こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1994-95シーズンを制したヒューストン・ロケッツ(HOU)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ヒューストン・ロケッツは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ヒューストン・ロケッツは1994年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1994-95 ヒューストン・ロケッツのレギュラーシーズン
まずは1994-95レギュラーシーズンがヒューストン・ロケッツにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
昨シーズン、フランチャイズ史上初のNBA優勝を果たしたヒューストン・ロケッツはアキーム・オラジュワンを中心としたチームで連覇を目指し、レギュラーシーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
シーズン途中でポートランド・トレイルブレイザーズからスターのクライド・ドレクスラーを獲得したにもかかわらず、チームは苦戦。
結果として勝利っつは47勝35敗でウエスタン・カンファレンス6位に沈み、なんとかプレイオフに進出しました。
ヒューストン・ロケッツはミッドウエスト・ディビジョンで3位を獲得しました。
【1994-95レギュラーシーズン ミッドウエスト・ディビジョンの結果】
ミッドウエスト・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
サンアントニオ・スパーズ | 62 | 20 | 0.756 | — | 33–8 | 29–12 | 20–6 | 82 |
ユタ・ジャズ | 60 | 22 | 0.732 | 2 | 33–8 | 27–14 | 17–9 | 82 |
ヒューストン・ロケッツ | 47 | 35 | 0.573 | 15 | 25–16 | 22–19 | 13–13 | 82 |
デンバー・ナゲッツ | 41 | 41 | 0.500 | 21 | 23–18 | 18–23 | 13–13 | 82 |
ダラス・マーベリックス | 36 | 46 | 0.439 | 26 | 19–22 | 17–24 | 11–15 | 82 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 21 | 61 | 0.256 | 41 | 13–28 | 8–33 | 4–22 | 82 |
ヒューストン・ロケッツはウエスタン・カンファレンスで6位を受賞し、プレイオフに進出しました。
【1994-95レギュラーシーズン ウエスタン・カンファレンスの結果】
ウエスタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | サンアントニオ・スパーズ | 62 | 20 | 0.756 | – | 82 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | フェニックス・サンズ | 59 | 23 | 0.720 | 3 | 82 |
3 | ユタ・ジャズ | 60 | 22 | 0.732 | 2 | 82 |
4 | シアトル・スーパーソニックス | 57 | 25 | 0.695 | 5 | 82 |
5 | ロサンゼルス・レイカーズ | 48 | 34 | 0.585 | 14 | 82 |
6 | ヒューストン・ロケッツ | 47 | 35 | 0.573 | 15 | 82 |
7 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | 44 | 38 | 0.537 | 18 | 82 |
8 | デンバー・ナゲッツ | 41 | 41 | 0.500 | 21 | 82 |
9 | サクラメント・キングス | 39 | 43 | 0.476 | 23 | 82 |
10 | ダラス・マーベリックス | 36 | 46 | 0.439 | 26 | 82 |
11 | ゴールデンステイト・ウォリアーズ | 26 | 56 | 0.317 | 36 | 82 |
12 | ミネソタ・ティンバーウルブズ | 21 | 61 | 0.256 | 41 | 82 |
13 | ロサンゼルス・クリッパーズ | 17 | 65 | 0.207 | 45 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1994-95 ヒューストン・ロケッツのプレイオフ
次にヒューストン・ロケッツが1994-95プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1994-95プレイオフの背景】
1994-1995シーズンのプレイオフは1995年4月27日に開始し、6月14日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対ユタ・ジャズ:3勝2敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はカール・マローンとジョン・ストックトンのユタ・ジャズと対戦し、3勝2敗で接戦を制してカンファレンス・セミファイナルに進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1995年4月27日 | ヒューストン・ロケッツ | 100-102 | ユタ・ジャズ | デルタ・センター | |
第2戦 | 1995年4月29日 | ヒューストン・ロケッツ | 140-126 | ユタ・ジャズ | デルタ・センター | |
第3戦 | 1995年5月3日 | ユタ・ジャズ | 95-82 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第4戦 | 1995年5月5日 | ユタ・ジャズ | 106-123 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第5戦 | 1995年5月7日 | ヒューストン・ロケッツ | 95-91 | ユタ・ジャズ | デルタ・センター |
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対フェニックス・サンズ:4勝3敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではチャールズ・バークレーやケビン・ジョンソン擁するフェニックス・サンズと対戦し、4勝3敗でなんとか破りカンファレンス・ファイナルに駒を進めました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1995年5月9日 | ヒューストン・ロケッツ | 108-130 | フェニックス・サンズ | アメリカウエスト・アリーナ | |
第2戦 | 1995年5月11日 | ヒューストン・ロケッツ | 94-118 | フェニックス・サンズ | アメリカウエスト・アリーナ | |
第3戦 | 1995年5月13日 | フェニックス・サンズ | 85-118 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第4戦 | 1995年5月14日 | フェニックス・サンズ | 114-110 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第5戦 | 1995年5月16日 | ヒューストン・ロケッツ | 103-97 | フェニックス・サンズ | アメリカウエスト・アリーナ | |
第6戦 | 1995年5月18日 | フェニックス・サンズ | 103-116 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第7戦 | 1995年5月20日 | ヒューストン・ロケッツ | 115-114 | フェニックス・サンズ | アメリカウエスト・アリーナ |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対サンアントニオ・スパーズ:4勝2敗
カンファレンス・ファイナルではデビッド・ロビンソン擁するサンアントニオ・スパーズとの対戦となり、これを4勝2敗で制して2年連続となるNBAファイナルの切符を掴み取りました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1995年5月22日 | ヒューストン・ロケッツ | 94-93 | サンアントニオ・スパーズ | アラモドーム | |
第2戦 | 1995年5月24日 | ヒューストン・ロケッツ | 106-96 | サンアントニオ・スパーズ | アラモドーム | |
第3戦 | 1995年5月26日 | サンアントニオ・スパーズ | 107-102 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第4戦 | 1995年5月28日 | サンアントニオ・スパーズ | 103-81 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第5戦 | 1995年5月30日 | ヒューストン・ロケッツ | 111-90 | サンアントニオ・スパーズ | アラモドーム | |
第6戦 | 1995年6月1日 | サンアントニオ・スパーズ | 95-100 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット |
こうして迎えた1995年のNBAファイナルでは、ヒューストン・ロケッツがシャキール・オニール擁するオーランド・マジックを4勝0敗(スイープ)で破り、2年連続2度目の優勝を果たしました。
1995年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:オラジュワンのロケッツが2連覇
今回は「1995年のNBAファイナルで優勝を果たした”ヒューストン・ロケッツ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝によりヒューストン・ロケッツは2年連続2回目のNBA優勝を果たしました。
また、シリーズ平均32.8得点を記録し、シャックとの最強センター対決を制したオラジュワンが2年連続ファイナルMVPに選出されました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!