lewis) 198 91 1963年3月28日
PF 35 スコット・ヘイスティング(Scott Hastings) 208 106 1960年6月3日
PG 3 スタン・キンブロー(Stan Kimbrough) 180 69 1966年4月24日
SG 15 ヴィニー・ジョンソン(Vinnie Johnson) 188 91 1956年9月1日
C 20 ウィリアム・ベッドフォード(William Bedford) 213 102 1963年12月14日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

ポートランド・トレイルブレイザーズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
PF 52 バック・ウィリアムズ(Buck Williams) 203 97 1960年3月8日
SG 23 バイロン・アーヴィン(Byron Irvin) 196 86 1966年12月2日
PF 3 クリフォード・ロビンソン(Clifford Robinson) 208 102 1966年12月16日
SG 22 クライド・ドレクスラー(Clyde Drexler) 201 95 1962年6月22日
PG 21 ダニー・ヤング(Danny Young) 191 79 1962年7月26日
SG 44 ドラジェン・ペトロヴィッチ(Dražen Petrović) 196 88 1964年10月22日
SF 25 ジェローム・カーシー(Jerome Kersey) 201 97 1962年6月26日
C 0 ケビン・ダックワース(Kevin Duckworth) 213 125 1964年4月1日
PF 2 マーク・ブライアント(Mark Bryant) 206 111 1965年4月25日
PF 33 ネイト・ジョンストン(Nate Johnston) 203 95 1966年12月18日
SF 50 ロバート・リード(Robert Reid) 203 93 1955年8月30日
PG 30 テリー・ポーター(Terry Porter) 191 88 1963年4月8日
C 42 ウェイン・クーパー(Wayne Cooper) 208 100 1956年11月16日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

NBAファイナル1990のシリーズ概要

それではいよいよNBAファイナル1990の試合の結果を見ていきましょう!

1989-90シーズンのNBAチャンピオンは「デトロイト・ピストンズ」。

チームとしては2年連続2回目の優勝となりました。(NBA時代のみの記録)

対戦成績は4勝1敗。

詳細な試合結果は以下のとおりです。

試合 日付 アウェイ 結果 ホーム
1 6月5日 ポートランド・トレイルブレイザーズ 99-105 デトロイト・ピストンズ
2 6月7日 ポートランド・トレイルブレイザーズ 106-105 デトロイト・ピストンズ
3 6月10日 デトロイト・ピストンズ 121-106 ポートランド・トレイルブレイザーズ
4 6月12日 デトロイト・ピストンズ 112-109 ポートランド・トレイルブレイザーズ
5 6月14日 デトロイト・ピストンズ 92-90 ポートランド・トレイルブレイザーズ

 

ファイナルMVPは「アイザイア・トーマス」。

シリーズ平均27.6得点8アシスト5.2リバウンドを記録し、自身初となるファイナルMVPを獲得しました。

 

NBAファイナル1990の試合の概要

ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。

バットボーイズ・ピストンズがリーグを支配した時代のNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!

 

第1戦(99-105 デトロイト・ピストンズ Win)

NBAファイナルの1回戦はデトロイト・ピストンズのホーム「ザ・パレス・オブ・アーバン・ヒルズ」で始まりました。

ピストンズはカンファレンス・ファイナルでマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズとの第7戦までもつれる激闘を制してわずか2日後のファイナルであり、移動も伴い疲労がみられることが予想されたため、初戦は5日の休暇を挟んだブレイザーズが有利と見られていました。

試合が始まると、事前の予想通り第1Qはブレイザーズがピストンズから9点のリードを奪う好スタートを切り試合を優位に進めました。

第2Q以降はピストンズも徐々に調子を取り戻し始め反撃しますが、リードを守り続けたブレイザーズが80-76と4点のリードで勝負は第4Qへ。

ピストンズが追い上げを見せたため接戦となるかと思われましたが、この勝負どころでピストンズのエース「アイザイア・トーマス」が覚醒。

苦手なはずの3ポイントも問題なく決めあっという間に追いつくと、そのままの勢いでブレイザーズを置き去りにしてしまいました。

結局この試合でトーマスは33得点を記録し、ほぼ独力でピストンズを勝利に導いてしまいました。

ブレイザーズはスタメン全員が2桁得点を取る多彩な攻撃を見せましたが、勝負所で踏ん張ることができませんでした。

 

第2戦(106-105 ポートランド・トレイルブレイザーズ Win)

ピストンズリードで迎えた第2戦。

この試合はオーバータイムまでもつれ込むこのシリーズ最大の接戦となりました。

序盤こそホームのピストンズがスタートダッシュに成功しますが、第2Qに入ると途端にシュートが入らなくなる大失速をしてしまい、その隙にブレイザーズが逆転して53-45のブレイザーズ8点リードで前半を折り返します。

第3Qはほぼ互角の接戦となり、勝負はまたもブレイザーズリードの状態で第4Qへ突入します。

第4Qに入るとここまで7得点と控えめだったピストンズのシューター「ビル・レインビア」のシュートタッチが冴え渡り、瞬く間に同点。

そのままピストンズが追い抜くかと思われましたが、第1戦とは違いブレイザーズも粘りをみせ同点のまま試合はオーバータイムに突入します。

オーバータイムも両者一歩も引かない大接戦となり、残り9秒でバックウィリアムズのフリースローが2本とも決まり104-102でピストンズがリードを奪いました。

しかしホームで負けられないピストンズもタイムアウト明けに今日好調のビル・レインビアが値千金の3ポイントを決め土壇場でピストンズが逆転。

勝負は決したかのように思われましたが、最後の足掻きでドレクスラーがドライブで切り込むと止めに行ったデニス・ロッドマンがシューティングファールを犯しブレイザーズに逆転のフリースロー2本が与えられました。

もちろんザ・パレス・オブ・アーバン・ヒルズはブーイングの嵐となりましたが、ドレクスラーの心を揺らすには至らず、落ち着いて2本とも決めたことでブレイザーズが勝利を掴みました。

この日レインビアが決めた6本の3ポイントは当時のNBAファイナル最多記録と並びましたが、ドレクスラーのしょぶう強さの前に勝利を逃すことになりました。

 

第3戦(121-106 デトロイト・ピストンズ Win)

1-1のタイで迎えた第3戦。

ピストンズは窮地に立たされていました。

第3戦で足を捻挫したデニス・ロッドマンがこの試合を欠場することが決まり、ただでさえ戦力がおちだ状態で敵地「メモリアル・コロシアム」に乗り込まなくてはならないためです。

ピストンズはこのメモリアル・コロシアムでの試合を非常に不得意としており、なんと17年間一度も勝利をあげることができていませんでした。

このことから、ここからメモリアル・コロシアムで行われる3連戦でブレイザーズが優勝する可能性すら考えられていました。

しかしこのジンクスを1人の男がぶち壊します。

この試合のヒーロー「ジョー・デュマーズ」は父親の命日に歴史的勝利を飾ったのでした。

デュマーズの父親は重度の糖尿病を患っており、いつ命が果ててもおかしくないという状態でした。

しかし彼はデュマーズのプロとしてのキャリアを妨げないために試合が終わるまで自分の訃報を知らせないように妻に伝え、心不全で息を引き取りました。

デュマーズも覚悟はしていましたが、試合中は父親が大切にしていたプロ意識を重んじピストンズを圧倒。

この試合最多の33得点を決め、17年間の敗北の歴史に終止符を打ったのでした。

デュマーズは試合後に父親の訃報を知り、ヒーローインタビューを断ってロッカールームへと姿を消しました。

 

第4戦(112-109 デトロイト・ピストンズ Win)

ピストンズリードで迎えた第4戦。

第3戦で歴史を覆したピストンズはそのままの勢いで序盤からブレイザーズを圧倒し、第3Q中盤には一時81-65の16点の大量リードを奪います。

しかし第3Q終盤から負ければ崖っぷちのピストンズが猛反撃を開始し、第4Q残り5分20秒でついに1点さに迫りました。

そこからしばらくは点差の開かない接戦が続きましたが、残り31.8秒でフリースローを獲得したブレイザーズがついに017-108と逆転に成功。

しかしピストンズも負けておらず、アイザイア・トーマスがすぐさま点を取り返すとその後はファールゲームに。

ブレイザーズが見せた少しの綻びを見逃さなかったピストンズはジェラルド・ヘンダーソンがトドメとなるレイアップを決め3点差となったため試合は終わったかと思われましたが、なんと試合は1.3秒残っていました。

最後のチャンスを得たブレイザーズはダニー・ヤングがセンターライン付近から同点の長距離3ポイントをブザー共に放つと、なんとこれがリングに収まり同点ーーー。

かと思われましたが、ピストンズはすぐさまビデオチェックを要請し、ブザー時点ではヤングの手を離れていないことが分かったためなんとノーカウントとして試合終了。

大歓声だったメモリアル・コロシアムは一瞬にして消沈し、ヤングの3ポイントと延長戦は幻となって消えることとなりました。

 

第5戦(92-90 デトロイト・ピストンズ Win)

運命の第5戦。

崖っぷちのブレイザーズは序盤から猛攻撃を仕掛け、第3Q終盤までは69−77と8点リードしていました。

しかしこの日の主役はブレイザーズではなく、ピストンズの「ヴィニー・ジョンソン」でした。

ジョンソンは”電子レンジ”とも評されるその持ち前の爆発力でブレイザーズディフェンスを粉砕。

ほぼ単独で連続9得点を取り78-77とすぐさまスコアを逆転させてしまいました。

ブレイザーズも粘りをみせ、再度リードを奪い返して第4Q残り2分5秒で83−90と7点差まで広げましたが、ここでまたもジョンソンが着火。

5得点を決めピストンズの7連続得点を実現すると、残り36秒でスコアは90-90。

さらに次のブレイザーズの攻撃が外れ、舞台は整いまいました。

残り時間は20.1秒、ピストンズがボールを託すのはもちろんヴィニー・ジョンソン。

第4戦の終盤で肝を冷やしたジョンソンは時間を逆算した美しいプレイで試合終了間際にブレイザーズのディフェンダージェローム・カーシーの上からジャンプシュートを放ち、見事に決めて見せました。

停止した電光掲示板には「0.07」の文字。

あまりにも短すぎる時間にプレイザーズに逆転のチャンスはなく、ピストンズが2連覇を成し遂げました。

 

まとめ

今回は「NBAファイナル1990 デトロイト・ピストンズ VS ポートランド・トレイルブレイザーズ」の対決をご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

バッドボーイ・ピストンズはエースはもちろんアイザイア・トーマスでしたが、スタメン全員がエース級の活躍をするポテンシャルを秘めた面白いチームでした。

このため、第1戦は「アイザイア・トーマス」、第3戦は「ジョー・デュマーズ」、第3戦は「ヴィニー・ジョンソン」とそれぞれ違った選手が活躍したこの年のNBAファイナルはこのチームの特色をよく表していると思います。

やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!

他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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