NBA伝説の男たち

ウォルト・フレイジャー|ニューヨークに2度の栄光をもたらした史上屈指の“ツーウェイプレイヤー”

皆さんは「ウォルト・フレイジャー」という選手をご存知ですか?

1970年代に活躍し、“バスケの聖地”ニューヨークにて2度のNBA制覇を成し遂げた伝説のポイントガードでであり、NBAの歴を語る上で欠かすことのできないほどに偉大なレジェンドの1人です。

ただ、活躍したのがかなり昔な人物とあって、最近NBAを見始めたばかり方野中にはその凄さがいまいちわからない方も多いのではないでしょうか?

 

そこでこの記事では、そんな「ウォルト・フレイジャー」が現役時代どんな選手だったのかをご紹介していこうと思います。

彼が残した功績やプレーの魅力などをもとにウォルト・フレイジャーの偉大さを語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!

 

ニューヨーク・ニックスの黄金期を支えた伝説の司令塔

“黄金期”と称された1970年代のニューヨーク・ニックスを支え、2度のNBA制覇を果たした伝説的司令塔「ウォルト・フレイジャー」。

1967年NBAドラフトにて全体5位で指名を受けてNBA入りを果たした生え抜きのスターは、冷静沈着なゲームメイクと卓越したディフェンスで瞬く間にリーグ屈指のポイントガードへと成長し、“バスケの聖地”に史上初のトロフィーをもたらす英雄となったのです。

 

また、フレイジャーはコートの外では華やかなファッションセンスを持つ“ファッションリーダー”として知られ、映画「俺たちに明日はない」の主人公クライド・バロウに似た帽子を被っていたことから「クライド(Clyde)」という愛称で親しまれることに。

この「クライド(Clyde)」は後でご紹介するシグネチャーモデルの名前にも採用されているのでしっかり覚えておいてくださいね!

 

個人としても7度のオールスター選出、6度のオールNBAチーム選出、7度のオールディフェンシブチーム選出という数々の受賞歴を持つフレイジャーは、チームに2度の栄光をもたらした“英雄”としてニックスの永久欠番となった背番号「10」と共に後世に語り継がれいます。

 

【ウィルト・フレイジャーの主な功績】

NBAチャンピオン:2回(1970, 1973)

オールスター:7回(1970〜1976)

オールスターMVP:1回(1975)

オールNBAチーム
・ファーストチーム:4回(1970, 1972, 1974, 1975)
・セカンドチーム:2回(1971, 1973)

オールディフェンシブチーム
・ファーストチーム:7回(1969〜1975)

 

1970年ファイナル第7戦で残した伝説のパフォーマンス

“ニックスの英雄”として知られるウォルト・フレイジャーのキャリアにおいて、最も有名な試合と言われているのが「1970年のNBAファイナル第7戦」です。

 

この年ウォルト・フレイジャー、アール・モンロー、ビル・ブラッドリー、デイブ・デブッシャー、ウィリス・リードというリーグ屈指のスターティングラインナップを揃え、優勝候補の一角としてシーズンに挑んだニューヨーク・ニックス。

レギュラーシーズンを60勝22敗という当時チーム史上最高の成績で通過し、プレイオフでもイースタンカンファレンスの並いる強豪を打ち破ってNBAファイナルの舞台へと辿り着きました。

 

決勝の相手はジェリー・ウェストウィルト・チェンバレンエルジン・ベイラーといった殿堂入り選手が名を連ねるロサンゼルス・レイカーズ。

両者の力は拮抗し、3勝3敗で運命の第7戦を迎えることになったのです。

 

ニックスはこの重要な一戦でエース「ウィリス・リード」が怪我を負うという絶望的状況に立たされますが、リードが負傷しながらも出場するというエースの維持を見せます。

その姿に奮起したウォルト・フレイジャーは36得点、19アシストという圧巻の記録を残し、ニューヨーク・ニックスの初優勝を決定づけたのでした。

 

NBAファイナル第7戦という最高の舞台、ニューヨークとロサンゼルスというアメリカ最大の都市同士の激突、エースの負傷出場というストーリー。

ウォルト・フレイジャーが残したこの一戦は、全てが重なったNBA史に残る伝説的パフォーマンスだと言えるでしょう!

 

史上屈指の“ツーウェイプレイヤー”!
ウォルト・フレイジャーのプレーの魅力3選

黄金期ニューヨーク・ニックスにおいて絶対的な司令塔として活躍したウォルト・フレイジャーですが、プレイヤーとしてはどんな選手だったのでしょうか?

続いては、ウォルト・フレイジャーのバスケ選手としての凄さを知っていただくために、プレーの魅力を厳選して3つご紹介していこうと思います。

 

プレーの魅力①:全てを高いレベルでこなす「オールラウンド性」

ウォルト・フレイジャーのプレーを一言で表現するのであれば「オールラウンダー」ではないでしょうか。

193cm、91kgというポイントガードとしては比較的恵まれた体格を持ったフレイジャーは、得点、リバウンド、アシストすべてを高いレベルでこなすことができる万能なプレイヤーでした。

キャリア通算成績の平均18.9点、5.9リバウンド、6.1アシストという数字が彼のオールラウンド性を物語っていますよね。

 

司令塔としても非常に優秀で、味方へのアシストと自分での得点をおりませたオーソドックスなゲームメイクを得意としていました。

 

プレーの魅力②:相手エースを封じ込める鉄壁の「ディフェンス力」

ウィルト・フレイジャーというプレイヤーの最大の魅力とも言えるのが「ディフェンス力」ではないでしょうか。

オフェンスではオールラウンドな活躍をし、ディフェンスでは相手のエースを封じ込めるその姿は、しばしば史上屈指の“ツーウェイプレイヤー(攻守の両方に秀でた選手)”と表現されるほど。

 

ガードとしては恵まれた体格と持ち前のバスケIQを駆使し、マッチアップした相手に何もさせないディフェンスはまさに鉄壁。

キャリアで7度のオールディフェンシブチーム選出、それも全てファーストチームで選出された実力は本物であり、時代を代表するディフェンダーの1人であったことは間違いないでしょう。

 

プレーの魅力③:重要な試合で活躍する「勝負強さ」

オフェンス、ディフェンスの両方に秀でたツーウェイプレイヤーであるウォルト・フレイジャーですが、その重要な試合においてその実力を遺憾無く発揮することができる「勝負強さ」もしっかりと持ち合わせた選手でした。

先ほどご紹介した1970年のNBAファイナルでの活躍が象徴しているように、レギュラーシーズンよりもプレイオフで自身のギアを上げることができ、その冷静なプレーはチームの司令塔として理想的なものだったと言えるでしょう。

 

ニューヨークという熱狂的なファンが多いチームに所属し、そこの主力としてファンの期待を背負って戦う重圧は計り知れないもの。

ウォルト・フレイジャーはそのプレッシャーに打ち勝つメンタルを持っていたからこそ、ニックスのレジェンドとして語り継がれる存在になれたのだと思います。

 

ニューヨークのストリートカルチャーでアイコン的存在に!
伝説となったシグネチャーモデル「プーマ クライド」

最後に、ウォルト・フレイジャーを語る上では欠かせない、伝説のシグネチャーモデル「プーマ クライド」をご紹介しようと思います。

 

プーマの定番モデル「スウェード」をベースに、フレイジャーのプレイスタイルや要望に合わせてカスタマイズされたモデルとして1973年にリリースされた「プーマ クライド」。

ニューヨークのスターでありファッションセンスも抜群なフレイジャーのモデルとあって、ニューヨークを中心にヒップホップやスケートなどのストリートカルチャーにも大きな影響を与え、瞬く間にアイコン的な存在となりました。

 

「プーマ クライド」は発売から半世紀以上も経つ現在もプーマの定番モデルの1つとして発売されており、バッシュとしては使用されていないものの、ストリートファッションのアイテムとして世界中で根強い人気を誇っているんですよ!

楽天市場やAmazonなどの大手ショッピングサイトでも購入することが可能ですので、興味のある方はデザインなどをご覧になってみてくださいね!

 

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まとめ

今回はニューヨーク・ニックスの黄金期を支えた伝説の司令塔「ウォルト・フレイジャー」についてご紹介しました。

いかがでしたか?

 

“バスケの聖地”と呼ばれ、世界一熱狂的なファンが多いニューヨークという街でバスケ選手として活躍するだけでもすごいのに、ファンの期待に応えて2度の優勝を果たしたフレイジャーのメンタルは半端ないですよね。笑

コート内だけでなく、コート外でもファッションリーダーとしてニューヨーク中の注目を受けていたフレイジャーは、まさに「スターの器」だったんだなと思います。

1990年代に再びニックスに黄金期をもたらすパトリック・ユーイングもそうですが、やはり生え抜きのスター選手というのはより一層ファンから愛されるものですね。

 

この記事を通じてウォルト・フレイジャーというレジェンドに興味を持っていただけたのなら幸いです。

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