NBA伝説の男たち

トレイシー・マグレディってどんな選手?“悲運の天才”として知られる稀代のスコアラー

2017年にバスケットボール殿堂入りを果たしたレジェンド「トレイシー・マグレディ」。

現役時代には2度の得点王を受賞したほどのスーパースターですが、キャリアの全盛期に1度もプレイオフ1回戦を突破できていないことから、当時を知らないファンの方からするとイマイチ凄さの分かりづらい選手なのではないでしょうか?

 

そこでこの記事では、そんなトレイシー・マグレディとはどんな選手だったのかを詳しくご紹介しようと思います。

圧倒的な実力を持ちながら、その実力がチーム成績として反映されない"悲運の天才”として知られたマグレディの魅力を一緒に紐解いていきましょう。

 

“T-Mac”の愛称で親しまれた稀代のスコアラー

203cmの長身からは考えられないほどのスピードとセンスを併せ持ち、ドリブル、パス、シュート全てをハイレベルにこなすオールラウンダー「トレイシー・マグレディ」。

1997年NBAドラフトにて全体9位でトロント・ラプターズから指名を受けNBA入りを果たすと、その後はマジックやロケッツなどのチームを渡り歩きながら15シーズンのキャリアで平均19.6得点、5.6リバウンド、4.4アシストを記録しました。

 

特に全盛期のオーランド・マジック時代には脅威的な得点能力を有し、あのアレン・アイバーソンやコービー・ブライアントらを抑えて2年連続の得点王に輝くなど稀代のスコアラーとして君臨。

コービー・ブライアントが「マッチアップした中で最も手強い相手」の筆頭としてマグレディの名前を挙げるほどのプレイヤーだったのです。

 

一方、そんな輝かしい個人成績の裏で全盛期の間には1度もプレイオフ一回戦を突破できなかったことでも有名であり、主力チームメイトや自身の怪我などによって後悔の残るキャリアを送ることに。

健康ならば間違いなく時代を代表するプレイヤーだった彼のキャリアを惜しむファンも多く、現在では怪我によって不完全燃焼に終わってしまった"悲運の天才”として語り継がれる存在となっているのです。

 

【トレイシー・マグレディの主な功績】

オールスター:7界(2001〜2007)

オールNBAチーム
・ファーストチーム:2回(2002, 2003)
・セカンドチーム:3回(2001, 2004, 2007)
・サードチーム:2回(2005, 2008)

得点王:2回(2003, 2004)

最成長選手賞(MIP):1回(2001)

 

ビンス・カーターとは従兄弟の関係

トレイシー・マグレディとビンス・カーターの関係性については聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?

トロント・ラプターズ時代にチームメイトとしてチームを率いた2人ですが、実は「従兄弟」同士だったというのは非常に有名な話です。

脅威的なジャンプ力でハイライトダンクを量産するカーターとポイントガード顔負けのドリブルとパスのセンスを持っていたマグレディのコンビは当時NBA期待の新人コンビとして高い注目を浴びていました。

 

しかし、別れは唐突に訪れます。

よりエンターテイメント性の高いプレーが多かったカーターの方が圧倒的な人気を博してしまったことにマグレディが嫉妬し、若きスターにありがちな「自分中心のチームで活躍したい」という願望のもとオーランド・マジックへ移籍してしまったのです。

カーターとマグレディのデュオは成長すれば優勝も狙える才能を持っていただけに当時から非常に惜しまれた解散であり、マグレディ本人ものちのインタビューでこの時の移籍を後悔している旨を話していました。

 

マグレディの場合ここから長きにわたってプレイオフ1回戦敗退が続くキャリアを送ることになりますから、なおさらもったいないと感じてしまいますね、、、。

 

伝説の「35秒で13点」

後悔の多いキャリアを送ったマグレディですが、同時に数多くのハイライトシーンを生み出してきた選手でもあるんですよ。

ただその中でもトレイシー・マグレディを代表するシーンを1つだけ語るとすれば、やはり伝説の「35秒で13点」以外にはないでしょう。

 

伝説の舞台となったのは2004年12月9日に行われたロケッツ vs. スパーズ戦、試合時間残り42.2秒の場面で68-76の8点ビハインドという絶体絶命の状況からの一幕でした。

マグレディは前年王者であるサンアントニオ・スパーズ相手に35秒間の間に4本連続でのスリーポイントを沈め、さらにうち1本はファウルを奪ってフリースロー追加の4点プレー。

最終スコア81-80とヒューストン・ロケッツが逆転し、マグレディは完全に独力でチームを勝利に導いてしまったのです。

 

NBAの長い歴史を探しても、ここまで劇的な逆転勝利はないと言っても過言ではないでしょう。

 

怪我に泣くキャリアを送った“悲運の天才”

さて、ここまでトレイシー・マグレディのキャリアの後悔とハイライトを1つずつ語ってきましたが、続いては彼が“悲運の天才”と言われる所以を話していきましょう。

 

結論から言うと、マグレディはリーグの顔になれる実力を持っていたのにも関わらず「怪我」という大きな壁に阻まれ続けるキャリアになってしまったから。

マグレディ自身もキャリア晩年には引退へとつながる背中の大怪我を経験しますが、マグレディが元気な時でもチームメイトの怪我という問題がつきまとっていたんです。

 

マグレディがキャリアで共に戦ったスーパースターというとマジック時代の「グラント・ヒル」やロケッツ時代の「ヤオ・ミン」などが代表的ですが、ヒルはマグレディと共闘した4年間で出場したのはわずか44試合、ヤオ・ミンともかなり長い期間一緒にプレーしたものの、2人とも健康な状態で過ごせたのはわずか2シーズンのみという状態でした。

残念ながらチームメイトにも恵まれなかったマグレディはその間ほぼ独力でチームを勝たせているような状況が続き、結果プレイオフ1回戦敗退を繰り返すようなキャリアになってしまったというわけですね。

 

怪我は誰のせいでもありませんが、マグレディほどの実力を持った選手が1度も2回戦以上に進めていないという状況を考えると、もし彼の全盛期に健康なスーパースターとプレーしていればとどうしても思ってしまいます、、、。

 

トレイシー・マグレディのプレーの魅力3選

ここまで読んでいただいた方にはトレイシー・マグレディという選手がどんな選手だったのかはわかっていただけたのではないでしょうか?

最後はその理解をもっと深めていただくために、マグレディのプレーの魅力を3つ厳選してご紹介していこうと思います。

 

プレーの魅力①:無敵の「1対1」能力

トレイシー・マグレディの最大の魅力とも言えるのが”オフェンスの鬼”と称された無敵の「1対1」能力でしょう。

203cmという長身と7フッター(213cm以上の選手)の上からダンクシュートを決められるほどの身体能力を駆使し、アウトサイド、ミッドレンジ、ゴール下とコート上のあらゆる場所から得点を奪取する姿はまさに圧巻。

 

2002年、2003年と得点王を受賞したマグレディですが、自分以外のスター選手が実質的にいないオーランド・マジックにおいて1対1でディフェンスを蹴散らすスタイルで得点した結果の受賞だったと言えるでしょう。

 

プレーの魅力②:ポイントガードのような「ボールハンドリング力」

トレイシー・マグレディのプレーを語る上でよく使われるのが、「まるでポイントガード」という表現。

バスケにおいてポイントガードは比較的身長の低い選手が務めるポジションですが、天才だったマグレディは203cmという長身でありながらドリブルやパスなどのポイントガードのスキルを全て備えている選手だったのです。

 

中でも最も特徴的だったのはその「ボールハンドリング力」。

ボールを扱う動きが非常に滑らかだったことで、ディフェンダーを抜き去るシーンがスローモーションに見えるという不識な現象を生み出すほどでした、

 

プレーの魅力③:類稀な「プレイメイク能力」

スコアリングに目が行きがちがマグレディのプレイスタイルですが、実は非常に高い「プレイメイク能力」も備えた選手だったんです。

 

高いバスケットボールIQと広い視野を持っており、ディフェンダーを自分に惹きつけてパスを展開する姿はまさにポイントガードのそれ。

主にトロント・ラプターズ時代に見せたマグレディからカーターへのアシストは鉄板の流れでした。

 

この能力を持っていたマグレディだからこそ、キャリアで自分以外に得点が取れる選手のいる環境でプレーしていればもっと多くの功績を残せていたかもしれないと思ってしまいます。

 

まとめ

今回は“悲運の天才”と呼ばれたレジェンド「トレイシー・マグレディ」についてご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

引退から時間が経つにつれてその活躍は忘れ去られていってしまうものだと思いますが、この記事を読んでいただいた方には「マグレディってすごい選手だったんだ!」と知っていただけたら嬉しく思います。

先ほどご紹介した「35秒で13点」はもちろん、229cmのショーン・ブラッドリーの上から叩き込んだダンクなど数多くのハイライトプレーを残した選手ですので、この機会にぜひYouTubeなどで動画を視聴してみてくださいね!

-NBA伝説の男たち