「ジョンハブリチェック」
アナウンサーの「Havlicek steals it !」という実況と共に語り継がれる往年の名選手「ジョン・ハブリチェック」。
1960〜70年代のボストン・セルティックスにおいて“王朝”を支えたメンバーの1人として知られるハブリチェックですが、その全盛期が昔過ぎて現在のNBAファンで彼のプレーに詳しい方はほとんどいないのではないでしょうか?
そこでこの記事では、そんな「ジョン・ハブリチェック」とはどんな選手だったのかを分かりやすく解説していこうと思います。
彼が残した功績や伝説の試合などを元にジョン・ハブリチェックの魅力を存分に語っていきますので、時間と共に忘れ去られている彼の偉大なキャリアを一緒に解き明かしていきましょう!
目次
最優秀シックスマン賞のトロフィーって
なんで「ジョン・ハブリチェック・トロフィー」って呼ぶの?
本題に入る前に、ジョン・ハブリチェックの凄さがわかる小話を1つ。
NBAのアワードで授与されるトロフィーは、全てにレジェンドの名前が付けられていることはご存知の方も多いはず。
数あるアワードの中でも今回お話したいのは「最優秀シックスマン賞」で。受賞者に渡されるトロフィーの名は「ジョン・ハブリチェック・トロフィー」と言います。
当然名付けられたレジェンドとその賞の間には深い関係があり、ジョン・ハブリチェックの場合は彼こそが“シックスマン”という役割を確立させた人物だから。
シックスマンとして幾度となくチームを救ったハブリチェックの活躍は、それまで「ベンチから最初に出てくる控え選手」だったシックスマンを「試合の結果を左右する重要な戦略的ポジション」へと昇華させたのです。
さて、そんなNBAの歴史上で最も有名なシックスマンの1人である「ジョン・ハブリチェック」とは一体どんな選手だったのでしょうか?
いよいよその偉大な選手像に迫っていきましょう!
セルティックスで8度のNBA優勝を経験した歴史の証人
ジョン・ハブリチェックという選手を一言で表現するならば、「ボストン・セルティックスで8度の優勝を経験した歴史の証人」だと言えるでしょう。
“8度の優勝”というとビル・ラッセル時代の8連覇を連想する方も多いと思いますが、ハブリチェックが在籍していたのはその後半の4連覇のみ。
その後1度優勝を逃したものの再び連覇を果たし、大黒柱ビル・ラッセルが引退した後も次第に低迷していくチームの中でデイブ・コーウェンスらと共に2度の優勝を経験するという、セルティックスの黄金期からその後の衰退まで全てを経験した数少ない選手なのです。
この時代のボストン・セルティックスで活躍した選手はどうしてもビル・ラッセルの影に隠れてしまいがちですが、ジョン・ハブリチェックもまたNBAの歴史を語る上で欠かせないレジェンドの1人であることは間違いないでしょう。
【ジョン・ハブリチェックの主な功績】
NBAチャンピオン:8回(1963〜1966, 1968, 1969, 1974, 1976)
ファイナルMVP:1回(1974)
オールスター:13回(1966〜1978)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:4回(1971〜1974)
・セカンドチーム:7回(1964, 1966, 1968〜1970, 1975, 1976)
オールディフェンシブチーム
・ファーストチーム:5回(1972〜1976)
・セカンドチーム:3回(1969〜1971)
【プレースタイル】攻守にわたって万能なスキルを持った“スウィングマン”
セルティックスの黄金期を支えたシックスマンであるジョン・ハブリチェックですが、そのプレースタイルは無尽蔵のスタミナでコートを駆け巡り、ガードとフォワードの両方の役割をこなす、まさに「スウィングマン」と呼ばれるものでした。
学生時代にプレーしていた野球やアメフトによって培われた身体能力を活かし、得点、パス、リバウンドの全てを高いレベルでこなすオールラウンダー性を発揮。
ディフェンスでもセンター以外の全てのポジションを守れる汎用性を備えており、攻守にわたってチームの要となる存在だったと言えるでしょう。
本来であれば「スタメンが休んで得点力が下がる時間帯」を、ハブリチェックがひたすらに点を取りまくり「相手との点差を離す時間帯」へと変貌させたことによって、ボストン・セルティックスは完全無欠のチームへと進化したのです。
ジョン・ハブリチェックの伝説的な試合3選
セルティックスの黄金期を象徴する選手の1人であるジョン・ハブリチェックですが、ただ最強のチームに所属していたから偉大だったわけではありません。
ここからは、彼が残した伝説の試合を厳選して3つご紹介しながら、ハブリチェックの偉大なキャリアを振り返っていこうと思います。
伝説の試合①:伝説の「Havlicek steals it !」
ジョン・ハブリチェックの最も有名な試合といえば、この記事の冒頭でもご紹介した「Havlicek steals it !」という伝説のシーンが誕生した一戦でしょう。
舞台となったのは1965年4月15日に行われたイースタン・ディビジョン・ファイナル第7戦。
ウィルト・チェンバレン要するフィラデルフィア・76ers相手に負けられない戦いへ臨んだボストン・セルティックスは、110-109と1点リードの状態で試合時間残り5秒を迎えました。
ハル・グリアのスローインでフィラデルフィア・76ersの最後のオフェンスが始まるかと思われたその時、そのスローインをハブリチェックが脅威的な瞬発力でカットし、一瞬にしてセルティックスの優勝を決めてしまったのです。
この試合の実況をしていジョニー・モーストはかの有名な一言を叫び、この一幕は「NBA史上最高の劇的勝利」として歴史に刻まれることとなったのでした。
伝説の試合②:1974年NBAファイナル第6戦
続いてご紹介するのは、ビル・ラッセル引退後の衰退期に陥ったセルティックスが復活の狼煙をあげた1974年NBAファイナルでの一戦。
この年自身唯一のファイナルMVPを受賞することとなるハブリチェックはどの試合も素晴らしい活躍を残していましたが、今回はその中でも特に圧倒的だった第6戦をご紹介しようと思います。
1974年NBAファイナルにおけるボストン・セルティックスの相手はカリーム・アブドゥル=ジャバー率いるミルウォーキー・バックス。
2勝3敗という痕がない状態で迎えた第6戦はダブル・オーバータイムにもつれる激闘となったわけですが、この非常に重要な試合でジョン・ハブリチェックは43得点と大爆発。
結果的に第6戦の激闘を制したセルティックスが第7戦も押し切り、5年ぶりの王座へと返り咲くこととなったのでした。
伝説の試合③:ラストゲーム
最後にご紹介するのは、ジョン・ハブリチェックがその16年という長いNBAキャリアに幕を閉じたキャリアのラストゲーム。
セルティックス一筋で歩んできたキャリアは非常に華々しいものでしたが、引退年となった1977–78シーズンのセルティックスはプレイオフ進出を逃すほどの弱小チームとなっていました。
すでに38歳という高齢で迎えた最後のシーズンで82試合全てに出場を果たしたハブリチェックは、ホーム「ボストン・アリーナ」で行われたバッファロー・ブレーブスとのシーズン最終戦にも出場。
流石に年齢による衰えを見せていたハブリチェックでしたが、この試合29得点、6アシスト、4リバウンドと攻守で躍動し、自身最後の試合を勝利で飾ったのです。
試合後には引退セレモニーが行われ、チームに8度の優勝をもたらした英雄はスタンディングオーベーションで見送られたのでした。
まとめ
今回はセルティックスの黄金期を支えたレジェンドの1人「ジョン・ハブリチェック」についてご紹介しました。
いかがでしたか?
1960〜70年代のセルティックスというとどうしてもビル・ラッセルの存在が大き過ぎて他のスター選手たちの影が薄くなってしまっている気がします。
この記事の主人公であるハブリチェックもまさにその1人であり、改めてそのキャリアを見返してみると、彼なくしてNBAの歴史を語ることはできないなと感じさせられました。
映像が白黒の時代の選手ですのでどうしてもハイライトは映えないかもしれませんが、彼のキャリアを踏まえた上で見てみるとまた感じ方も違うかもしれませんね!
この記事を通じて皆さんがジョン・ハブリチェックという選手に興味を持っていただけたなら幸いです。
それではまた他の記事でお会いしましょう!