皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1997 シカゴ・ブルズ VS ユタ・ジャズ」の対決をご紹介しましょう!
皆さんがNBAの歴史を知り、もっともっとNBAを好きになるきっかけになることができれば光栄です。
それではティップオフ!!
目次
NBAファイナル1997に出場したチームの背景を知ろう!
1997年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「シカゴ・ブルズ」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ユタ・ジャズ」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
シカゴ・ブルズ
1996-97シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 69勝13敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | 3勝0敗(VS ワシントン・ブレッツ) |
カンファレンス・セミファイナル | 4勝1敗(VS アトランタ・ホークス) |
カンファレンス・ファイナル | 4勝1敗(VS マイアミ・ヒート) |
「シカゴ・ブルズ」はイリノイ州シカゴに拠点を置くチームです。
エースは”神様”「マイケル・ジョーダン」。
この年はマイケル・ジョーダンを中心としたチームで2度目の連覇を目指したシーズンであり、昨年優勝したメンバーからほとんど変更がなかったため今年も優勝候補筆頭と見られていました。
レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは1回戦にジュエン・ハワードらの「ワシントン・ブレッツ」を、準決勝ではレニー・ウィルケンズHC率いる「アトランタ・ホークス」を、決勝戦でをパット・ライリーHC率いる「マイアミ・ヒート」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたシカゴ・ブルズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
ユタ・ジャズ
1996-97シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 64勝18敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | 3勝0敗(VS ロサンゼルス・クリッパーズ) |
カンファレンス・セミファイナル | 4勝1敗(VS ロサンゼルス・レイカーズ) |
カンファレンス・ファイナル | 4勝1敗(VS ヒューストン・ロケッツ) |
「ユタ・ジャズ」はユタ州ソルトレイクシティに拠点を置くチームです。
エースは”The Mailman”「カール・マローン」。
この年はジョン・ストックトンとカール・マローン体制でフランチャイズ史上最も強かった年であり、マローンがマイケルジョーダンを抑えてシーズンMVPを獲得するなど王者ブルズにも勝るとも劣らない戦力と見られていました。
レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは1回戦にボブ・ワイスHC率いる「ロサンゼルス・クリッパーズ」を、準決勝ではシャックとコービーの「ロサンゼルス・レイカーズ」を、決勝戦でハキーム・オラジュワン要する「ヒューストン・ロケッツ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1997の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1997で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
シカゴ・ブルズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
C | 34 | ビル・ウェニントン(Bill Wennington) | 213 | 111 | 1963年4月26日 |
C | 18 | バイソン・デリ(Bison Dele) | 206 | 107 | 1969年4月6日 |
PF | 91 | デニス・ロッドマン(Dennis Rodman) | 201 | 95 | 1961年5月13日 |
PF | 8 | ディッキー・シンプキンズ(Dickey Simpkins) | 206 | 112 | 1972年4月6日 |
PF | 35 | ジェイソン・カフェイ(Jason Caffey) | 203 | 116 | 1973年6月12日 |
SF | 30 | ジョブ・ヒドラー(Jud Buechler) | 198 | 100 | 1968年6月19日 |
C | 13 | ルーク・ロングリー(Luc Longley) | 218 | 120 | 1969年1月19日 |
SF | 6 | マット・ステイゲンガ(Matt Steigenga) | 201 | 102 | 1970年3月27日 |
SG | 23 | マイケル・ジョーダン(Michael Jordan) | 198 | 90 | 1963年2月17日 |
PG | 1 | ランディ・ブラウン(Randy Brown) | 188 | 86 | 1968年5月22日 |
C | 0 | ロバート・パリッシュ(Robert Parish) | 216 | 104 | 1963年2月17日 |
PG | 9 | ロン・ハーパー(Ron Harper) | 198 | 84 | 1964年1月20日 |
SF | 33 | スコッティ・ピッペン(Scottie Pippen) | 203 | 95 | 1965年9月25日 |
PG | 25 | スティーブ・カー(Steve Kerr) | 191 | 79 | 1965年9月27日 |
SF | 7 | トニー・クーコッチ(Toni Kukoč) | 208 | 87 | 1968年9月18日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
ユタ・ジャズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
C | 31 | アダム・キーフ(Adam Keefe) | 206 | 104 | 1970年2月22日 |
PF | 55 | アントワン・カー(Antoine Carr) | 205 | 102 | 1961年7月23日 |
PG | 22 | ブルックス・トンプソン(Brooks Thompson) | 193 | 88 | 1970年7月19日 |
SF | 3 | ブライオン・ラッセル(Bryon Russell) | 201 | 102 | 1970年12月31日 |
SF | 34 | クリス・モーリス(Chris Morris) | 203 | 95 | 1966年1月20日 |
C | 44 | グレッグ・フォスター(Greg Foster) | 211 | 109 | 1968年10月3日 |
C | 0 | グレッグ・オスタータグ(Greg Ostertag) | 218 | 127 | 1973年3月6日 |
PG | 10 | ハワード・アイズリー(Howard Eisley) | 188 | 80 | 1972年12月4日 |
SF | 15 | ジェイミー・ワトソン(Jamie Watson) | 201 | 86 | 1972年2月23日 |
SG | 14 | ジェフ・ホーナセック(Jeff Hornacek) | 191 | 86 | 1963年5月3日 |
PG | 12 | ジョン・ストックトン(John Stockton) | 185 | 77 | 1962年3月26日 |
PF | 32 | カール・マローン(Karl Malone) | 206 | 113 | 1963年7月24日 |
SG | 30 | ルーベン・ネンプハルト(Ruben Nembhard) | 191 | 94 | 1972年2月20日 |
SG | 40 | シャンドン・アンダーソン(Shandon Anderson) | 198 | 94 | 1973年12月31日 |
SF | 43 | スティーブン・ハワード(Stephen Howard) | 206 | 102 | 1970年7月15日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1997のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1997の試合の結果を見ていきましょう!
1996-97シーズンのNBAチャンピオンは「シカゴ・ブルズ」。
チームとしては2年連続5回目の優勝となりました。
対戦成績は4勝2敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 6月1日 | ユタ・ジャズ | 82-84 | シカゴ・ブルズ |
2 | 6月4日 | ユタ・ジャズ | 85-97 | シカゴ・ブルズ |
3 | 6月6日 | シカゴ・ブルズ | 93-104 | ユタ・ジャズ |
4 | 6月8日 | シカゴ・ブルズ | 73-78 | ユタ・ジャズ |
5 | 6月11日 | シカゴ・ブルズ | 90-88 | ユタ・ジャズ |
6 | 6月13日 | ユタ・ジャズ | 86-90 | シカゴ・ブルズ |
ファイナルMVPは「マイケル・ジョーダン」。
ファイナル平均32.3得点を記録した”バスケの神様”が2年連続6回目のファイナルMVPを獲得しました。
NBAファイナル1997の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
ブルズとジョーダンが2年連続5度目の優勝を果たしたシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(82-84 シカゴ・ブルズ Win)
NBAファイナルの1回戦はシカゴ・ブルズのホーム「ユナイテッド・センター」で始まりました。
最大のライバル同士と考えられていたブルズとジャズの頂上決戦に大勢のファンが会場を埋め尽くします。
そんな中始まった第1戦は予想通りの大接戦となり、42-38のわずかジャズ4点のリードで前半を折り返すと、後半ブルズも巻き返し第4Q残り3分でも同点のまま勝負は終盤へもつれ込みました。
終盤は両者主力同士のぶつかり合いとなり、ジャズがストックトンとマローンで攻めればブルズはジョーダンとピッペンが得点を決め返し、再度同点にし返して82-82で試合は残り35秒。
ジャズは最後の攻撃でマローンがフリースローを獲得し、残り9秒にして最大の勝機を得ます。
マローンは決してフリースローが得意ではありませんでしたが、1本でも決まればリードの場面。
しかしここでピッペンのNBA史に残るトラッシュトークが炸裂します。
Just remember, The mail man doesn't deliver on Sundays, Karl.
”覚えておくといい。郵便配達人は日曜日には配達しないよ。”
カールマローンはそのあまりにも高い得点能力から、ゴールに確実にボールを届ける様がまるでポストに正確に手紙を届ける郵便配達人のようだとして”Mailman”の愛称で呼ばれていました。
しかし、この日の試合は1997年6月1日で”日曜日”。
このトラッシュトークの後、その言葉通りマローンはフリースローを2本とも外し、最大のチャンスは一転大ピンチへと変わりました。
ブルズの最後の攻めを任されたのはもちろんマイケル・ジョーダン。
9秒という時間は彼が得点するにはあまりにも長く、一瞬のドライブでディフェンダーのブライオン・ラッセルとの隙間を作るとジャンプシュートを一閃。
綺麗な弧を描いたボールはブザーと共にリングに吸い込まれ、ブルズが劇的勝利を飾りました。
この試合ジョーダンは31得点8アシスト、ピッぺンは27得点9リバウンド4ブロック、デニス・ロッドマンは14リバウンドを記録し、勝利をもぎ取りました。
一方ジャズはマローンが23得点15リバウンド、ストックトンが16得点12アシストと活躍しましたが、マローンの最後のフリースローはピッペンのトラッシュトークと共に不名誉な伝説となってしまいました。
第2戦(85-97 シカゴ・ブルズ Win)
ブルズリードで迎えた第2戦。
この日は昨年王者のブルズがその実力を十分に見せつけた試合となりました。
当時リーグ最強のデュオといえば「ジョーダンとピッペン」か「ストックトンとマローン」のどちらかと言われるほどに両者の実力は拮抗していましたが、ことディフェンス力だけで言えばどちらもオールディフェンシブ1stチームに選ばれるほどの実力をもつジョーダンとピッペンに分がありました。
彼らのディフェンスが機能すれば相手チームは得点をすることすら難しく、この日のジャズは彼らの前に前半わずか31得点に抑えられます。
しかもブルズのオフェンス力は健在であり、12連続得点を含む47得点を決めたブルズは前半で16得点という大量のリードを得ます。
後半に入るとジャズのオフェンスも復調し始め得点を伸ばしますが、前半についた大量のリードを挽回することができず、余裕を持ってブルズが勝利しました。
この日もジョーダンが38得点13リバウンド9アシストとジャズを圧倒。
ジャズはマローンが20得点13リバウンドを取ったもののシュート精度が著しく低く、なす術なく敗北を喫しました。
第3戦(93-104 ユタ・ジャズ Win)
ブルズ2連勝で迎えた第3戦。
決戦の舞台はユタ州ソルトレイクシティに移ります。
ジャズのホーム「デルタ・センター(現ヴィヴィントスマートホーム・アリーナ)」でブルズの選手たちを待ち構えていたのは熱狂的で知られるジャズファンでした。
大歓声とブーイングで会場の雰囲気をジャズムード一式に変えると、その声援に押されるかのようにジャズの選手たちは覚醒。
ここまでの2戦が嘘のようにジャズがブルズを終始圧倒し、第3Q終了間際には最大20得点の差をつける場面もありました。
決死の反撃を狙うブルズはピッペンの3ポイントやジョーダンのアリウープダンクなどで対抗しますが、全てジャズファンの歓声の前にかき消され流れを掴むことができませんでした。
試合はそのままリードを守り切ったジャズがシリーズ初勝利をあげました。
この試合ジャズはマローンが37得点12リバウンド、ストックトンが17得点12アシストの記録でチームを勝利に導きました。
ブルズはピッペンが当時NBA記録となるファイナルで3ポイント7本を決めましたが、ジャズとジャズファンの一体感の前に敗北を喫しました。
第4戦(73-78 ユタ・ジャズ Win)
依然ブルズリードで迎えた第4戦。
試合は序盤からロースコアな展開となり、ジャズが先行しながらもブルズもすぐに追いつくというシーンがなん度も繰り返されました。
前半を38-35で終えると、後半もその流れは続き、差がつかないまま勝負は第4Qへ。
迎えた第4Qで試合がついに動き、ブルズがジャズに先行します。
試合時間残り2分2秒にしてマイケル・ジョーダンが3ポイントを決め73-69とブルズが4点のリード。
さらにジャズが次の攻撃をミスしたことでブルズがさらに追加点のチャンスを得て勝利を掴みかけますが、ここで待ったをかけたのがジャズの”アシスト王”ジョン・ストックトンでした。
ブルズがジョーダンに託し2点追加するかと思われたボールをストックトンが寸前でスティールし、そのままコートを横断してジョーダンからファールを奪うとフリースローを1本きめ3点差。
次のポゼッションでもピッペンからファールを奪うと今度はフリースローを2本とも決めて1点差まで押し戻します。
さらにブルズは次の攻撃をジョーダンが決め切ることができず、弾かれたボールは導かれるようにストックトンの元へ。
リバウンドを取ったストックトンはすでにカウンターに走り出していた戦友マローンへ正確無比の超ロングパスを通し、マローンがこれを落ち着いて決めたことでついにジャズが逆転しました。
その後もシュートが入らず窮地に陥ったブルズはファールゲームに移行。
第1戦フリースローを外して敗北した経験を持つマローンが狙われますが、マローンはこのフリースローを2本とも決め切り、最後のジョーダンの3ポイントが外れたことでジャズの勝利が確定。
最後にブライオン・ラッセルが勝利の雄叫びと共にスラムダンクを決めジャズが勝利しました。
この試合ジャズはマローンが23得点10リバウンド、ストックトンが17得点12リバウンド4スティールでチームを牽引。
ブルズはジョーダンが22得点、ピッペンが16得点12リバウンドとイマイチ振るわず、総得点73点はブルズがファイナルで記録した最低得点となりました。
第5戦(90-88 シカゴ・ブルズ Win)
対戦成績2-2のタイで迎えた第5戦。
直近2連敗でなおもジャズホームという状況で挽回が求められるブルズにさらなる試練が訪れます。
マイケル・ジョーダンの体調不良。
試合前日に異常な汗で目が覚めたジョーダンは食中毒の診断を受けます。
しかし、幾度となく戦ってきたファイナルにおいて2-2の状態で勝敗が優勝に直結することがわかっている第5戦をコート外から見守るという選択肢はジョーダンにありませんでした。
マイケル・ジョーダンあってのブルズであり、彼なしのチームでジャズに対抗するなど不可能であることが分かり切っていたフロントは危険なことを承知な上でジョーダンの出場を了承し、試合に向かいました。
しかしジョーダンが本調子でないことは明らかであり、ジョーダンが棒立ちとなったままほぼ4対5の状態で試合は進みます。
ストックトンとマローンはライバルの体調がよくないことは承知の上で、それでも出場したジョーダンに敬意を込めて一切手を抜くことなくブルズを蹂躙。
第1Qから最大16点をつけてジャズがリードします。
しかし第2Qに入ると、第1Qほとんど動くことができなかったジョーダンが静かに反撃を開始。
いつものキレはないものの体調不良とは思えないほどの美しいジャンプショットを次々に決め、第2Qだけで17得点と大爆発。
これにより点差を縮めることに成功したブルズは53-49とわずか4点差で折り返すことに成功しました。
しかし後半が始まると、またもジョーダンは動くことができずジャズが攻勢を強める展開に。
しかしエースの決死の覚悟を目の当たりにしたチームメイトたちが奮起し、ジャズにほとんどリードを広げさせることなく第3Qを乗り切りました。
そして迎えた第4Q、力を溜めていたかのようにジョーダンが目覚めます。
最終Qだけで15得点を挙げる活躍を見せ、残り46秒で奪ったフリースローも1本目を決めて85-85の同点に追いつきました。
そこから次のフリースローは外しますが、自らリバウンドを掴み取るとコートを駆け回り3ポイントに繋げたことでブルズに3点のリードをもたらしました。
ジャズもすぐさま2点を返しますが、ブルズも負けじとルーク・ロングリーがダンクで返し残り6秒で3点差に戻します。
たまらずジャズはタイムアウトをとり、それを見たジョーダンは緊張の糸が切れたようにピッぺんに倒れ込みベンチに戻りました。
最後はファールゲームに持ち込んだブルズが点差を守り切り勝利。
この試合ジョーダンは44分間プレイし、38得点7リバウンド5アシスト3スティールを記録。
ジョーダンが体調不良を推して出場しチームを勝利に導いたこの試合は、ジョーダンがこの時インフルエンザにかかっていたという噂が流れたことから”The Flu Game”と呼ばれジョーダンの伝説の1つとなりました。
第6戦(86-90 シカゴ・ブルズ Win)
運命の第6戦。
舞台はシカゴに戻ります。
ブルズの2連覇を目に焼き付けようと、ユナイテッド・センターは超満員。
そんな中始まった試合は、崖っぷちのジャズが前半からもう攻撃を仕掛け44-37と7点のリードを奪って折り返します。
後半に入ってもジャズの勢いは衰えず第3Q終了直前まで9点差のリードを奪っていましたが、最後の最後にブルズのジャド・ブジュラーが3ポイントを決めたことで結果的にブルズが1点縮めた形で第4Qへ向かいました。
ポジティブな終わりで第4Qを迎えることができたブルズは第4Q頭にピッペンやスティーブ・カーの3ポイントなどで10得点を連取し、一気に追いつくことに成功。
そこから試合は両者殴り合いの展開に発展し、残り1分44秒で86-86と同点のまま最終局面を迎えます。
次の得点が決勝点になりうることがわかっている両者は決死の守備で相手に得点を許さず、得点が動かないまま試合は残り1分を切る展開に。
ジャズは残り30秒を切ったあたりでストックトンのパスからシェンドン・アンダーソンがゴール下でボールを受け取りますが、まさかのレイアップミスで絶好のチャンスを逃します。
この時ブロックに向かったピッペンがリングを大きく揺らしていたことから反則が疑われましたが、抗議したジャズ側の主張は認められず28秒を残してブルズボールとなりました。
そして伝説の舞台は整います。
ブルズが最後の攻撃を任せたのはもちろんマイケル・ジョーダン。
ジャズもそれはわかっているためジョーダンがボールを持つと同時にダブルチームを仕掛けました。
ジョーダンはそれでも一切怯むことなくドライブで切り込みます。
完全に抜き切れてはいませんでしたが、ジョーダンであればシュートを打つと誰もが思いました。
しかしジョーダンがこの場面で選択したのはパス。
受け取ったのはスティーブ・カー。
カーが放ったシュートは美しい弧を描きリングに収まりブルズにリードをもたらしました。
ジャズはすぐさまタイムアウトをとり、最後の攻撃を仕掛けますがピッペンの値千金のスティールが決まり、トニー・クーコッチが雄叫びと共にとどめのダンクを決めて試合終了。
コートには大歓声と共にブルズの選手とメディアが押し寄せ大混乱状態。
こうしてブルズの2連覇は達成されました。
まとめ
今回は「NBAファイナル1997 シカゴ・ブルズ VS ユタ・ジャズ」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
このシーズンは6度あるブルズの優勝の中で最も相手との実力差がなかった年だと思います。
それゆえに接戦の試合も多く、ジョーダンの勝負強さが発揮されたNBAファイナルとなりました。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!