1990年代を中心にシカゴ・ブルズで活躍したレジェンドである「スコッティ・ピッペン」。
マイケル・ジョーダンの相棒として知られる彼のことは、バスケ好き、ひいてはNBAファンであれば一度は耳にしたことがあるでしょう。
ただ、少し昔の選手ですので、最近NBAを見始めた方の中にはピッペンが実際にどんな選手だったのかを知らない方も多いのではないでしょうか?
そこで、この記事ではスコッティ・ピッペンの選手像についてご紹介しようと思います。
彼が残した功績やNBA時代のエピソードを踏まえ、ピッペンが“ジョーダンの相棒”としていかに優れた選手だったのかを詳しく語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
“ジョーダンの相棒”として知られるNBA史上最高のオールラウンダーの1人
1990年代に2度のスリーピート(3連覇)を果たしたシカゴ・ブルズの中心選手として活躍した「スコッティ・ピッペン」。
攻守にわたってバランスの取れたスキルを持ったオールラウンダーであり、“ジョーダンの相棒”として必要なスキルを全て備えいた選手でした。
ピッペン個人としても他チームであればエースを務められるほどの実力者で、7度のオールスター選出に7度のオールNBAチーム選出、10回のオールディフェンシブチーム選出と個人成績も流石の一言。
マイケル・ジョーダンに「ピッペンがいければ優勝できなかった」と言わしめたNBA史上屈指のスモールフォワードはその栄光を讃えられ、ジョーダンと共に着用していた背番号「33」がブルズの永久欠番となっています。
【スコッティ・ピッペンの主な功績】
NBAチャンピオン:6回(1991〜1993, 1996〜1998)
オールスター:7回(1990, 1992〜1997)
オールスターゲームMVP:1回(1994)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:3回(1994〜1996)
・セカンドチーム:2回(1992, 1997)
・サードチーム:2回(1993, 1998)
オールディフェンシブチーム
ファーストチーム:8回(1992〜1999)
セカンドチーム:2回(1991, 2000)
スティール王:1回(1995)
シカゴ・ブルズで2度のスリーピート(3連覇)を達成
スコッティ・ピッペンのキャリアを語る上で、やはりシカゴ・ブルズで果たした2度の3連覇は外せないでしょう。
マイケル・ジョーダンという絶対的なエースを抱えていたシカゴ・ブルズは優勝のために“ジョーダンの相棒”となる選手を探しており、そんな時に目をつけられたのが当時まだ全くの無名選手だったピッペンでした。
大きな期待を背負って1987年のNBAドラフトにてブルズに入団したピッペンでしたが、当然初めはジョーダンに並ぶほどの実力はなく、試合でも練習でも多くの挫折を経験します。
しかし、それらの試練を乗り越え本当のスーパースターへと覚醒したピッペンは、ジョーダンの引退や復帰でチーム状況が安定しないブルズを支え続け、最終的に2度のスリーピート(3連覇)による6度の優勝を果たしたのです。
1990年代のシカゴ・ブルズといえば当然マイケル・ジョーダンのチームですが、スコッティ・ピッペンもまた後世に語り継がれるべきレジェンドであることは間違いありません。
マイケル・ジョーダンとの相性抜群!ピッペンのプレーの魅力3選
ジョーダンの横でブルズの“王朝”を支え続けたスコッティ・ピッペンですが、なぜそれほどまでにジョーダンとの相性が良かったのでしょうか?
ここからは、ジョーダンとピッペンの相性の良さに触れながらピッペンのプレーの魅力について語っていきたいと思います。
魅力その①:相手エースを抑え込む「ディフェンス力」
スコッティ・ピッペンの魅力といえば、最初に思いつくのはその驚異的な「ディフェンス力」でしょう。
主に203cmの身長と長い腕を使った対人ディフェンスを得意としており、1991年〜2000年にかけての10年間は毎年オールディフェンシブチームに選出されるほどの実力を誇っていたんですよ!
マイケル・ジョーダンという史上最高のオフェンスプレイヤーがいたブルズにとって、さらなるオフェンス強化はそれほど重要ではありませんでした。
当然ジョーダンはディフェンス力も高かったためジョーダン自身が相手のエースをディフェンスすることもできたのですが、それでは流石のジョーダンもスタミナが足りず、怪我のリスクも高くなってしまう。
そこで、スコッティ・ピッペンというディフェンダーが相手エースを押さえ込めば、ジョーダンは存分にオフェンスに集中することができると考えたわけですね!
まあ毎日の練習相手があの“バスケの神様”なわけですから、そんじょそこらの選手ではビクともしないディフェンス力がつくのは当然といえば当然かもしれません。笑
魅力その②:試合をコントロールする「ゲームメイク力」
NBA史上最高のオールラウンダーの1人として知られるピッペンは、ポイントガードのように試合をコントロールする「ゲームメイク力」も持っていました。
リバウンドで取ったボールを自陣コートまで運び、広い視野と卓越したパスセンスでオフェンスの起点となる姿は、まさに“ポイントフォワード”と呼ぶに相応しい選手だったと言えるでしょう。
このピッペンのゲームメイク力もまた、ジョーダンがオフェンスに集中するために必要不可欠とも言えるスキル。
ピッペンがオフェンスを展開し、ジョーダンが得点を取るというチームスタイルは、シンプルながらに止められない、最強ブルズのホットラインになっていました。
魅力その③:高い実力を持ちながら2番手に徹する「精神力」
高い実力を持ちながら、チームの2番手に徹する「精神力」もまたスコッティ・ピッペンの魅力の1つでしょう。
NBAに入るほどの選手たちは誰しも学生時代は各校の大エースとして活躍しており、NBA入りしてからの扱いに不満を感じて腐ってしまうパターンも珍しくありません。
ましてやスコッティ・ピッペンのように普通のNBAチームであればエースとして活躍できるほどの実力を持った選手は、より大きな役割をくれる場所を求めて移籍してしまうことがほとんどです。
しかし、ピッペンの場合はマイケル・ジョーダンのチームで2番手の役割を受け入れ、ジョーダンが輝くためのプレイをし続けたことでブルズを6度のNBA優勝に導きました。
勝利のためにできることを全てやるという強靭な精神力こそ、ピッペンのキャリアを華々しいものにした最大の要因だったと言っても過言ではないでしょう。
シグネチャーモデル「Nike Air Pippen(ナイキ エア ピッペン)シリーズ」
ジョーダンと共に1990年代のブルズの中心メンバーとして6度のNBA優勝を果たしたスコッティ・ピッペンが、ブルズファンのみならず、多くのNBAファンたちから高い人気を誇っていたことは言うまでもありません。
ただ、それほどの人気があったにも関わらずシグネチャーモデルの発売はかなり遅く、契約していたNIKE(ナイキ)から初代「Nike Air Pippen(ナイキ エア ピッペン) 1」がリリースされたのは、ブルズが5度目の優勝を果たした1997年のことでした。
ピッペンは1998年のオフにブルズから移籍してしまったため、シカゴ・ブルズ時代のピッペンの足元を支えたのは2代目の「Nike Air Pippen(ナイキ エア ピッペン) 2」が最後となってしまっています。
ただ、その後もシリーズは続いており、ピッペンの引退後しばらくしてから発売された「Nike Air Pippen(ナイキ エア ピッペン) 6」を最後に新作は発売されていません。
シンプルながらにスタイリッシュなデザインで人気を博した「Nike Air Pippen(ナイキ エア ピッペン)シリーズ」は復刻版も出ていますので、興味のある方はぜひ大手通販サイトなどをチェックしてみてくださいね!
まとめ
”ジョーダン相棒”として活躍した1990年代のNBAを代表する選手の1人である「スコッティ・ピッペン」。
NBAの長い歴史を見ても並ぶものはいないほどに攻守両方で秀でたオールラウンダーであり、ジョーダンという絶対的エースが輝くために必要なスキルを全て備えていた選手でした。
ピッペンの存在無しに、ジョーダンの栄光もひいては今ほどのNBAの人気もなかったと言っても過言ではないでしょう。
ホームズにワトソン、バッドマンにロビンなどやはり偉大な主人公の横に優秀なNo.2というは必須ということですね!笑
スコッティ・ピッペンのプレーを見たことがない方は、YouTubeなどでぜひハイライト動画を視聴してみてください。
圧倒的なディフェンスや華麗なパスセンスにワクワクすること間違い無しですよ!