ロサンゼルス・レイカーズで活躍したレジェンド「コービー・ブライアント」。
NBAの一時代を築いた人物であり、日本でも非常に人気の高い選手の1人です。
この記事では、そんなコービー・ブライアントがどんな選手だったのかについて詳しくご紹介します。
彼が残した功績やNBA時代のエピソードをもとに、コービーの魅力を存分にお伝えしていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
レイカーズに5度の優勝をもたらした伝説的シューティングガード
その脅威的な得点能力と接戦をもぎ取る勝負強さで圧倒的な人気を誇る伝説的シューティングガード「コービー・ブライアント」。
20年間という非常に長いキャリアの全てをロサンゼルス・レイカーズに捧げ、チームに合計5度のNBA優勝をもたらしたNBA史上最高の選手の1人です。
NBAで歴代4位となるキャリア通算33,643得点という記録からその圧倒的な得点力に目が行きがちですが、全盛期には常にオールディフェンシブチームに選出されるほどにディフェンスが上手かった選手としても知られています。
NBA機って名門レイカーズを代表する選手として長くに渡って活躍し続けたコービーは、結果的に1度のシーズンMVP、18回のオールスター選出、合計15回のオールNBAチーム選出など数々の個人賞を受賞。
彼がレイカーズで着用した背番号「8」と「24」はどちらもレイカーズの永久欠番となっており、2020年にはバスケットボール殿堂入りも果たしている正真正銘のレジェンドです。
【コービー・ブライアントの主な功績】
NBAチャンピオン:5回(2000〜2002, 2009, 2010)
NBAファイナルMVP:2回(2009, 2010)
シーズンMVP:1回(2008)
オールスター:18回 (1998, 2000〜2016)
オールスターゲームMVP:4回(2002, 2007, 2009, 2011)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:11回(2002〜2004, 2006〜2013)
・セカンドチーム:2回(2000, 2001)
・サードチーム:2回(1999, 2005)
オールディフェンシブチーム
・ファーストチーム:9回(2000, 2003, 2004, 2006〜2011)
・セカンドチーム:3回(2001, 2002, 2012)
NBA得点王:2回(2006, 2007)
勝者の心構え「マンバ・メンタリティ」
「マンバ・メンタリティ」なくしてコービー・ブライアントは語れません。
「マンバ・メンタリティ」とは、コービーの愛称“ブラックマンバ”に由来して名付けられた「常に最高の自分を目指し、限界を設けず、日々の努力と情熱を惜しまない」というコービー自身の生き方を表現した心構えのこと。
毎日1000本のシュートを決めてからチームの練習に参加するほどに“練習の虫”として知られていたコービーですが、すでに世界最高の選手という評価を受けながらも長きに渡って活躍し続けることができたのは、この心構えがあったからこそだと言えるでしょう。
この「マンバ・メンタリティ」は後世のNBAプレイヤーたちはもちろん、バスケットボール、ひいてはスポーツという垣根を超えて、目標達成に向けて努力するすべての人々への教訓として語り継がれています。
NBAキャリアのハイライトを紹介!
20年間という長いキャリアの中で伝説的とも言える活躍を残したコービー・ブライアント。
続いては、そんなコービーの偉大なキャリアにおいて「ハイライト」と呼べるポイントを2つご紹介していこうと思いますよ!
背番号「8」時代:シャキール・オニールと共に若くして3連覇を達成
コービーのキャリアにおいて最初のハイライトとなったのは、間違いなく2000年〜2002年にかけてシャキール・オニールと共に達成したスリーピート(3連覇)でしょう。
高校卒業後すぐにNBAドラフトへエントリーしたコービー・ブライアンとは、キャリア4年目、年齢わずか22歳にして自身初となるNBAチャンピオンに輝きます。
正直この時のコービーはまだ成長段階にあり、チームの顔はシャキール・オニールだったことは否めませんが、それでもチームの2番手として躍動。
特に足の怪我を負いながらも戦ったNBAファイナル第4戦は圧巻であり、ファウルアウトしてしまったシャックの代わりにエースと戦い、チームに重要な勝利をもたらしたことでスーパースターの片鱗を見せた一戦となりました。
2001年、2002年はシャックとコービーの力関係はほぼ対等と言えるほどに成長を見せ、レイカーズは他を寄せ付けない圧倒的な強さで優勝。
その後もレイカーズの“王朝”は続くと思われていましたが、練習への向き合い方の違いからシャックとコービーの仲が取り返しがつかないほどに悪化してしまい、最強だったチームは自ら崩壊してしまったのでした。
背番号「24」時代:チームのリーダーとして2連覇を達成
キャリア2つ目のハイライトは、名実ともにレイカーズのリーダーとしてチームを導いた2009年、2010年の2連覇です。
シャキール・オニールに別れを告げたコービーとレイカーズでしたが、2006年にシャックが移籍先のマイアミ・ヒートで再び優勝を果たしたことで、「レイカーズの3連覇はシャックのおかげであり、コービーはチームを優勝させることができない」という評価がつきまとうこととなります。
コービーはそんな逆風の中個人として圧倒的な活躍を残し続けるもののチームメイトに恵まれず、優勝には手が届かないままシーズンだけが過ぎていくのでした。
そんなレイカーズに転機が訪れたのは、2007−08シーズン、2連覇のキーマンとなるパウ・ガソルの獲得です。
ガソルの獲得と共に力を取り戻したレイカーズはすぐさまNBAファイナルに舞い戻り、この年はボストン・セルティックスに惜しくも敗れたものの、翌年から2年連続でNBA優勝を達成。
この2連覇によってコービー自身がシャキール・オニールの優勝回数を上回ることとなり、世間的な評価を覆すとともに、NBAレジェンドとしての地位を確固たるものにたことは間違い無いでしょう。
コービー・ブライアントの伝説的な試合3選
ここまで読んでいただいた方には、コービー・ブライアントの魅力は十分に伝わっているはず。
最後は、コービー・ブライアントをより深く知ってもらうために、彼が残した伝説的な試合を3つ厳選してご紹介していこうと思います!
伝説的な試合①:歴代2位となる「81得点」
まず1つ目にご紹介するのは、NBA史上歴代2位となる81得点を叩き出した試合です。
2006年1月22日に行われたトロント・ラプターズ戦での出来事であり、前半終了時点で14点差をつけられていたレイカーズを、コービーが後半だけで55得点という神が勝ったパフォーマンスで大逆転勝利に導いたのです。
シャキール・オニール移籍後のレイカーズにおいて、コービー自身がエースであることを証明した試合であり、このパフォーマンスによって現役No.1選手の座を確固たるものにしました。
また、この時コービーが着用していたバッシュこそがNIKE(ナイキ)「ZOOM KOBE 1」であり、この歴史的な活躍と共にコービーの代名詞とも言える一足として知られるようになったのです。
伝説的な試合②:5度目の優勝を決めた「2010年のNBAファイナル第7戦」
2つ目にご紹介するのは、5度目の優勝を決めた2010年のNBAファイナル第7戦です。
2010年のNBAファイナルの対戦カードはロサンゼルス・レイカーズ vs ボストン・セルティックスという古くからのライバル対決であり、かつ2年前にNBAファイナルで敗れているレイカーズにとってはリベンジマッチとも言える戦いでした。
そんな歴史的にも大きな意味を持ったNBAファイナルの最終戦でコービーはかなり不調であり、得点は23得点とコービーにしてはかなり控えめな数字。
普通なら批判されてもおかしくない状況ですが、この試合がのちに「コービーのキャリアで最も重要な試合の1つ」と言われた理由は、勝利のためにはプライドを捨てる献身性でした。
スコアリングが不調だったコービーは、ディフェンスやフリースローなどでチームに貢献し続け、その姿勢に感化されたチームメイトが奮起したことでレイカーズは見事勝利し、2連覇を達成したのです。
最終的にコービーは23得点、15リバウンド、4アシストでファイナルMVPを受賞。
孤高の天才として知られていたコービーが勝利のために真のリーダーとなった伝説の試合として語り継がれる一戦となったのです。
伝説的な試合③:史上最高の「引退試合」
最後は皆さんご存知かと思いますが、NBA史上最高とも言われるコービー・ブライアントの「引退試合」です。
2016年4月13日にレイカーズの本拠地「ステイプルズ・センター」で行われたユタ・ジャズ戦、英雄の最後の勇姿を見るために超満員のファンが押し寄せました。
キャリアの晩年はアキレス腱の怪我によって急速な衰えを見せていたコービーでしたが、この試合なんと1人で60得点を叩き出し、チームをを勝利に導いたのです。
この試合の直前、シャキール・オニールから「50得点を取ってこい」という無理難題を押し付けられたコービーでしたが、実際に60得点を記録してしまうあたりやはりスーパースターは違うなと感じますね。笑
「マンバ・アウト」という伝説的なスピーチと共に20年のキャリアに幕を閉じたコービーの引退試合は、一夜限りの奇跡的なパフォーマンスとしてファンの記憶に残り続けています。
まとめ
今回は、伝説的なシューティングガード「コービー・ブライアント」についてご紹介しましたが、いかがでしたか?
5回の優勝は側から見ればただただ輝かしい実績ですが、深く知っていくとぞれぞれにドラマがあって面白いですよね。
コービーの名前の由来が日本の「兵庫県神戸市」というのもあって、日本人としては好きにならない理由がない選手だと思います。
もしコービー・ブライアントのプレーを見たことがないという方は、YouTubeなどでぜひハイライトを見てみてくださいね!