ロサンゼルス・レイカーズの黄金期を支えた伝説的ポイントガード「マジック・ジョンソン」。
代名詞「ノールックパス」を武器にレイカーズを5度のNBA制覇に導いた英雄であり、2002年にはバスケットボール殿堂入りを果たしたレジェンド中のレジェンドです。
ただ、ひと昔前の選手と会って、現役時代のプレイをあまりよく知らないという方も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、そんなマジック・ジョンソンが現役時代どんな選手だったのかについて解説していこうと思います。
NBA時代に残した功績やエピソードを下にマジック・ジョンソンの魅力を存分にご紹介していきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
“Magic”の愛称で親しまれたNBA史上最高のポイントガード
代名詞のノールックパスを武器にNBAを世界的人気を誇るリーグへと押し上げたNBA史上最高のポイントガード「マジック・ジョンソン」。
巧みなパスで間暇客を魅了する鮮やかな速攻を組み立てる姿から“Magic(魔法)”の愛称で親しまれたレジェンドです。
206cmという恵まれた体格をもちながらポイントガードでプレイをするというのは当時のNBAにおいてほとんど前例のないことでしたが、マジック・ジョンソンはそんな「ポジションレスバスケ」の可能性を切り開いたパイオニアとしても知られているんですよ!
ロサンゼルス・レイカーズ一筋で歩んだキャリアの中で残した功績は、5回のNBA優勝、3回のシーズンMVP受賞、12回のオールスター選出などさすがの一言。
彼が着用した背番号「32」は当然レイカーズの永久欠番であり、レイカーズ黄金期を作り上げた英雄として後世に語り継がれる存在となっています。
【マジック・ジョンソンの主な功績】
NBAチャンピオン:5回(1980, 1982, 1985, 1987, 1988)
ファイナルMVP:3回(1980, 1982, 1987)
シーズンMVP:3回(1987, 1989, 1990)
NBAオールスター:12回(1980, 1982〜1992)
オールスターMVP:2回(1990, 1992)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:9回(1983〜1991)
・セカンドチーム:1回(1982)
アシスト王:4回(1983, 1984, 1986, 1987)
スティール王:2回(1981, 1982)
伝説のチーム「“ショータイム”・レイカーズ」の中心選手
マジック・ジョンソンといえば、カリーム・アブドゥル=ジャバーらとともに結成した「“ショータイム”・レイカーズ」の話は避けては通れないでしょう。
“ショータイム”・レイカーズとは、マジック・ジョンソンのパスを軸に速攻を展開するオフェンススタイルで一時代を築いた伝説のチームであり、まるでショーを見ているかのような体験ができることから“ショータイム”という愛称で絶大な人気を誇っていました。
この革命的とも言えるチームスタイルで戦ったロサンゼルス・レイカーズは、わずか10年で5回の優勝を実現。
それまで「ガチムチの男たちがぶつかり合うスポーツ」だったバスケットボールのイメージを「華やかなショー」へと変換し、人気が低迷していた1970年代のNBAを一気に世界的リーグへと押し上げる大きな要因となったのです。
キャリアを象徴する試合となった「1980年NBAファイナル第6戦」
5回もNBAを制覇しているマジック・ジョンソンは当然歴史に残る活躍を何度も残していますが、彼のキャリアの中で最も有名な試合を1つ挙げるとすれば、NBA史上最も偉大な試合の一つに数えられる「1980年NBAファイナル第6戦」ではないでしょうか。
この試合が偉大である理由は大きく2つあります。
それが「“大エース”カリーム・アブドゥル=ジャバーの欠場」と「普段とは違うセンターとしての出場」です。
NBAファイナル第6戦といえばNBA優勝のかかった非常に重要な試合ですが、そんな時に当時ロサンゼルス・レイカーズの大エースであったカリーム・アブドゥル=ジャバーが足の怪我で欠場することが決まり、レイカーズは絶体絶命の状況に立たされます。
しかし、そんなカリーム・アブドゥル=ジャバーの代わりに身長が206cmあるマジック・ジョンソンが普段とは違うセンターのポジションで出場し、42得点、15リバウンド、7アシストという驚異的なパフォーマンスでチームを勝利に導いたのです。
その後レイカーズはNBA優勝を果たし、マジック・ジョンソンは自身初のファイナルMVPを受賞。
さらに恐ろしいのはこの年マジックはNBA1年目であり、史上初となるルーキーのファイナルMVPを受賞となったのです。
この衝撃的な活躍と共にマジック・ジョンソンは一気にNBAのスーパースターへと駆け上がったことから、この一戦は「伝説の始まり」として後世に語り継がれています。
ラリー・バードとのライバル関係
先ほどショータイム・レイカーズについて解説しましたが、ショータイム・レイカーズが絶大な人気を誇っていた背景には強力なライバルの存在があります。
マジック・ジョンソン率いるレイカーズのライバルといえば、ラリー・バードのボストン・セルティックスです。
この2チームは「ショータイム」のレイカーズと「伝統」を重んじるセルティックスという明確な対立構図が描かれ、数々の名勝負と共にNBAの世界的地位を確固たるものにしました。
実はマジック・ジョンソンとラリー・バードのライバル関係は大学時代から始まっており、1979年のNCAAトーナメント(米大学全国大会)の決勝でマジックのミシガン州立大学がラリー・バードのインディアナ州立大学を破って優勝を果たしたのです。
その後、両者はNBAでスーパースターとなり、NBAファイナルで3度も激突。
1980年代のNBAはこの2チームによって作られた時代といっても過言ではなく、のちのNBAに多大な影響を与えたバスケットボールの歴史上最も偉大なライバル関係の1つであることは間違いないでしょう。
HIV感染による突然の引退
最後に、マジック・ジョンソンが32歳にして世界に衝撃を与えながら引退したエピソードをご紹介します。
マジックほどのすーぱーすたーがまだ現役で活躍できる実力を持ったまま突然の引退をしなければならなかった理由は「HIV感染」でした。
マジックが引退を発表した1991年当時、HIV感染すなわちエイズは「死の病」として知られており、その闘病生活のためにバスケットを断念せざるを得なかったのです。
しかし、マジックは適切な治療や生活改善によって見事エイズを克服してみせ、その勇姿によって「同性愛者の病気」や「不治の病」といった世間のエイズに関する間違った認識を正すことに成功したのです。
その後もエイズ予防啓発活動家としての活躍を続け、エイズの社会的な認識を変えることに尽力しているそう。
またNBA選手としては引退したマジックでしたが、エイズ治療後にはファン投票によってオールスターに登場したり、1992年のバルセロナ五輪にアメリカ代表として参戦したりと度々コート上で姿を見ることができました。
HIV感染という大きな壁にぶつかりながらも世間に多大な影響を与えた、ある意味でマジック・ジョンソンの偉大さがわかる引退だったと言えるでしょう。
まとめ
今回は、ロサンゼルス・レイカーズで活躍したNBA史上最高のポイントガード「マジック・ジョンソン」についてご紹介しました。
現代バスケでは当たり前となっている「ノールックパス」や「ポジションレス」ですが、もしマジック・ジョンソンがいなければなかったかもしれないと思うとその偉大さがわかりますね。
マジックが率いた”ショータイム”・レイカーズは史上最も見ていて楽しいバスケだと思いますので、まだ見たことのない方はぜひYouTubeなどでハイライト動画を見てみてください。
この記事をきっかけに、よりマジック・ジョンソンの魅力に気づいていただけたのなら幸いです。