皆さんは「ジョ・ジョ・ホワイト」という選手をご存知ですか?
2015年にはバスケットボール殿堂入りを果たした正真正銘のNBAレジェンドなのですが、活躍したのが昔のことすぎて、たとえNBAファンであっても細かくは知らない方が多いのではないでしょうか。
そこでこの記事では、そんな「ジョ・ジョ・ホワイト」は現役時代はどんな選手だったのかを詳しくご紹介しようと思います。
彼がNBA時代に残した功績や伝説の試合などをもとに、ジョ・ジョ・ホワイトという男の凄さを存分に語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
“第2次黄金期”セルティックスの絶対的司令塔
ビル・ラッセルが引退した年である1969年のNBAドラフトにてボストン・セルティックスに指名され、かつて11度の優勝を果たした王朝時代が終わりを迎えたタイミングからセルティックスを支え続けた苦労人「ジョ・ジョ・ホワイト」。
一度は栄華を極めたチームがプレーオフを逃すほどに低迷した”どん底”を経験したホワイトでしたが、ディブ・コーウェンスやポール・サイラスなどの補強メンバーとともに王朝復権を果たし、見事2度のNBA制覇を成し遂げたのです。
ジョ・ジョ・ホワイトはそんな“第2次黄金期”とも言えるチームで司令塔として活躍し、1967年に果たした2度目の優勝時にはファイナルMVPも受賞するなど、絶対的主力としてチームを牽引。
彼が12シーズンのキャリアで残した輝かしい功績は、セルティックスの永久欠番となった背番号「10」と共に後世へ語り継がれています。
【NBA時代の主な功績】
NBAチャンピオン:2回(1974, 1976)
ファイナルMVP:1回(1976)
オールスター:7回(1971〜1977)
オールNBAチーム
・セカンドチーム:2回(1975, 1977)
【プレースタイル】高い得点力と味方を生かすアシストでチームを牽引するプレイメイカー
ジョ・ジョ・ホワイトのプレースタイルを一言で表現するなら「必要な能力を全て備えたプレイメイカー」です。
まずは大前提、個人としての高い得点能力を持っていたことはキャリアハイとなるシーズン平均23.1得点(1971-72シーズン)を見ても明らか。
鋭いドライブと高精度のミドルレンジシュートを武器に、チームのオフェンスの担い手としてチームを牽引しました。
そんなホワイトのオフェンスをディフェンス側は放っておくことができず、多くのチームはヘルプという形で複数人のディフェンダーがホワイトを止めに近づきますが、それはホワイトの思う壺。
広大な視野から繰り出される正確なパスによって味方がフリーに近い状態からシュートを打つことができ、むしろ効率の良いオフェンスを展開することができたのです。
司令塔としてこうした分かっていても止められないオフェンスを展開していたホワイトは、セルティックスが再び王座へと返り咲くために必要不可欠なプレイヤーだったことは間違いないでしょう。
セルティックス復活の立役者!
ジョ・ジョ・ホワイトの凄さ3選
どん底から王朝復活までを経験し、弱い頃からチームを支え続けた“セルティックス復活の立役者”「ジョ・ジョ・ホワイト」。
ここまではそんなホワイトの選手像やプレースタイルについておおまかな解説をしてきましたが、より深く彼の偉大さを知ってもらうため、ここからはジョ・ジョ・ホワイトの凄さを厳選して3つご紹介していこうと思います!
凄さ①:488試合連続出場という脅威の「耐久力」
ジョ・ジョ・ホワイトほどの選手であれば凄いところはいくらでもあるのですが、個人的に僕が一番やばいなと思うのがその「耐久力」。
彼の耐久力を証明する最も有名な記録が「488試合連続出場」でしょう。
2026年6月現在でも破られておらず、ボストン・セルティックスのフランチャイズ記録であり続けているんですよ!
またその記録に付随して、1972–73シーズンから1976–77シーズンまでの5年間、毎年レギュラーシーズン82試合全てに出場という怪記録も樹立。
現役時代は「ミスター・アイアンマン(鉄人)」と呼ばれていたそうですが、その名に恥じない耐久力を誇っていたことは間違いないでしょう。
凄さ②:“NBAファイナル史上最も偉大な試合”で活躍できる「勝負強さ」
ジョ・ジョ・ホワイトの凄さとして2つ目に挙げたいのがその「勝負強さ」。
彼の勝負強さを最も強く感じられた瞬間は、何といっても自信2度目の優勝がかかった大一番「1976年NBAファイナル第5戦」でしょう!
ポール・ウェストファル率いるフェニックス・サンズ相手に3勝1敗と王手をかけていたセルティックスでしたが、迎えた第5戦は“NBAファイナル史上最も偉大な試合”と呼ばれるほどの激戦となりました。
試合は両者一歩も引かず、トリプルオーバータイム(3度の延長戦)によって63分という異例の長期戦に。
そんな中、ジョ・ジョ・ホワイトはフル出場に近い60分間も出場し、チーム最多の33得点、9アシストを叩き出してセルティックスを勝利に導いたのです。
ホワイトはこの試合の功績が大きく評価され、自身初の「ファイナルMVP」を受賞。
万が一この試合をフェニックス・サンズが取っていれば勢いはサンズが握っていた可能性も高く、彼の「勝負強さ」がチームを救った瞬間だったと言えるでしょう。
凄さ③:プレイオフでパフォーマンスが向上する「精神力」
ジョ・ジョ・ホワイトの“凄さ”最後の1つは、プレイオフでパフォーマンスが向上する「精神力」です。
レギュラーシーズンの時点でも平均20得点前後を記録する優秀なスコアラーであることは間違いないのですが、プレイオフに入ると得点力が一気に跳ね上がるプレイヤーとしても知られているホワイト。
最もすごい年(1972–73シーズン)では、レギュラーシーズン19.7得点だったにも関わらず、ポストシーズンには24.5得点まで上昇しているんですよ!
プレイオフの独特な雰囲気に普段のプレーができなくなってしまう選手も多い中、いつも以上のパフォーマンスを発揮することのできるホワイトの「精神力」は並大抵のものではなかったでしょう。
まとめ
今回は“第2時黄金期”のセルティックスを支えたレジェンド「ジョ・ジョ・ホワイト」についてご紹介しました。
いかがでしたか?
ビル・ラッセルというあまりにも大きすぎる存在が引退を発表したあと、わずか数年でセルティックスが再び王座に返り咲くことができた背景には、間違いなくジョ・ジョ・ホワイトという若き司令塔の存在がありました。
8連覇を果たした“第1次黄金期”時代の影に隠れてどうしてもスポットライトの当たりにくい選手ではあるものの、残した実績はNBAレジェンドと呼ぶに相応しいものだと思います。
「ジョ・ジョ・ホワイト」という名前が個人的には超覚えやすいなと思っているので、これまでホワイトの存在をあまり知らなかった方も、この記事をきっかけ彼の名を頭の片隅に置いていただければ幸いです。
他のNBAレジェンドについても同様に、「どんな選手なの?」、「なぜレジェンドと呼ばれているの?」といった疑問を解決できる記事がありますので、興味のある方はそちらも合わせてご覧くださいね!
それではまた、次の記事でお会いしましょう!