NBA伝説の男たち

ブラデ・ディバッツってどんな選手?NBAで初めて長期的な成功を収めた「欧州選手のパイオニア」

2000年以降のNBAを見ていると、ヨーロッパ人選手の活躍が目覚ましいですよね。

すでにレジェンドとなったダーク・ノビツキーやトニー・パーカーはもちろん、将来の殿堂入りは確実であろうヤニス・アデトクンボやニコラ・ヨキッチなど、NBAファンであれば名前を知らない人はいないような選手たちも数多くヨーロッパから排出されています。

 

ヨーロッパからNBAに参入するハードルは昔よりもはるかに低くなっていますが、そのパイオニアとなったのが「ブラデ・ディバッツ」という旧ユーゴスラビア(現セルビア)出身のセンターでした。

この記事では、そんな「ブラデ・ディバッツ」が現役時代どんな選手だったのかをご紹介していこうと思います。

2019年にバスケットボール殿堂入りを果たした彼が、なぜNBAレジェンドと呼ばれるようになったのかを語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!

 

NBAで初めて長期的な成功を収めた「欧州選手のパイオニア」

1989年のNBAドラフトにて全体26位というなんとも言えない順位でロサンゼルス・レイカーズに指名されてNBA入りを果たした「ブラデ・ディバッツ」。

ディバッツがNBA入りした当初はバッドボーイ・ピストンズやマイケル・ジョーダンが覇権を争っていた時代であり、NBAに所属する選手のほとんどがアメリカ人。

ましてやヨーロッパ出身の選手なんてほとんどいませんでした。

 

そんな中、ブラデ・ディバッツはヨーロッパ出身のセンターの特徴である高精度なアウトサイドシュートやパスを遺憾無く発揮し、レイカーズやキングスをはじめとした複数のチームで主力として計15シーズンを戦い抜いたのです

残念ながら優勝や個人賞の受賞はほとんどなかったものの、後世のヨーロッパ人選手たちがNBAに挑戦する道を切り開いたディバッツの存在は、NBAレジェンドとして語り継がれるにふさわしいものだと思います。

 

【NBA時代の主な功績】

キングスの永久欠番:21

オールスター:1回(2001)

 

【プレースタイル】広い視野とパスセンスでオフェンスを展開する“ヨーロピアンセンター”の先駆け

ブラデ・ディバッツのプレースタイルを一言で言うなら「ヨーロピアンセンター」でしょう。

216cmとNBAの中でも高い身長を持ちながら、インサイドでの得点以上にパス能力とプレーメイクを好み、ボールのハブ役としてゴール下に君臨したのです。

もちろん個人で得点を取る能力も高く、アウトサイドシュートやポストプレーなど数多くの得点手段を誇っていました。

 

ディフェンダーとしてはエリートクラスではありませんでしたが、それでも持ち前のポジショニングとIQによってディフェンダーの動きを予測し対応することで身体能力をカバー。

結果的に15シーズンのキャリアで「13,000得点以上、9,000リバウンド以上、3,000アシスト以上、1,500ブロックショット」以上の成績を残している数少ない選手の1人となったのです。(他はカリーム・アブドゥル=ジャバー、ティム・ダンカン、シャキール・オニール、ケビン・ガーネット、アキーム・オラジュワンの5名のみ)

 

国際大会で無類の強さを誇った“黄金期”ユーゴスラビア代表の大黒柱

ブラデ・ディバッツを語る上で外すことができないのが、旧ユーゴスラビア代表(現セルビア代表)として成し遂げた国際大会での活躍の数々でしょう。

バスケの国際大会といえばアメリカ一強のイメージが強いかと思いますが、ディバッツが所属していたころのユーゴスラビア代表はまさに"黄金期”。

ドラゼン・ペトロビッチやトニー・クーコッチといったメンバーと共に活躍し、オリンピックで銀メダル2つ、ワールドカップで金メダル2つ、ユーロバスケットで金メダル3つと、驚異的なペースで勝ち続けたのです。

 

特に2002年のFIBAワールドカップでは順々決勝でアメリカ代表を撃破し、そのまま優勝するという、まぐれじゃ効かない確かな強さを証明。

そんな国際大会で無類の強さを誇ったチームのゴール下を支える大黒柱となったディバッツは、バスケットボール殿堂入りを果たすに相応しいと評価されるには十分すぎる実績を残したと言えるでしょう!

 

NBA時代のキャリアを簡単に紹介

最後に、2016年からNBAを見まくっている僕の視点から、ブラデ・ディバッツのキャリアを簡単にご紹介していこうと思います。

 

ルーキー時代からレイカーズの主力として活躍

ショーン・ケンプやティム・ハーダウェイなどの燻し銀な選手たちを数多く排出した1989年NBAドラフトにて、全体26位で指名を受けてレイカーズに入団した「ブラデ・ディバッツ」。

当時はまだヨーロッパ人センターに対する目は厳しく、NBAの舞台でフィジカルに戦うことができないと不安視されていましたが、蓋を開けてみればディバッツはチームにすぐさま順応。

キャリア2年目となる1991年にはNBAファイナルにも進出しており、結果は1勝4敗と歯が立たなかったものの、マイケル・ジョーダン要するシカゴ・ブルズに一泡吹かせる原動力となったのです。

 

ただ、そんな一見順風満帆そうに見えたキャリアは、突然舞い込んできたルーキー時代のコービー・ブライアントとのトレードの話によって唐突に終わりを告げます。

7シーズン戦ったレイカーズに別れを告げ、新天地ホーネッツでの新たな挑戦が始まったのでした。

 

シャックとコービーを追い詰めた“黄金期”キングスの中心選手

ホーネッツで2年間を過ごしたのち、新たにトレードされたサクラメント・キングスにて居場所を見つけることとなりました。

2000年代前半、ブラデ・ディバッツはキングスのゴール下に定着。

クリス・ウェバーやマイク・ビビーらと共にサクラメント・キングス史上屈指の“黄金期”形成し、リーグ屈指の強豪としてNBA優勝へと挑むことに。

 

特に2002年のウェスタン・カンファレンス・セミファイナルでは自分を放出してコービーを選んだロサンゼルス・レイカーズと激突。

惜しくも競り負ける結果にはなってしまったものの、NBA3連覇を果たしたシャックとコービーのレイカーズに対してあと一歩のところまで迫ったキングスの強さが際立ったシリーズだったと思います。

結局キャリアを通じて優勝は果たすことができなかったものの、レイカーズやキングスで主力として活躍した実績は、ヨーロッパ人という枠組みを捨て、1人のNBA選手としてレジェンドと称されるに相応しい存在だったと言えるでしょう!

 

まとめ

今回は、NBAにおいてヨーロッパ人プレイヤーのパイオニアとして活躍したレジェンド「ブラデ・ディバッツ」についてご紹介しましたが、いかがでしたか?

 

今でこそ国際化が進んでいるNBAですが、我々ファンが当たり前のように見ているヨーロッパの国々出身のスーパースターたちがいるのは、ブラデ・ディバッツのような道を切り開いてくれた選手たちのおかげなんだと実感しますよね。

確かに優勝経験もなく、他のNBAレジェンドたちに比べて個人で果たした実績は少ないですが、NBAの歴史におけるその存在の重要性を考慮すれば、NBAレジェンドと呼ぶに相応しい選手であることは間違い無いでしょう!

 

センターとは思えないほどに広大な視野からのパスワークは必見ですので、まだディバッツのプレーを見たことのない方はこの機会にぜひ彼のハイライト集などを見に行ってみてくださいね!

他のNBAレジェンドについても、彼らが「レジェンド」として語り継がれる理由を語った記事がありますので、気になるNBAレジェンドがいる方はサイトホームから選手名を検索していただければと思います。

それではまた、次の記事でお会いしましょう!

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