デトロイト・ピストンズで13シーズンという長いキャリアの全てを過ごし、チームに2度のNBA優勝をもたらした「アイザイア・トーマス」。
あのマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンたちと激闘を繰り広げたポイントガードであり、その偉大な功績を讃えて2000年にはバスケットボール殿堂入りを果たしました。
NBAファンであれば誰しも1度は名前を聞いたことくらいはあると思いますが、一昔前の選手ですので最近NBA視聴し始めた方は実際どんなプレーができるのかまでは知らないのではないでしょうか?
そこでこの記事では、そんな“バッドボーイズ”で活躍したアイザイア・トーマスがどんな選手だったのかについてご紹介しようと思います。
彼が現役時代に残した功績やエピソードを交えてトーマスの魅力を存分に解説していきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
伝説のあらくれチーム「“バッドボーイズ”・ピストンズ」
マジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダンといった数々のスーパースターが存在した1980年代のNBAにおいて、1989年と1990年にNBAを連覇したデトロイト・ピストンズ。
この記事のピストンズは伝説のあらくれチームとして知られ、相手のスター選手を徹底的に潰す荒っぽい守備とハードファウルも厭わないフィジカル全開なプレースタイルから、尊敬と畏怖をこめて“バッドボーイズ”と呼ばれていました。
圧倒的な実力を持っていたにもかかわらずピストンズ以外のファンから非常に嫌われており、敵地でのブーイングは日常茶飯事。
ただ一方で、NBAにおいてカリスマ性を持った悪役的ポジションにあったことから、当時を知るNBAファンからはカルト的な人気を誇っているチームでもあります。
この記事の主人公である「アイザイア・トーマス」は、この“バッドボーイズ”の絶対的リーダーとして活躍した選手。
続いては、そんなアイザイア・トーマスの魅力的な選手像を彼がNBAで残した功績を交えて見ていきましょう!
アイザイア・トーマス:“バッドボーイズ”の絶対的リーダーとして君臨
身長185cmとNBA選手にしてはかなり小柄ながらリーグでも屈指の得点能力とアシスト力を持っており、トレードマークの“童顔”と共に「ベビーフェイス・アサシン」の異名で恐れられていたアイザイア・トーマス。
荒くれ集団“バッドボーイズ”の絶対的リーダーであったことから凶悪な人物と思われがちなトーマスですが、実はコート外での人柄は非常に優しく、貧困地域への支援なども積極的に行っていたことで知られているんですよ!
ギャップ萌えですね・・・。
1981年のNBAドラフトにて全体2位で指名を受けたアイザイア・トーマスでしたが、彼が入団した当初のデトロイト・ピストンズはリーグ最弱チームの一角。
しかし、トーマスは入団会見で「ピストンズをリーグ優勝に導く」と宣言しており、周囲から嘲笑されながらも実際にチームをNBA連覇に導いているのですから驚きです。
デビュー年から続く12年連続でのオールスターに選出に加え、5回のオールNBAチーム選出、1回のアシスト王と個人での受賞歴も流石の一言。
13シーズンというキャリア全てをピストンズに捧げて“黄金期”を築いた実績から、トーマスの着用していた背番号「11」はピストンズの永久欠番となっています。
【アイザイア・トーマスの主な功績】
NBAチャンピオン:2回(1989, 1990)
ファイナルMVP:1回(1990)
オールスター:12回(1982〜1993)
オールスターゲームMVP:2回(1984, 1986)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:3回(1984〜1986)
・セカンドチーム:2回(1983, 1987)
アシスト王:1回(1985)
【プレースタイル】小柄ながら攻守でチームを牽引するオールラウンダー
一流のハンドリングスキルやスピード、天性のパスセンスを持ち、ビッグマン全盛の時代において185cmと小柄な身長ながらリーグ屈指の実力を誇っていた「アイザイア・トーマス」。
彼のプレースタイルを解説する前に、まずは彼がキャリアで残したスタッツをご覧いただきましょう!
【レギュラーシーズンのキャリアスタッツ】
| シーズン | チーム | 出場試合 | 先発出場 | 出場時間 | フィールドゴール% | スリーポイント% | フリースロー% | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1981–82 | DET | 72 | 72 | 33.8 | .424 | .288 | .704 | 2.9 | 7.8 | 2.1 | 0.2 | 17.0 |
| 1982–83 | DET | 81 | 81 | 38.2 | .472 | .288 | .710 | 4.0 | 7.8 | 2.5 | 0.4 | 22.9 |
| 1983–84 | DET | 82 | 82 | 36.7 | .462 | .338 | .733 | 4.0 | 11.1 | 2.5 | 0.4 | 21.3 |
| 1984–85 | DET | 81 | 81 | 38.1 | .458 | .257 | .809 | 4.5 | 13.9 | 2.3 | 0.3 | 21.2 |
| 1985–86 | DET | 77 | 77 | 36.2 | .488 | .310 | .790 | 3.6 | 10.8 | 2.2 | 0.3 | 20.9 |
| 1986–87 | DET | 81 | 81 | 37.2 | .463 | .194 | .768 | 3.9 | 10.0 | 1.9 | 0.2 | 20.6 |
| 1987–88 | DET | 81 | 81 | 36.1 | .463 | .309 | .774 | 3.4 | 8.4 | 1.7 | 0.2 | 19.5 |
| 1988–89 | DET | 80 | 76 | 36.6 | .464 | .273 | .818 | 3.4 | 8.3 | 1.7 | 0.3 | 18.2 |
| 1989–90 | DET | 81 | 81 | 37.0 | .438 | .309 | .775 | 3.8 | 9.4 | 1.7 | 0.2 | 18.4 |
| 1990–91 | DET | 48 | 46 | 34.5 | .435 | .292 | .782 | 3.3 | 9.3 | 1.6 | 0.2 | 16.2 |
| 1991–92 | DET | 78 | 78 | 37.4 | .446 | .291 | .772 | 3.2 | 7.2 | 1.5 | 0.2 | 18.5 |
| 1992–93 | DET | 79 | 79 | 37.0 | .418 | .308 | .737 | 2.9 | 8.5 | 1.6 | 0.2 | 17.6 |
| 1993–94 | DET | 58 | 56 | 30.2 | .417 | .310 | .702 | 2.7 | 6.9 | 1.2 | 0.1 | 14.8 |
| 通算 | 979 | 971 | 36.3 | .452 | .290 | .759 | 3.6 | 9.3 | 1.9 | 0.3 | 19.2 | |
注目して欲しいのは「アシスト」と「得点」の列。
弱小ピストンズをほぼ1人で牽引していたキャリア前半には4年連続でのシーズン平均20得点、10アシストを記録しており、さらに1984-85シーズンには1試合平均13.9アシストを記録してアシスト王を受賞するなど、その実力はマジック・ジョンソンと共にNo.1ポイントガードの座を争うほど。
また、キャリア平均1.9スティールが物語るように驚異的な対人ディフェンス力を誇り、特に持ち前のバスケットボールIQでコートの状況から相手が最もプレーしづらい場所に追い込むことを得意としていました。
攻守の両方を非常に高いレベルで兼ね備え、さらにリーダーとしてチームをまとめ上げる統率力も持つ、まさに「オールラウンダー」という言葉がふさわしい選手だと言えるでしょう!
アイザイア・トーマスの伝説のエピソード3選
ここまでアイザイア・トーマスがどのような選手なのかを語ってきましたが、「1988年NBAファイナル第6戦」彼の魅力はこんなもんではありません。
よりアイザイア・トーマスという選手にハマっていただくため、最後に彼がNBA時代に残した伝説のエピソードを3つ厳選してご紹介したいと思います。
伝説のエピソード①:怪我をしながらも戦った「1988年NBAファイナル第6戦」
まず初めにご紹介するのは、アイザイア・トーマス史上最も有名な試合である「1988年NBAファイナル第6戦」です。
すでに“バッドボーイズ”の中心メンバーが揃い、優勝候補の一角として挑んだシーズンで、アイザイア・トーマス率いるデトロイト・ピストンズはNBAファイナルまで進出。
前年王者のロサンゼルス・レイカーズに3勝2敗と王手をかけられて臨んだ第6戦、この大事な時にアイザイア・トーマスはなんと右足首の深刻な捻挫を抱えていました。
下馬表ではレイカーズ圧倒的有利と見られていたものの、この崖っぷちの一戦でアイザイア・トーマスは捻挫しながらも出場し、第3クォーターだけで25得点を記録。
最終的には103-102でロサンゼルス・レイカーズが優勝を飾ったわけですが、トーマスはこの試合最高の43得点を記録する伝説的なパフォーマンスを見せました。
激痛の中でのこの奮闘は多くのファンの心を動かし、現在でもアイザイア・トーマスを象徴する一戦として語り継がれています。
伝説のエピソード②:「ジョーダン・ルール」を考案
「ジョーダン・ルール」もまた、アイザイア・トーマスを語る上で外すことのできないエピソードでしょう。
アイザイア・トーマス率いるデトロイト・ピストンズですが、実は1980年代にあの"バスケの神様”マイケル・ジョーダンを3度プレイオフで打ち倒したチームであることはご存知でしょうか?
当時からリーグ最強選手であったマイケルジョーダンを封じるためにピストンズが使った戦術が「ジョーダン・ルール」であり、その主な内容はジョーダン1人を徹底的に囲い込んで得点させないという非常にシンプルなもの。
かなり悪質なファールも厭わない姿勢に批判が多く集まった戦術でしたが、まだマイケル・ジョーダンのワンマンチームだったシカゴ・ブルズ相手には最も合理的で有効な手段だったと言えるでしょう。
実はこのジョーダン・ルールを考えた人物こそアイザイア・トーマスであり、彼の「勝つためならなんでもする」というハングリー精神を象徴するエピソードとなっているのです。
伝説のエピソード③:試合放棄!?“バッドボーイズ”の終焉
最後は、伝説のチーム“バッドボーイズ”の終焉とも言えるエピソードをご紹介します。
2連覇を果たしたディフェンディング・チャンピオンとして戦った1990-91シーズン、デトロイト・ピストンズはカンファレンス・ファイナルで再びシカゴ・ブルズと対戦。
結果的には0勝4敗の圧倒的実力差でシカゴ・ブルズが勝利したわけですが、今回ご紹介するシーンはブルズの優勝が決まる直前の第4戦ラストに起こりました。
なんとベンチに下がっていたアイザイア・トーマス率いる“バッドボーイズ”の主力メンバーが、試合終了を待たずしてブルズベンチの前を通ってロッカールームに下がって行ってしまったのです。
このシーンは、のちにNBAの主人公となるシカゴ・ブルズが悪役であるピストンズを倒したという構図と共に伝説的シーンとして語り継がれています。
まとめ
今回は“バットボーイズ”・ピストンズの絶対的リーダーとして活躍した「アイザイア・トーマス」についてご紹介しました。
いかがでしたでしょうか?
得点とアシストにおいてリーグ屈指の確かな実力を持ちながら、あらくれ集団の絶対的リーダーを務めるトーマスは、日本国内でも確かな人気を誇っていた選手。
どうしてもダーティーなディフェンスプレーが目立ってしまいますが、それと同じくらいスコアリング能力を優れているので、まだアイザイア・トーマスのプレーを見たことがないという方はぜひYouTubeなどでハイライト動画を視聴してみてくださいね!