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【BAAファイナル1949】ミネアポリス・レイカーズ VS ワシントン・キャピトルズ 全6試合の結果や流れを詳しく解説!

皆さんこんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。

これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。

一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。

その確率は脅威の0.0001%。

例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。

 

そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。

本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。

 

そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。

特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。

その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。

 

今回はその中から「BAAファイナル1949 ミネアポリス・レイカーズ VS ワシントン・キャピトルズ」の対決をご紹介しましょう!

NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!

それではティップオフ!!

 

BAAファイナル1949に出場したチームの背景を知ろう!

1949年BAAファイナルはウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ミネアポリス・レイカーズ」とイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ワシントン・キャピトルズ」の戦いでした。

まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!

 

ミネアポリス・レイカーズ

1948-49シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 44勝16敗(カンファレンス2位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル 2勝0敗(VS シカゴ・スダックス)
カンファレンス・ファイナル 2勝0敗(VS ロチェスター・ロイヤルズ)

 

「ミネアポリス・レイカーズ」はミネソタ州ミネアポリスに拠点を置くチームです。

エースは「ジョージ・マイカン」。

レギュラーシーズンを44勝16敗のディビジョン2位で終えると、プレーオフでは準決勝でマックス・ザスロフスキー要する「シカゴ・スダックス」を、決勝戦でボブ・デイヴィス率いる「ロチェスター・ロイヤルズ」を倒し、BAAファイナルに進みました。

 

この年優勝を果たしたミネアポリス・レイカーズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!

 

ワシントン・キャピトルズ

1948-49シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 38勝22敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル 2勝0敗(VS フィラデルフィア・ウォリアーズ)
カンファレンス・ファイナル 2勝1敗(VS ニューヨーク・ニックス)

 

「ワシントン・キャピトルズ」はアメリカ合衆国ワシントンD.C.に拠点を置くチームです。

この年のキャピトルズはジャック・ニコルスやフレッド・スコラリーなどの選手で構成されていました。

レギュラーシーズンを38勝22敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフでは準決勝で ジョー・ファルクスらの「フィラデルフィア・ウォリアーズ」を、決勝戦で「ニューヨーク・ニックス」を倒し、BAAファイナルに進みました。

 

BAAファイナル1949の出場選手・ロスター

次にBAAファイナル1949で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!

 

ミネアポリス・レイカーズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
F-G 18 アーニー・フェリン(Arnie Ferrin) 188 82 1925年7月29日
G-F 15 ドン・カールソン(Don Carlson) 183 77 1919年3月22日
G-F 12 ドン・スミス(Don Smith) 188 86 1920年7月27日
G 22 ドニー・フォーマン(Donnie Forman) 178 79 1926年1月17日
F 14 アール・ガードナー(Earl Gardner) 191 88 1923年9月18日
C 99 ジョージ・マイカン(George Mikan) 208 111 1924年6月18日
G-F 24 ハーム・シェーファー(Herm Schaefer) 183 79 1918年12月20日
F-G 19 ジャック・ドワン(Jack Dwan) 193 91 1921年5月3日
F 19 ジャック・ティングル(Jack Tingle) 193 93 1924年12月30日
SF 17 ジム・ポラード(Jim Pollard) 193 84 1922年7月9日
G-F 16 ジョニー・ヨルゲルセン(Johnny Jorgensen) 188 84 1921年12月28日
F-C 11 マイク・ブルーム(Mike Bloom) 198 86 1915年1月14日
C 18 レイ・エレフソン(Ray Ellefson) 203 104 1922年11月18日
F-G 13 トニー・ヤロス(Tony Jaros) 191 84 1920年2月22日
G 20 ホワイティ・カハン(Whitey Kachan) 188 79 1925年9月15日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

ワシントン・キャピトルズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
F-G 10 ボブ・フィーリック(Bob Feerick) 191 86 1920年1月2日
SF 17 ボーンズ・マッキニー(Bones McKinney) 198 84 1919年1月1日
G-F 13 ディック・オキーフ(Dick O'Keefe) 188 84 1923年9月29日
F-G 22 ディック・シュルツ(Dick Schulz) 188 87 1917年1月3日
PG 20 フレッド・スコラリ(Fred Scolari) 178 82 1922年3月1日
PF 15 ジャック・ニコルズ(Jack Nichols) 201 101 1926年4月9日
C-F 15 ジャック・トゥーメイ(Jack Toomay) 198 97 1922年8月9日
F 16 ジョニー・ノーランダー(Johnny Norlander) 191 82 1921年3月5日
C-F 11 クレッギー・ヘルムセン(Kleggie Hermsen) 206 102 1923年3月12日
G 23 レオ・カトカヴェック(Leo Katkaveck) 183 84 1923年4月17日
G-F 18 マット・ズニック(Matt Zunic) 191 88 1919年12月19日
G 29 シドニー・ハーツバーグ(Sonny Hertzberg) 178 79 1922年7月29日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

BAAファイナル1949のシリーズ概要

それではいよいよBAAファイナル1949の試合の結果を見ていきましょう!

1948-49シーズンのBAAチャンピオンは「ミネアポリス・レイカーズ」。

チームとしては史上初の優勝となりました。

対戦成績は4勝2敗。

詳細な試合結果は以下のとおりです。

試合 日付 アウェイ 結果 ホーム
1 4月4日 ワシントン・キャピトルズ 84-88 ミネアポリス・レイカーズ
2 4月6日 ワシントン・キャピトルズ 62-76 ミネアポリス・レイカーズ
3 4月8日 ミネアポリス・レイカーズ 94-74 ワシントン・キャピトルズ
4 4月9日 ミネアポリス・レイカーズ 71-83 ワシントン・キャピトルズ
5 4月11日 ミネアポリス・レイカーズ 65-74 ワシントン・キャピトルズ
6 4月13日 ワシントン・キャピトルズ 56-77 ミネアポリス・レイカーズ

 

BAAファイナル1949の試合の概要

ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。

ジョージ・マイカンを獲得したレイカーズが悲願の優勝を果たしたシーズンのBAAファイナルを一緒に見ていきましょう!

 

第1戦(84-88 ミネアポリス・レイカーズ Win)

BAAファイナルの1回戦はミネアポリス・レイカーズのホーム「ミネアポリス・オーディトラム」で始まりました。

BAAとして最後のシーズンとなったこの年のファイナルは、BAAのライバルリーグであるNBLから参入したチームの1つであるミネアポリス・レイカーズと、イースト首位を順調に守ったワシントン・キャピトルズとの一戦になりました。

レギュラーシーズンを通してレイカーズのジョージ・マイカンは支配的な活躍を見せてきましたが、BAAの頂点を決めるこのシリーズでもキャピトルズはいきなりマイカンの恐ろしさを思い知ることとなります。

第1戦は序盤にリードを奪ったレイカーズをキャピトルズが追いかける構図となり、点差こそ4点とそれほど大差はありませんでしたが、キャピトルズは終始マイカンを止めることができませんでした。

結果この試合マイカンはレイカーズの総得点の約半分にあたる42得点を1人でスコアし、レイカーズを勝利に導きました。

 

第2戦(62-76 ミネアポリス・レイカーズ Win)

レイカーズリードで迎えた第2戦。

第1戦でほぼマイカンひとりに敗れたキャピタルズは、第2戦に向けてディフェンスを修正します。

マイカンに集中的なティフェンスを展開し、彼のシュート本数を減らすと、マイカンの得点をわずか10得点に抑えることに成功。

しかし、彼以外の選手が薄くなったプレッシャーのもとで得点を決め、またしてもレイカーズが勝利。

キャピタルズはチームハイがシドニー・ハーツバーグの13得点に終わり、せっかく作ったチャンスをものにすることができませんでした。

 

第3戦(94-74 ミネアポリス・レイカーズ Win)

レイカーズが2連勝で迎えた第3戦。

舞台はワシントン・キャピトルズのホーム「ウーリン・アリーナ」に移ります。

負ければ後がなくなるキャピトルズはホームで流れを掴みたいところでしたが、またもマイカンが立ちはだかります。

この日好調だったマイカンはダブルチームをものともせず得点し続け、35得点を記録。

さらにジム・ポラードやハーム・シェーファーも続き得点を量産すると、レイカーズがキャピトルズを圧倒。

試合中に一度も流れを渡すことなく、点差を広げ続けて勝利しました。

 

第4戦(71-83 ワシントン・キャピタルズ Win)

レイカーズが早くも優勝に王手をかけて迎えた第4戦。

ホーム2戦目となったこの日は、後がなくなったキャピトルズがようやく意地を見せます。

ここまで10点台と低調だったジャック・ニコルスがようやく爆発し、この日は27得点を高いシュート効率で記録。

他の選手も流れに乗り、出場選手全員が得点を挙げる多彩なオフェンスで試合をリードし、ついにキャピトルズがシリーズ初勝利をあげました。

 

第5戦(65-74 ワシントン・キャピタルズ Win)

キャピトルズが1勝を返して迎えた第5戦。

ホームでの3連戦の最終日となったキャピトルズは、第4戦の流れを引き継ぎ選手たちが躍動します。

第4戦のニコルスのように大量得点をした選手はいなかったものの、5選手が2桁得点を記録して前半から試合をリード。

後半にレイカーズの反撃を受けますが、最後はさらに点差を広げてキャピタルズが勝利。

レイカーズはマイカンが彼にしては少ない22得点に終わり、終盤に点が伸びず敗戦となりました。

 

第6戦(56-77 ミネアポリス・レイカーズ Win)

運命の第6戦。

舞台はレイカーズのホーム「ミネアポリス・オーディトラム」。

3連勝のあとまさかの2連敗を喫したレイカーズでしたが、選手たちに無駄な焦りはなく、ホームに戻ったこの試合で確実にキャピトルズを仕留めにいきました。

硬いディフェンスでキャピトルズのシュートをわずか16本に抑え込むと、オフェンスではマイカンが29得点と躍動。

キャピトルズはこのシリーズを象徴するマイカンのインサイドを止める手段を最後まで見つけることができず、21点の大差をつけてレイカーズが勝利。

これによりレイカーズが球団初のBAA制覇を成し遂げました。

 

まとめ

今回は「BAAファイナル1949 ミネアポリス・レイカーズ VS ワシントン・キャピトルズ」の対決をご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

この年からBAAに参入したミネアポリス・レイカーズはここから”王朝”を築いていくこととなります。

そんなレイカーズを率いたジョージ・マイカンはBAA史上初めてのスーパースターとなった選手として歴史に名を刻みました。

やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!

他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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