バスケットボール誕生から100年以上もの間、プレイヤーの進化と共にバスケットシューズもまた進化を続けてきました。
クッション性、耐久性、軽さ、履き心地に至るまで、100年前と今ではまるで比べ物にならないでしょう。
一方で、バッシュの進化の歴史は“ブランド同士の競争の歴史”と言い換えることもできます。
バスケットシューズの進化の裏には必ず人気の“火付け役”になったNBAスターが存在し、彼らとマッチしたブランドが次の時代の覇権を握っていたわけです。
つまり、NBAとバッシュは切っても切り離せない関係にあり、NBAの歴史と共にバッシュの歴史を知っていくと、その歴史はより立体的で、面白いものになるんですよ!
そこでこの記事では、2016年からNBAを見続け、NBAの歴史にも興味を持って調べてきた僕の視点から、「バスケットボールシューズの歴史」について詳しくご紹介していこうと思います。
バッシュが誕生した1917年から現代に至るまでの道のりを順を追って語り尽くしていきますので、ぜひ最後までご覧くださいね!
【個人的な視点】その時代のNBAスターが履いたバッシュがトレンドになる
まず初めに、バッシュの歴史について僕の意見をお伝えしたいと思います。
イントロで“バッシュの歴史はNBAの歴史と密接に関係している”という話をしましたが、ものすごくシンプルにいえば「その時代のスター選手が履いたシューズが流行る」と僕は思っています。
プロのバスケットボール選手ならいざ知らず、バッシュを購入するファンの大半はバスケットボールが“好き”な一般人ですから、正直どのブランドを履くかよりも誰がそのバッシュを履いているのかの方が重要なんですよね。笑
実際僕も2022年に初めてバッシュを購入したのですが、当時NBAで活躍していたスター選手の「ステフィン・カリー」と「ヤニス・アデトクンボ」でどちらのシグネチャーモデルにするか悩み、結局より幅広いプレーに対応しているヤニスの「ズーム フリーク 4」を購入した思い出があります。
たまたまナイキがヤニスと契約をしていたから僕はナイキのバッシュを履いていますが、もしヤニスがアディダスやプーマと契約していたとしても、僕は躊躇いなくそのバッシュを選んでいたでしょう。
バッシュの歴史ってこれの繰り返しだと思うんです。
つまり、NBAの歴史を知り、その時代にNBAの顔となった選手たちが着用しているバッシュを知っていくことで、自然とバッシュの歴史も全体像が見えてくるというわけです。
もしあなたが「バッシュが好き」という理由でこの記事に辿り着いたのなら、ぜひこの機会に「NBAの歴史」にも触れながら知識を深めていってもらえたらなと思います。
世界初のバッシュ「コンバース オールスター」誕生!
それでは早速、「バッシュの歴史」を世界初のバッシュが誕生した瞬間から振り返っていきましょう!
皆さんは世界で初めて誕生したバスケットボールシューズをご存知でしょうか?
実は、皆さんもよく知るコンバースの名作「オールスター」こそが、世界で最も初めにリリースされたバッシュなんですよ!
1908年に豪雪地帯向けのラバーシューズを制作するための企業として創業し、のちに通年で販売できる商品を求めてバッシュ開発に参入したシューズブランド「コンバース」。
1900年代初頭は主に大学バスケの選手たちに好んで履かれたブランドで、1917年に大学バスケ界のスター「チャック・テイラー」が愛用した「ビッグC」というモデルによって一躍有名ブランドになります。
実はこの「ビックC」というモデルこそが、「コンバース オールスター」の原型になった一足。
実際に「オールスター」という名将がつけられたのは1925年のことですが、それまでも「ウェーブサイト」や「ドジャー」など名称は変わったものの、姿形をほとんど変えることなく愛され続けていたんだそうです。
バッシュを履いたことがある方ならわかると思いますが、バッシュのクッション性って疲労や怪我に直結しますよね。
それまで木や動物の革が主流だった時代に現れた「ゴム底シューズ」というアイテムは、当時の選手たちからすればまさに“革命”だったでしょう。
この頃はまだNBAはもちろん、バスケのプロリーグ自体が存在していませんでしたが、バッシュの登場はバスケットボール全体のプレーレベル向上に大きく貢献し、ここからプロリーグの発足へとつながっていったことは間違いありません。
NBAの黎明期を支えた「コンバース」と「ケッズ」
1946年6月6日に「BAA」として発足し、ライバルリーグである「NBL」を吸収したことによって1949年に改名したアメリカ男子プロバスケリーグ「NBA」。
現在のリーグ規模には程遠い状況でスタートしたNBAの黎明期、選手たちの足は「コンバース」と「ケッズ」という2つのシューズブランドによって支えられていました。
ここでは、そんな「コンバース」と「ケッズ」という2つのブランドを「NBAの歴史」と照らし合わせながらご紹介したいと思います。
2人の“怪物”が着用した「コンバース」
先ほどもご紹介したように、1917年にリリースされた「オールスター」によって一時バスケットシューズ界の覇権を握ったコンバース。
その勢いは1950年代に入っても衰えておらず、NBAでも非常に強い影響力を誇っていました。
1950年代のNBAといえば、ボストン・セルティックスが8連覇を含む11度のNBA制覇を成し遂げた「セルティックス一強時代」。
当時のNBAは、「ビル・ラッセル」とその唯一のライバルである「ウィルト・チェンバレン」という2人の“怪物”を中心に回っていたと言っても過言ではないでしょう。
そんな2人の怪物がこぞって愛用していたブランドこそが「コンバース」。
特に競技用に作られた「オールスター」のローカットモデルは高い人気を誇り、多くのNBA選手に着用されていたそうですよ。
NBA初のスター“ジョージ・マイカン”が愛用した「プロケッズ」
アメリカのゴム製造会社「USラバー・カンパニー」によって、1916年に設立されたシューズブランド「ケッズ」。
木や革などの硬い素材で作られた靴底が当たり前の時代に、“足音がならないゴム底”として「Sneak(スニーク)」を開発し大ブレイクしたブランドです。
そんなケッズのプロスポーツ選手向けブランド「プロケッズ」からリリースされたバスケットシューズは、すでに覇権を握りつつあったコンバースへの唯一の対抗勢力として拡大。
NBAでもプロケッズを愛用する選手は存在し、1940年代〜50年代に活躍したNBA史上初のスーパースター「ジョージ・マイカン」もまた、プロケッズ愛用者の1人だったとか。
特に1949年にリリースされた「プロケッズ ロイヤルアメリカ」は歴代屈指の名作バッシュとして名高く、1950年代には多くのNBA選手の足元を支え続けました。
兄弟喧嘩勃発!?「アディダス」と「プーマ」の誕生
現在は共に世界屈指のスポーツアパレルブランドへと成長している「アディダス」と「プーマ」ですが、そんな2つの大企業がもともとは「ダスラー兄弟商会」という1つの会社だったと言ったらあなたは信じますか?
兄ルドルフと弟アドルフの2人によって1920年に創設された1つの小さな靴工房は、地元ドイツで開催されたベルリン五輪にて陸上選手の靴を作ったことで一躍世界的な名声を獲得するも、兄弟間の関係性のもつれによって決別することになってしまったのです。
ただその結果、兄ルドルフが「アディダス」を、弟アドルフが「プーマ」を設立(1948年)。
そこからぞれぞれのブランドが数々の名作シューズを生み出し続け、互いに世界的シューズブランドへと成長を遂げたわけですね!
そんな「アディダス」と「プーマ」がバスケットシューズ界を揺るがすのはもう少し後の話。
ビル・ラッセルの引退によってセルティックスの王朝が終焉を迎え、同時に「コンバース」と「ケッズ」の2強時代が揺らぎを見せ始めたタイミングを見計らっているのでした。
“王朝”不在のNBA戦国時代!シグネチャーモデル文化の始まり
1969年にセルティックスを11度のNBA優勝に導いたレジェンド「ビル・ラッセル」が引退し、“王朝”と称されたセルティックス一強時代が終焉を迎えた1970年代。
NBAでは次の玉座を狙う、いわば“戦国時代”がスタートしました。
そんな中、コンバースとケッズという2大バッシュブランドに割って入ったのが、先ほどご紹介した「アディダス」と「プーマ」。
バスケットシューズ界はここから、NBA選手個人とブランドがダッグを組んで開発する「シグネチャーモデル」へとトレンドが進んでいくことになります。
ここでは、そんな1970年代の主役となったブランド「アディダス」と「プーマ」の動きをそれぞれの代表作とともに見ていきましょう!
全NBA選手の約7割以上が着用した伝説のモデル「アディダス スーパースター」
アディダスのバッシュの歴史は、1969年にリリースされた「たった一足の伝説的なモデル」の誕生から始まります。
その名も「アディダス スーパースター」。
動物の本革で作られたアッパーとつま先部分を保護するラバー素材によって、足にピッタリフィットする革命的な一足としてリリースされたんだそうです。
あのカリーム・アブドゥル=ジャバーが着用していたバッシュとしても知られる「スーパースター」ですが、性能があまりに良すぎたせいで、実は全NBA選手の役7割が着用していたとかいないとか・・・。
「スーパースター」の誕生によって一気にバスケットシューズ界の主役へと成り上がったアディダスは、ここから長きにわたってバッシュの技術界を牽引することになっていきます。
バスケットボール史上初の”シグネチャーモデル”「プーマ クライド」
アディダスが「オールスター」によってバスケットボール界の覇権を握りかけていた頃、弟アドルフは選手個人にフォーカスしたシューズ作りに着手していました。
いわゆる“シグネチャーモデル”の制作を行っていたわけですが、当然最初はいまいち理解されず、優れたモデルとなる人物を探すのに手間取ってしまいました。
そんなプーマがたどり着いたのが、当時まだスーパースターになっていない“稀代の大型新人”「ウォルト・フレイジャー」。
フレイジャーのステップの動き、プレースタイル、癖などを研究し、来る1973年に誕生したのが、バスケットボール史上初の”シグネチャーモデル”「プーマ クライド」だったわけです。
ウォルト・フレイジャーの愛称「クライド」の名を冠した一足は、フレイジャーがNBA屈指のポイントガードへと成長すると共に人気も爆発的に上昇していったのでした。
NBAが世界的リーグへ!2大スターを支えたコンバースとナイキ革命
さて、時代は1980年代に移ります。
1980年代のNBAといえば、「マジック・ジョンソン」率いるレイカーズと「ラリー・バード」要するセルティックスのライバル関係によってNBAの人気が爆発的に高まった時代。
実はこの2人、いずれも「コンバース」とスポンサー契約を結んでおり、彼ら2人を広告塔にしたコンバースのバッシュは、一時絶大な人気を誇るようになります。
一方、1980年代のバスケットシューズ界を語る上で欠かすことがないないのが、伝説のモデルを引っ提げて革命を引き起こした「ナイキ」の存在。
続いては、そんな「コンバース」と「ナイキ」について、1980年代に起きたそれぞれの物語を語っていこうと思います。
マジックとバードが好んで着用した「コンバース ウエポン」
“ショータイム”・レイカーズの絶対的司令塔であり、NBA史上最高のポイントガードと称された「マジック・ジョンソン」。
類稀なバスケIQと正確無比なアウトサイドシュートによってリーグを席巻した伝説的フォワード「ラリー・バード」。
1980年代のNBAを代表するこの2人のレジェンドが、同時にCMに登場することの影響力は計り知れないものがあるでしょう。
そんなもはやチートとも言える作戦によって、当時爆発的な人気を博したのが1986年にコンバースからリリースされた「ウエポン」。
くるぶしを支える構造によってホールド感を劇的に向上させた機能性に加え、豊富なカラーバリエーションを揃えたこのモデルは、全世界で400万足を売り上げる大ヒットとなりました。
ナイキ革命!バッシュの王様「エアジョーダン1」誕生
1980年代に入ると、ナイキから画期的なクッション技術「Nike Air」が登場し、バスケットシューズの時代は大きく変わります。
「Nike Air(ナイキ エア)」を搭載した初のバスケットシューズである「エアフォース1」のリリースは、ナイキがバスケットシューズ界の覇権争いに向けて狼煙をあげた瞬間であり、バッシュの機能性を争うブランドごとの技術競争がスタートした瞬間でもありました。
そんな中、1984年にナイキはNBAドラフト3位指名を受けた期待の新人「マイケル・ジョーダン」とスポンサー契約を結び、のちに“バッシュの王様”と称される伝説的なモデル「エアジョーダン1」を生み出したのです。
「Nike Air(ナイキ エア)」による高い機能性とデザイン性を兼ね備えた「エアジョーダン1」は、「カラー違反でNBAから罰金を貸されながらも履き続けた」という伝説的なエピソードも相まって爆発的な人気を獲得。
同時にナイキの名作シリーズ「ダンク」も大学バスケ界において再評価を受けるなど“ナイキ人気”はとどまることを知らず、1980年代後半に入るころにはバスケットシューズ界はナイキの一強時代へと突入していくのでした。
リーボックの台頭によりバッシュの“ハイテク化”が加速
1980年代後半にバスケットボール業界へと参入してきたイギリス発祥のスポーツブランド「リーボック」。
そんなリーボックが日に日に勢力を増していくナイキの勢いに対抗するべく、「Nike Air(ナイキ エア)」のライバル技術として開発したのが「ポンプテクノロジー」でした。
空気の注入によって靴紐を縛ることなく足へフィットする「ポンプテクノロジー」は画期的で、その技術を初めて搭載した「ザ・ポンプ(1989年リリース)」は爆発的な人気を誇ったそうです。
「ザ・ポンプ」の誕生は、ナイキによって始められた“ハイテクバッシュブーム”にさらに拍車をかけ、ブランド同士がバッシュの機能性で競い合う時代をもたらしたと言えるでしょう!
「シグネチャーモデル時代」到来!多様化するバッシュブランド
これまでさまざまな進化を遂げてきたバスケットシューズですが、1990年代以降のバスケットシューズ界を一言で表現するなら「シグネチャーモデル時代」だと思います。
ナイキとリーボックの技術競争から始まった“ハイテクバッシュブーム”が、世界最高峰のリーグでしのぎを削るNBAスター選手たちの需要とマッチし、スター選手専用の高機能性シグネチャーモデルが続々リリースされるようになっていったのです。
ナイキからはマイケル・ジョーダンやレブロン・ジェームズ。
リーボックからはアレン・アイバーソンやシャキール・オニール。
アディダスからはディケンべ・ムトンボやデリック・ローズ。
アンダーアーマーからはステフィン・カリーやジョエル・エンビード。
などなど。
1990年代以降にリリースが開始したシグネチャーシリーズを列挙すればキリがありません。
特に2010年以降に入ってからはアンタやリーニンと言った中国企業も本格的に参入し、世界的な技術競争が始まった気がしています。
冒頭でNBAの歴史と共にバッシュの歴史ありと言いましたが、シグネチャーモデルはまさにその象徴。
これからも今の我々では想像できないようなスキルやフィジカルを持ったNBA選手たちがバスケットボールをさらに進化させ、それに呼応するかのようにバスケットシューズもまた進化していくことでしょう!
まとめ
今回は、バスケットボールシューズの歴史をNBAの歴史と交えてご紹介してきました。
いかがでしたか?
バスケットシューズの進化の裏には必ず火付け役になったNBAスターが存在し、彼らとマッチしたブランドが次の時代の覇権を握っていくという歴史の繰り返しが分かっていただけたのではないでしょうか?
なぜその流行が起きたのかを知ると、バッシュの歴史はより面白くなりますよね!
この記事が皆さんのバスケライフをより楽しいものにするきっかけとなれたら幸いです。
また次の記事でお会いしましょう!