デンバー・ナゲッツでキャリアのほとんどを過ごし、1996年にバスケットボール殿堂入りを果たしている「デビッド・トンプソン」。
マイケル・ジョーダンやジュリアス・アービングなど往年の名選手たちがこぞって高い評価を口にしている偉大なNBAレジェンドの1人ですが、その全盛期の短さからか最近NBAを見始めたばかりの方はほとんど知らない選手なのではないでしょうか?
そこで今回は、そんな「デビッド・トンプソン」がいかに凄い選手だったのかを詳しく解説していこうと思います。
彼が残した功績やエピソードを元にデビッド・トンプソンの魅力について語っていきますので、鮮烈なデビューを飾りながらも薬物やアルコールによって崩れ去ってしまった波乱万丈のキャリアを一緒に紐解いていきましょう!
目次
薬物やアルコールに侵された1970代のNBAを象徴する人物の1人
数々の偉業を残したNBAレジェンドとして語り継がれるデビッド・トンプソンですが、その栄光の反面、薬物やアルコールに侵されていた1970年代のNBAを象徴する選手としても知られています。
1970年代のNBAは、その長い歴史の中でも唯一リーグの人気が衰退した時期であり、リーグに所属する60%以上の選手たちがアルコールや薬物に手を出していた暗黒期。
デビッド・トンプソンもその毒牙に侵された選手の1人だったわけですね。
ただ、必ずしも彼自身のせいとは言えず、現在ほどアルコールや薬物の危険性が認知されていなかったこと、史上最高額での契約や不慮の怪我がトンプソンの肩にのしかかったことが薬物の侵食を進めた大きな原因だったと言えるでしょう。
確かに自分を律する力の不足が自分の首を絞めたことは間違いないですが、逆に言えばそれでも殿堂入りを果たすほどに圧倒的な実力や影響力を持っていたということ。
この記事でお伝えしたいのはなぜデビッド・トンプソンがレジェンドと呼ばれているかですので、ここからは彼のキャリアの光の部分をより深く語っていこうと思います。
あのバスケの神様が憧れた伝説的ダンカー
デビッド・トンプソンと言えば「ダンカー」という印象を持っている方も多いのではないでしょうか?
1970年代というまだダンクシュートがそれほどメジャーでなかった時代に、圧倒的な跳躍力とセンスで”芸術的”とすら評されるダンクで多くのファンを魅了したトンプソンは、まさに「伝説的ダンカー」と呼ぶに相応しい選手であったことは間違いないでしょう。
ダンクシュートを"花形”とも言えるプレーに昇華させた影響力は計り知れないもので、あの”バスケの神様”マイケル・ジョーダンが「憧れの選手」としてあげたことが全てを物語っていますよね。
1975年のNBAドラフトにて全体1位指名を受けながら、ABAのデンバー・ナゲッツに入団を選択し、デビューしたABA時代も吸収合併されたNBA時代もオールスターに選出されるほどのスター選手として活躍。
ジュリアス・アービングと争ったスラムダンクコンテストや歴代最高レベルのスコアリングパフォーマンスなど数々の功績を残したトンプソンは、現在でもデンバー・ナゲッツの永久欠番「33」として語り継がれています。
【デビッド・トンプソンの主な功績】
●ABA時代
ABAオールスター:1回(1976)
ABAオールスターMVP:1回(1976)
オールABAチーム
・セカンドチーム:1回(1976)
ABA新人王:1回(1976)
●NBA時代
NBAオールスター:4回(1977〜1979, 1983)
NBAオールスターMVP:1回(1979)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:2回(1977, 1978)
“スカイウォーカー(Sky Walker)”の異名は伊達じゃない!
垂直跳び122cmという脅威の跳躍力を持つ選手
デビッド・トンプソンを知らなくても「スカイウォーカー(Sky Walker)」という異名は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?
193cmというNBAではそこまで高くない身長ながら最高122cmの垂直跳びを誇り、垂直跳びでバスケットボードの上に置かれたコインを取ることができたという伝説が残っているほど。
現在は更新されてしまっているものの、大学時代には垂直跳びのギネス記録に乗ったこともあるんだそうです。
プロになってからもその跳躍力は健在で、数々のハイライトダンクが映像として残っています。
特に1977年のプレイオフでポートランド・トレイルブレイザーズと激突した1回戦では、211cmのビル・ウォルトンの上からダンクを叩き込み、さらにバックボードを破壊するという衝撃的なシーンも生まれていますので、まだ見たことのない方はぜひ一度YouTubeなどで視聴してみてくださいね!
伝説的なのはダンクだけじゃない!
デビッド・トンプソンの伝説的エピソード3選
伝説的ダンカーとして知られるデビッド・トンプソンですが、当然ダンクだけの選手というわけではありませんよ!
ここからはトンプソンの偉大なキャリアをより深く知っていただくために、彼の伝説的なエピソードを3つ厳選してご紹介しようと思います。
伝説的エピソード①:「アリウープ」を世に広めた張本人
デビッド・トンプソンを象徴する伝説的なエピソードの1つとして、大学時代に「アリウープ」を世に広めたという実績を語らないわけにはいかないでしょう。
当時のNCAA(米大学バスケ)はカリーム・アブドゥル=ジャバーの力を抑制するためにダンク禁止のルールが設けられており、トンプソンの圧倒的な跳躍力を生かす手段が制限されているような状況でした。
そんな状況でも諦めなかったトンプソンは、ゴール近くにボールを投げてもらい、それを空中でキャッチしてレイアップやバンクシュートを決めるという離れ業を考案。
ノースカロライナ州立大学はこのトンプソンの脚力を生かしたプレーを戦術の1つとして組み込み、ついにはNCAAチャンピオンにまで上り詰めたのです。
トンプソンの活躍によって「アリウープ」というプレーは全米に知れ渡ることとなり、その後非常に効率的な戦術の1つとして多くのチームが使うように。
トンプソン自身もプロになってダンクシュートが解禁された後は「アリウープ・ダンク」に昇華させて使用し、数々のハイライトダンクを残しています。
伝説的エピソード②:ジュリアス・アービングと激突したABAダンクコンテスト
2つ目にご紹介する伝説的エピソードは、ルーキーとして挑んだ1976年のスラムダンクコンテストでの一幕でしょう。
実は1976年が「ダンクコンテスト」の始まった年であり、初代王者を決めるべく挑んだトンプソンは決勝でジュリアス・アービングとの一騎打ちに挑むこととなったのです。
デビッド・トンプソンは空中で1回転するダンク、通所「360ダンク」を決めるなど好成績を残したものの、フリースローラインからのダンク、通称「レーンアップ」を決めたアービングの前に惜しくも敗北。
結局トンプソンがキャリアでスラムダンクコンテストの王者に輝くことはなかったものの、この1戦は伝説的弾かー同士が戦った世紀の戦いとして語り継がれています。
ちなみに、同じ年のNBAファイナルでもトンプソンの前に再びアービングが立ちはだかっており、トンプソン率いるナゲッツはアービング要するニューヨーク・ネッツの前に2勝4敗で敗退するという屈辱を味わいました。
ここからトンプソンとアービングはライバル関係としてみられるようになり、トンプソンはアービング自身が現役時代に唯一ライバルと認めた選手となったのです。
伝説的エピソード③:1試合73得点という大記録
最後にご紹介するのは、1試合73得点というモンスターパフォーマンスを披露した伝説の試合についてです。
この大記録が生まれたのは1978年4月9日に行うわれたデトロイト・ピストンズとのシーズン最終戦。
この年のデビッド・トンプソンは、当時サンアントニオ・スパーズに所属していたジョージ・ガービンとの熾烈な得点王争いを演じている最中でした。
平均得点が僅差で2位につけていたトンプソンは最終戦で73得点を記録して一時ランキング1位に浮上したものの、直後の試合でガービンが負けじと63得点を叩き出し、結果的にはガービンが平均27.22得点、トンプソンが27.15得点で得点王のタイトルはガービンの元に。
この0.07点という点差は現在でも得点王レース史上最小の数値であり、その気になれば70得点以上もスコアすることができるトンプソンの得点力の高さを象徴するエピソードとして語り継がれています。
まとめ
今回は1970年代を代表する伝説的ダンカー「デビッド・トンプソン」についてご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
薬物やアルコールなどでキャリアを潰してしまったことで有名なトンプソンですが、やはり現役時代の功績やエピソードは流石の一言。
特にマイケル・ジョーダンに与えた影響は凄まじく、ジョーダンが自身の殿堂入りセレモニーにプレゼンターとしてトンプソンを指名したのは有名な話です。
伝説的ダンカーと呼ばれるだけあって、ハイライト集は驚異的なダンクシーンの目白押し。
特に戦術したビル・ウォルトン越しのダンクはバスケ好きにはたまらない大迫力のシーンですので、興味のある方はこの機会にぜひご覧になってみてくださいね!