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シドニー・モンクリーフはどんなプレーをする選手だったのか?
2019年にバスケットボール殿堂入りを果たしたNBAレジェンド「シドニー・モンクリーフ」。
殿堂入りの時点でも30年以上も前に活躍していた選手とあって、現在NBAを見ているファンの中に彼が現役時代どんな選手だったのかを知る人はほとんどいないのではないでしょうか。
この記事では、そんな「シドニー・モンクリーフ」がどんなプレーをし、どんな功績を残した選手だったのかについて解説していこうと思います。
彼が残した功績やスタッツをもとにシドニー・モンクリーフという選手の魅力を語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
まず1980年代のNBAを知ろう!
シドニー・モックリーフについて語る前に、予備知識として1980年代のNBAがどのようなリーグ状況だったのかを見ていきましょう!
1980年代はまさに「NBAが全米トップクラスのリーグへと成長を遂げた時代」であり、現在はレジェンドとして語り継がれている選手たちが続々台頭してきたタイミングでした。
時代の主役となったのはマジック・ジョンソンのロサンゼルス・レイカーズとラリー・バードのボストン・セルティックスですが、ジュリアス・アービングのフィラデルフィア・76ersやマイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズ、アイザイア・トーマスらのデトロイト・ピストンズなどの強豪チームが争うまさに群雄割拠な状態。
伝統的なライバル関係の確立や数々のスター選手の存在によって爆発的に人気を上昇させたNBAは、一気に全米を代表するスポーツリーグへと成長を遂げていったのです。
さて、そんな戦乱の時代においてこの記事の主人公であるシドニー・モンクリーフ率いるミルウォーキー・バックスはどのような立ち位置だったのでしょうか。
続いては、1980年代のミルウォーキー・バックスがどんなチームだったのかについて見ていきたいと思います。
ミルウォーキー・バックスの”黄金期”となった1980年代
強豪チームがひしめいていた1980年代のNBAにおいて、ミルウォーキー・バックスもまたイースタン・カンファレンスを代表する強豪チームの1つとして“黄金期”を迎えていました。
下に1980年代のミルウォーキー・バックスの戦績を表にまとめましたのでご覧ください。
【1980年代 ミルウォーキー・バックスの戦績】
| シーズン | 勝利 | 敗北 | 勝率(%) | プレイオフ結果 |
| 1980-81 | 60 | 22 | 73.2 | カンファレンス準決勝敗退 |
| 1981-82 | 55 | 27 | 67.1 | カンファレンス準決勝敗退 |
| 1982-83 | 51 | 31 | 62.2 | カンファレンス決勝敗退 |
| 1983-84 | 50 | 32 | 61.0 | カンファレンス決勝敗退 |
| 1984-85 | 59 | 23 | 72.0 | カンファレンス準決勝敗退 |
| 1985-86 | 57 | 25 | 69.5 | カンファレンス決勝敗退 |
| 1986-87 | 50 | 32 | 61.0 | カンファレンス準決勝敗退 |
| 1987-88 | 42 | 40 | 51.2 | 1回戦敗退 |
| 1988-89 | 49 | 33 | 59.8 | カンファレンス準決勝敗退 |
1970年代には低迷していたバックスでしたが、名将ドン・ネルソンのもと、速いパス回しと速攻を武器としたチームを構築したことで1980年代には毎年プレイオフに進出する強豪へと成長。
ラリー・バード率いるボストン・セルティックスとジュリアス・アービング要するフィラデルフィア・76ersに阻まれ続けNBAファイナル進出はついに1度も叶いませんでしたが、それらの歴史的な2チームを脅かす存在であったことは間違いないでしょう。
ポール・ブレっシーやマイク・ダンリービー・シニアなどの実力派選手が揃う中、チームをエースとして牽引していた選手こそ「シドニー・モンクリーフ」だったのです。
では、そんなシドニー・モンクリーフはどのようにしてチームを勝利に導いていたのか、いよいよモンクリーフ個人の活躍について語っていこうと思います。
シドニー・モンクリーフ:“初代DPOY”に輝いたNBA史上最高峰のエリートディフェンダー
”黄金期”ミルウォーキー・バックスにてエースとして活躍していた「シドニー・モンクリーフ」。
彼の最も有名な功績は、やはり「DOPY(最優秀守備選手賞)」の初代受賞者かつ2年連続の受賞者に輝いたことでしょう。
全盛期は間違いなくリーグ最強ディフェンダーであり、その実力はあの”バスケの神様”マイケル・ジョーダンに「対戦した中で最も苦労した選手」と評されるほど。
着用していた背番号「4」はミルウォーキー・バックスの永久欠番となっており、「サー・シド(Sir Sid)」の愛称と共に、NBA史上最高峰のエリートディフェンダーとして語り継がれる選手です。
下にシドニー・モンクリーフの主な功績を載せておきますね!
【シドニー・モンクリーフの主な功績】
オールスター:5回(1982〜1986)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:1回(1983)
・セカンドチーム:4回(1982, 1984〜1986)
最優秀守備選手賞:2回(1983, 1984)
オールディフェンシブチーム
・ファーストチーム:4回(1983〜1986)
・セカンドチーム:1回(1982)
個人としての受賞歴も素晴らしいの一言ですね。
さて続いては、そんなシドニー・モンクリーフの魅力をプレースタイルの観点から見て見ましょう!
【プレースタイル】平均得点20点以上を記録する攻守にバランスの取れたオールラウンダー
シドニー・モンクリーフのプレースタイルを一言で言えば、「攻守にバランスの取れたオールラウンダー」でしょう。
突出したディフェンス力の陰に隠れて軽視されがちですが、実はオフェンスもかなり得意であり、高い身体能力を活かしたドライブや高精度のミッドレンジシュートを用いたスコアリングで平均20点以上を残すシーズンを何度も記録しているんですよ!
また、191cm、81kgと決して恵まれない体格ながらも、「予測」と「巧みなハンドワーク」で1番(ポイントガード)〜3番(スモールフォワード)までのポジションを守れる守備力は圧巻。
ただ、プレーを見るとかなり泥臭く、ブロックやスティールは数えるほどしかないというのもモンクリーフの特徴だと言えるでしょう。
ぴったり張り付く執拗なマークによって相手エースを完全に封じ込める姿は玄人好みかもしれませんが、ビックマン全盛の時代にガードポジションでDPOY(最優秀守備選手賞)を受賞した実力は伊達ではありません。
このようにミルウォーキー・バックスにおいて攻守でチームを引っ張っていたモンクリーフですが、やはりそのプレースタイルは体への負担も少なくありませんでした。
最後は、体への大きい負担がケガへと発展してしまった惜しまれるキャリアの概要をご紹介しようと思います。
【キャリアの概要】膝の怪我による短すぎた全盛期
シドニー・モンクリーフのキャリアを語る前にまずスタッツを見てもらいましょう。
【レギュラーシーズンのスタッツ】
| シーズン | チーム | 出場試合 | 先発出場 | 出場時間 | フィールドゴール% | 3ポイント% | フリースロー% | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1979–80 | MIL | 77 | — | 20.2 | 46.8 | .000 | .795 | 4.4 | 1.7 | .9 | .2 | 8.5 |
| 1980–81 | 80 | — | 30.2 | 54.1 | .222 | .804 | 5.1 | 3.3 | 1.1 | .5 | 14.0 | |
| 1981–82 | 80 | 80 | 37.3 | .523 | .071 | .817 | 6.7 | 4.8 | 1.7 | .3 | 19.8 | |
| 1982–83 | 76 | 76 | 35.7 | .524 | .100 | .826 | 5.8 | 3.9 | 1.5 | .3 | 22.5 | |
| 1983–84 | 79 | 79 | 38.9 | .498 | .278 | .848 | 6.7 | 4.5 | 1.4 | .3 | 20.9 | |
| 1984–85 | 73 | 72 | 37.5 | .483 | .273 | .828 | 5.4 | 5.2 | 1.6 | .5 | 21.7 | |
| 1985–86 | 73 | 72 | 35.2 | .489 | .320 | .859 | 4.6 | 4.9 | 1.4 | .2 | 20.2 | |
| 1986–87 | 39 | 30 | 25.4 | .488 | .258 | .840 | 3.3 | 3.1 | .7 | .3 | 11.8 | |
| 1987–88 | 56 | 51 | 25.5 | .489 | .161 | .837 | 3.2 | 3.6 | .7 | .3 | 10.8 | |
| 1988–89 | 62 | 50 | 25.7 | .491 | .342 | .865 | 2.8 | 3.0 | 1.0 | .2 | 12.1 | |
| 1990–91 | ATL | 72 | 3 | 15.2 | .488 | .328 | .781 | 1.8 | 1.4 | .7 | .1 | 4.7 |
見ていただきたいのは一番右にある「得点」の行で、1986–87シーズンから数値が大きく減少しているのがわかると思います。
このシーズンはシドニー・モンクリーフがちょうど30歳を迎える年であり、この頃から膝の変性疾患によって明らかにパフォーマンスが低下しているのです。
1979年NBAドラフトにて全体9位でミルウォーキー・バックスに入団したモンクリーフは、その類稀な才能によって攻守にわたってチームに貢献し、キャリア3年目にして初のオールNBAチームおよびオールディフェンシブチームの同時選出を受けるほどの選手に成長。
キャリア4年に入ってさらにレベルを上げたモンクリーフは、そこから2年連続となるDPOY(最優秀守備選手賞)や5年連続となるオールNBAチーム選出&オールディフェンシブチーム選出を達成するのでした。
しかし、そこからは膝の怪我によって欠場する試合も増え、本来の実力を発揮することができなくなったモンクリーフは1989年に一度引退を表明。
しかし、やはり未練があったのか、1990-91シーズンにアトランタ・ホークスへ一度復帰するも、結局シーズン終了後に再度引退を表明し、そのNBAキャリアに幕を閉じました。
圧倒的な実力を持っていただけに、わずか5年で終わってしまった全盛期が惜しまれる選手としてファンの記憶に残っています。
まとめ
今回は、NBA史上最高峰のエリートディフェンダー「シドニー・モンクリーフ」についてご紹介しました。
いかがでしたでしょうか?
シドニー・モンクリーフはNBAレジェンドの中でも正直マイナーな選手であり、名前くらいは聞いたことあるという方が大半だと思います。
ただ、全盛期の実力、特にディフェンス力は本物だったので、もし怪我がなければNBAファンの誰もが知るレジェンドになっていたかもしれません。
シドニー・モンクリーフのディフェンスハイライトは圧巻ですので、まだ見たことがない方はぜひYouTubeなどでご覧くださいね!